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第1話 名前を担保にする店
雨上がりの路地は、
昼でも薄暗く、
足元だけがやけに近かった。
結城は、
少し擦れた上着の袖を引き、
立ち止まる。
看板はない。
硝子戸の向こうに、
机と椅子、
壁いっぱいの棚。
紙の束が積まれている。
ノブに触れた瞬間、
中にいる気配がした。
扉は軽い音を立てて開く。
店の中は、
思ったより狭い。
床は乾いていて、
埃もない。
結城の髪は、
寝癖が残ったまま、
耳にかかっている。
目の下に、
眠れていない影。
椅子に座るよう、
視線だけで促される。
机の上に、
紙が一枚置かれる。
名前を書く欄だけが、
空いている。
結城は、
自分の名前を見つめる。
書かれていないのに、
そこにある感覚だけが重い。
ペンを取る手が、
少し震える。
事故の音が、
頭の奥で鳴る。
言わない。
言葉にしたら、
ここに来た理由まで
崩れてしまいそうで。
名前を書く。
紙が静かに吸い取る。
書いた直後、
自分が少し軽くなる。
代わりに、
胸の奥が空く。
視線が上がる。
願いを。
結城は、
口を開く。
声が出る前、
一瞬だけ、
彼女の部屋を思い出す。
空になったアパート。
残された生活。
息を吸う。
結城は、
願いを口にする。