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往来のど真ん中で、しばらくキミカちゃんと抱きしめあった後――。
変な空気にならないうちに私達は近くにあった一件のこじんまりとした店舗に足を向けていた。
「ここな、天狗庵言うてね。うちの行きつけのお店やねん」
暖簾をめくりながらキミカちゃんが教えてくれる。
「お店の大将は先祖代々、童ノ宮の氏子で……。稚児天狗に麺の打ち方、教わったっていう伝承が残ってるねんて……」
いきなり昔話を始めるキミカちゃん。
若干戸惑いならも、私は息子の背中を軽く押しながら後に続く。
店の奥からフワッと漂ってきたのは、昆布と鰹節が混じり合った出汁の香り。どこか安心感を喚起されるような、優しい香りにジンワリと胸の奥が温かくなる。
昼時を少し過ぎたせいか、店内の客足は少ない。
地元の人と観光客が半々と言ったところで落ち着いた静けさに包まれている。
店の奥、カウンターの向こうでは、大きな寸胴鍋がコトコト音を立てているのを目の当たりにする。
白い壁には、丁寧な筆致で各メニューの名前や値段が記された木札がいくつも下げられていて、お祭りの情景写真が収められた額縁がビッシリと飾られていた.
「――あらぁ、キミカちゃん? いらっしゃーい」
調理場から姿を現したのは三角頭巾に白い割烹着姿のふくよかな中年女性……。
この店の女将さん、だろうか? 柔和な表情の中、どこかドッシリとした頼もしさのようなものが感じられる。
「宮司様……レイジさんから聞いたよ? 何て言ったっけ? テレビで有名な人をおもてなししてるんだって?」
「子役の栗原マキオ君と、そのお母さんな」優しくキミカちゃんが女性の言葉を修正。
「おもてなしって言うか、うちは街の中をあちこち案内してるだけやで」
「ふーん、それでご注文はいつもの?」
「うん。キツネうどんとお稲荷さんのセットで。……あ、マキオ君はおにぎりのほうがええ?」
「僕はね、えっと、ぎょうざ! ぎょうざがいい!」
「マ、マー君! ここは和食屋さんだからぎょうざはないの! ……あ、この子はおにぎりでお願いします ……すみません、まだTPOを弁えてなくて」
ちょっと冷や汗が出るのを感じながら私は言い繕う。
どうして、マキオはそんなに餃子が好きなのか。子供は香ばしく焼き上がった味が好きだからか。いや、それにしてはマキオはハンバーグが嫌いだ。
笑顔のまま、調理場に戻ってゆく女将さんにむかって、
「あ、おばちゃん」
キミカちゃんが慌てたように呼び掛ける。
「待ってる間、神様にお祈りさせてもらってもええ?」
「それはもちろん、ご自由に」
おばちゃん――、女将さんが朗らかに返す。
「ウチのお父さんも言ってたけど、キミカちゃんは本当に信心深いわねぇ。さすが塚森さんが認めただけのことはあるわぁ」
感心したように女将さんがそう話している内に――
キミカちゃんは見せの奥に向かって小走りで向かってゆく。
「あっ」
思わず声が出た。
キミカちゃんが立ったのは、古びてはいるが立派な造りの神棚の真下。
蝋燭の炎がゆらゆらと揺らめき、左右に挿された榊はまだ真新しく、その緑が瑞々しい。
だけど、御宮――神社のミニチュアみたいな部分――の前に置かれているのはよくある神鏡じゃなかった。
それは仮面だった。
炎のように真っ赤な肌、金色に輝く目と長い鼻を持つ、修験者のような男の顔を模した木製の面。天狗の面。
その天狗の面に向かってピンと背筋を伸ばして、キミカちゃんは二回、柏手を打つ。
そして、静かに三度、礼参拝を行う。
「……ごめんな、待たせてもうて」
神棚の天狗面に向けてお祈りを終えたキミカちゃんが戻って来て席に着く。
やがて、キツネうどんと稲荷寿司セットとマキオのおにぎりセットが運ばれてきて、私達は少し遅めの昼食を取ることになった。
この天狗庵、知る人ぞ知る隠れた名店ということでグルメガイドなどでよく紹介されている。その名前は全国的に有名で、ここの手打ちうどんを食べたいがために童ノ宮を訪れる人も少なくないとか……。
もはやそれは隠れた、とは言えないんじゃないかと思いながら、湯気を立てる油揚げを口もとに運ぶ。
美味しい。ビックリするくらい分厚くて、だけど柔らかく、甘い。
音を立ててうどんを啜り、まだ熱い出汁をどんぶりを傾けて飲む。濃厚な鰹の香りと味が喉を潤し、全身を温めてくれる。……確かにこれは地元の名物になるのも当然だろう。
「これ、おいしい」マキオも笑顔で言う。
「もっとちょうだい」
「え、稲荷寿司の方がいいの? そういうことはもっと早く言ってくれないと……」
「あ、うちの稲荷寿司、一つあげる」
「ほんとぉ? やったぁー!」
私の分が残っていないの見て、素早くキミカちゃんが自分の分をマキオの皿に載せてくれる。
……いい子だ。素直にそう思う。私がキミカちゃんと同年代だった頃、自分より小さい子にここまで優しくできていただろうか? いや、出来ないな、多分。
「童ノ宮の神様も油揚げが大好きやねんて。……油揚げと言えば普通はお稲荷さんやけど、うちの神様、神仏習合やからその辺、ゆるいねん」
……神様。また、神様か。
思わず私は胸の中がザワザワとして来るのを覚える。
言葉にできない、粘つくスライムのような感情が込み上げてくる。
それは子供の頃、母親によって植え付けられた感情――、嫌悪感だった。
第六天魔王波旬。確かそんな名前の神様だったと思う。
私の母親は奇妙としか形容しようのない新興宗教にはまっていて、そこで学んだ祭祀やら真言やらを唯一の家族である娘にも強要した。少しでも拒めば殴ったり蹴ったり、挙句はタバコの火を押し付けて……。
父と離婚し生活苦と不安を抱えていたとは言え、生活の全てをそんなわけのわからないオマジナイマガイを優先させるなど、到底正気だとは思えなかった。
だからかも知れない。キミカちゃんみたいな若い女の子が何の悪気もなく、「神様、神様」と笑顔で口にしているのを目の当たりにしていると、胸が痛む。
無性に悲しくなってくる。
腹が立って来る。吐き気すら込み上げてくる。
だって、私の母親がはまっていた第六天魔王波旬にしろ、キミカちゃん達塚森家が守って来た稚児天狗にしろ――、いやしないんだから。そう、この世には神も仏もいないんだから。
「あ、ごめん。ちょっとうち、おトイレ……」
申し訳なさそうに言って再び席を立つキミカちゃんを私は複雑な心境のまま、黙って見送る。
「――ママ? どしたの? だいじょぶ?」
ため息を噛み殺し、私は隣をふり返る。
マキオだった。不思議そうに目を大きく見開き、氷水がたっぷりはいったピッチャーを手繰り寄せ、恐る恐ると言う感じで言う。
「気持ち悪いの? ……お水、飲む?」
「いらない」
思わずかたい声が出た。
ビクッとマキオがその小さな肩を震わせるが――、何だか妙にわざとらしい仕草に思え、痒くもないのに頭を掻きむしりたくなる。
どうしようもなく、私は苛立っていた。
「あのね、ママ……」
空気を読んで沈黙することもなく、マキオが言葉を続ける。
我が子ながらどうして、こう、デリカシーがないんだろう。
普段の私と比べて明らかに機嫌が悪いはずだが。あるいは敢えて、だろうか。
「僕ね、さっきお店で売ってた稚児天狗のシャクジョウ欲しい。先にワッカがたくさん、ついてるやつ……」
「買わない」
今度は濁った声が出た。
「後三日はこの街にいなきゃいけないんだから、余計な荷物を増やさないで。あんた、新しいオモチャを買ってあげたって、すぐ飽きるし」
マキオは何か言いたげに口を開きかけたが――、結局、言葉を発さないまま、への字に閉じる。それから目を潤ませて私を睨み、プイッと顔を背けさせる。
……なにその憎たらしい態度。
一体、誰のためにこんな田舎くんだりまで来たと思っているんだろうか、この子は。
指先から血の気が引き、手が強張る。
それをごまかすように私はどんぶりに残った最後の麺一本を啜りあげた。