テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
#成り上がり
#死に戻り
#ハッピーエンド
114
それから数か月後。ラゴーナの夏の入口で、しずくシェルターは新しい音を抱える場所になっていた。
入口脇の掲示板には、町の録音会のお知らせと、小さな演奏会の予定が並んでいる。奥の棚にはグルナラが整理した古い記録と、デシアが残していった音の見出しカードがきれいに収まり、地下の時計部屋へ続く扉にはロヴィーサの書いた注意書きが増えた。
朝一番、サベリオは軒下で雨どいの具合を見ていた。夏前の通り雨は春より勢いがある。葉が引っかかりやすい場所も、もう手が覚えていた。
下ではミゲロが工具箱を開き、モルリは新しい屋台用の布を広げている。ホレは予定表へ今日の作業を書き込み、ヌバーはさっそく通りかかった若者へ声をかけていた。
「誘ってるんですけど、録音会、逃げないで来てくださいねー」
笑いが起きる。
パルテナは前よりずっと慎重に言葉を選ぶようになり、相手の顔を見てから話し始める癖がついた。ダニエロは帳簿を先送りにしなくなった。アルヴェとトゥランは相変わらず言い合うこともあるが、そのたびに役割の違いとしてうまく着地させる。ヴィタノフは無口なままコスタチンへ工具を渡し、その順番だけで十分な信頼が見えた。
サベリオは脚立を降り、シェルターの中へ入る。
床板の感触が足の裏へ返ってくる。この場所で自分が働く未来を、今はもう当たり前のものとして受け止められる。
机の上には、町の外から届いた封筒が置かれていた。中にはデシアから送られた短い手紙と、新しい録音の一覧が入っている。都会の駅の音、遠い川の音、夜明け前の校舎の音。その最後に、小さく書き添えられていた。
――ラゴーナの雨の音には、まだかなわない。
サベリオは思わず笑う。
その時、外でぱらりと通り雨が落ち始めた。
屋根を打つ軽い音。樋を走る水の音。開け放した窓から入りこむ湿った風。誰かが「また来た」と笑い、誰かが受け皿を取りに走る。
サベリオは扉のところで立ち止まり、空を見上げた。
遠くで、橋の鐘がひとつ鳴る。
胸の奥には、もう引き戻される気配はない。あるのは、これから先も続いていく日々の気配だけだ。
同じ雨は、もう二度と同じ夜を連れてこない。
それでいい。
巻き戻らないからこそ、直した雨どいも、誰かの謝罪も、橋の上の約束も、全部がちゃんと明日の形になる。
サベリオは細い雨の向こうで笑った。
「今度はちゃんと、前へ行ける」
しずくシェルターの中では、また誰かの声が重なり始めている。
春はもう巻き戻らない。
けれど、あの春に拾い集めた音は、これから先の季節の中でも、きっとずっと鳴り続けていく。