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夕方の相談室は、相変わらず中途半端な静けさだった。窓は開けっぱなしで、風がカーテンを少しだけ揺らしている。
ドアが軽く叩かれた。
「どーぞ」
蓮司が椅子にもたれたまま言うと、躊躇うような間のあとで人が入ってきた。
立ち止まって、室内を一度見回す。逃げ道を探す癖みたいな動きだった。
「……なあ、ちょっといい?」
「ちょっとじゃなくてもいいけど」
相手は苦笑して、向かいの椅子に腰を下ろす。座り方が落ち着かない。
「さ、相談内容は?」
「……選ばなかったほうの人生のほうが、正解だったんじゃないかって思う」
間が落ちた。
蓮司はすぐには反応しない。ペンを指で転がしてから、ちらっと顔を上げる。
「重たいの来たな」
「悪い?」
「いや。嫌いじゃない」
その言い方に、少しだけ相手の肩が下がった。
「今の場所が嫌いってわけじゃないんだ。ちゃんと決めたし、自分で選んだ。
でもさ、ふとした瞬間に思うんだよ。
“あっち行ってたら、もっと楽だったんじゃね?”って」
「あるある」
即答だった。
「……即?」
「即。人間だもの」
相手は鼻で笑った。
「軽く言うな」
「軽く言わないとやってられないだけ」
蓮司は椅子を少し揺らす。
「選ばなかった道ってさ、だいたい“失敗しない前提”で頭に出てくるんだよ。
疲れないし、怒られないし、後悔もしない。
都合よく編集されたダイジェスト版」
「……分かってるよ、そんなの」
「分かってるのに考えちゃうんだろ?」
相手は黙った。
その沈黙は、肯定だった。
「今の場所にいる自分が、間違ってる気がしてくる。
選択ミスったんじゃないかって」
蓮司は窓の外を見た。
校庭に人影はなく、夕焼けだけが残っている。
「間違ってるかどうかってさ、結果が出ないと決められないと思ってる?」
「……違うの?」
「結果なんて、たいてい後付けだ」
ペンを止め、蓮司は相手を見る。
「選んだ瞬間は、どれも“仮の正解”だよ。
そのあと、どう転ぶかで“正解っぽく見える”だけ」
「でも、うまくいってる人見るとさ……」
「比べるな、とは言わねぇ」
すぐに続ける。
「比べるよな。人間だから。
ただ、比べてる相手は“今その人が立ってる場所”で、
自分は“選択した瞬間の自分”と比べてる」
相手は眉をひそめた。
「どういうこと?」
「相手は“途中経過”、自分は“スタート地点”。
そりゃ負けて見える」
一拍置いて、軽く肩をすくめる。
「フェアじゃない勝負してるだけだ」
相手は視線を落とした。
机の傷をなぞるように、指が動く。
「……じゃあさ。
この先もずっと、間違ってたかもって考え続けるの?」
「考えるだろうな」
あっさり言う。
「消えない。たぶん」
「救いなくない?」
「救いはある」
蓮司は少しだけ笑った。
「考え続けてるってことは、まだ今を捨ててないってことだ。
本当に“失敗だった”って思ってたら、考えるのやめてる」
「……そんなもん?」
「そんなもん」
相手は、少しだけ息を吐いた。
「選ばなかった人生が正解に見えるのはさ、
今の人生をちゃんと生きてる証拠でもある」
「意味わかんねぇ」
「ちゃんと迷ってるってこと」
蓮司は立ち上がり、窓を閉める。
「迷ってるやつは、まだ途中だ。
途中のやつが“正解かどうか”決めるのは、早すぎる」
沈黙が落ちる。
でもさっきより、重くはなかった。
相手は椅子から立ち上がり、少し照れたように言う。
「……相変わらず、はっきりしない答えだな」
「はっきりさせたら嘘になる」
蓮司は肩をすくめた。
「選ばなかった道が正解に見える日が来てもいい。
でも、それで今の自分を“間違い”にしなくていい」
ドアが開く。
「じゃ、また悩んだら来い」
「……悩まなくなる気しねぇ」
「だろうな」
軽く手を振る。
「それでいい」
ドアが閉まり、相談室にまた静けさが戻った。
夕焼けはもう、消えかけていた。