そして12月中旬になった。
辺りはすっかり雪景色へと変化し信濃大町には本格的な冬がやって来た。
その後優羽には特に変わった事はなかった。
念の為兄の裕樹は山岸夫妻に優羽がつけ回された事を話した。しかしその後特に何も起こらなかったのでとりあえずは心配はなさそうだ。
裕樹はなんとなく優羽が東京にいた時の人間が関わっているのではないかと思っていた。
しかし優羽を怯えさせたくなかったのでその事は話していない。
とにかくその後異変はないので様子を見る事にした。
そんな中『peak hunt5』のカタログが完成した。それと同時にHP制作会社と進めていた新しいネットショップのwebページもオープンした。
新しいショップのサイトには会員登録制度を設けた。
今までのネットショップは誰でも購入できるスタイルだったが今回はあえて登録制にした。
会員登録制度を導入する事により、顧客が安心して利用でき更に上質なサービスを提供する事が可能になる。そして会員だけが参加出来るようなイベントや企画も考えて『特別感』を演出しようという狙いだ。
その効果は絶大だった。
ネットショップは一昨日オープンしたが、オープン早々多くの顧客が会員登録を済ませてくれている。
その中には、俳優の大和翔真の名前もあった。それを見つけた岳大と井上は大喜びしてすぐに優羽にも知らせた。
大和翔真がライバル会社『mountain top7』のイメージキャラクターのオファーを断ったらしいと、ちょうど広告代理店の田村から聞いた直後だったので余計に感激する。
実店舗の建設工事は着々と進んでいた。
店の基礎工事と骨組みはほぼ完成し、これから外観、店内の細かい造作へと進んで行く。
駐車場や外回りの工事は、雪がなくなる四月に入ってからを予定していた。
そろそろスタッフ募集を考えないといけない時期に差し掛かり、アルバイトの人数やシフトのタイムスケジュールについては優羽が一任されていた。
これはアパレルショップ店員をしていた時の経験が役立ちそうだ。
実店舗のオープンは五月上旬を予定していた。
そんな中、岳大は代々木上原のマンションで引っ越しの荷物をまとめていた。
岳大は年が明けた一月から信濃大町に拠点を移す事に決めた。
この日は引っ越し作業の様子をテレビクルーが撮影していた。
岳大に密着するテレビ番組『ネイチャーストーリーズ23』の撮影がすでにスタートしていた。
「はい佐伯さんオッケーです! じゃあ、今日はここまでにしましょうか。ご協力ありがとうございました。次は長野に移住してからの生活に密着しますので、また年明けよろしくお願いします」
ディレクターの保坂が笑顔で言った。
「保坂さんありがとうございました。またあちらでもよろしくお願いします」
「長野でもいい画を期待していますよ。では良いお年を! 失礼します」
保坂は撮影クルーと共に岳大のマンションを後にした。
ディレクターの保坂はご機嫌だった。
岳大に番組出演の依頼をした後、急遽岳大の長野移住が決まった。テレビ的にはこういう流れは大歓迎だ。
自然を愛する山岳写真家が長野にアウトドアショップをオープンする。それだけでも充分ノンフィクションドキュメンタリー番組の素材になるのに、更に移住が加わるのだ。
きっとヒューマンドラマ要素も入った素晴らしい番組になるだろう。
保坂は今回のこの企画にかなりの手応えを感じていた。
保坂は上機嫌でスタッフ達に声をかけた。
「よーし、ラーメンでも食べて帰るか! 俺の奢りだ!」
するとスタッフ達の間からは喜びの声が上がり、皆笑顔で車へ乗り込んだ。
そしてテレビクルーの車はその場を後にした。
保坂達が帰った後も岳大は荷造りを続けていた。
これからは実店舗オープンでかなり忙しくなる。東京と長野を行ったり来たりするのはかなり効率が悪いと判断した岳大は、長野へ移住する事を決意した。
代々木上原のこのマンションは岳大の持ち家なので、井上にここを使って貰って今まで通りサポートしてもらおうと考えていたのだが、井上はこう言った。
「佐伯さんだけ長野に行くなんてずるいですよ」
そして自分も長野へついて行きますと言った。
井上も元々は登山から山岳写真の世界に入った男なので、長野に住む事には全く抵抗はないようだ。岳大は井上に恋人がいるのを知っていたので、相手の事も考えてこのマンションに住めばと提案したのだが見事に却下された。そして井上はこの移住を機に恋人との結婚を決断した。井上の恋人も長野へ行く事には全く抵抗がないようで今回夫婦で移住する。
とりあえずこのマンションはこのままの状態にしておく事になった。
岳大が東京での仕事の際に寝泊まりで使う事になるだろう。
移住を決めてから一つ問題が発生した。それは信濃大町には賃貸物件が少ないという事だ。
あってもほとんどが小さなアパートなので、自宅を仕事場に出来るような物件がなかなか見つからなかった。
そんな中、漸く一軒だけ見つかった。
その物件は新築二階建てのテラスハウスだ。テラスハウスと言っても左右に一軒ずつしかない二世帯のテラスハウスなので、静かな環境とプライベートはかなり守られる。
駅からは少し離れているが、今度出店する店や流星の保育園にほど近い場所にあった。
その辺りの環境は岳大も把握していたので、生活するには便利な場所だとわかっていた。
建物は木造だが室内の設備は最新式で、カウンターキッチンには食洗器、バスルームには浴室乾燥がついていた。
玄関の前には片流れ屋根がそのまま伸びた屋根付きの広いガレージがあり一軒につき車二台が停められる。タイヤ交換や撮影機材の積み込みに便利なのでそこも気に入ったポイントの一つだ。
出来たばかりのそのテラスハウスの片側はもう入居者が決まっているらしく、岳大はもう片方を即座に抑えた。
一方、井上は駅に近い築三年の2LDKのアパートを既に押さえているようだ。
急に移住を決めたのに全てがトントン拍子に上手くいったので岳大はホッとしていた。
今回岳大が移住を決断した理由は、仕事の事だけが原因ではなかった。
移住しようと思った本当の理由は、先月優羽が何者かにつけまわされた件があったからだ。
あの時の岳大は生きた心地がしなかった。
すぐにでも優羽の元へ駆け付けたいのに出来ないもどかしさ。その日の夜、岳大は心配でほとんど眠れなかった。
優羽にもし何かあったら? そう思うといてもたってもいられない自分がいた。
あの日岳大は自分がそれほどまでに優羽の事を大切に思っている事に気付いた。
そして優羽と流星の傍へ行く事を決意した。この決断について後悔は全くない。
岳大は荷造りをしていた手を一旦止めると腰に手を当ててから軽くストレッチをする。
そして、
「さーて、もうひと頑張りするか!」
と呟くと荷造りに集中した。
コメント
2件
移住!!!抜けてた〜!!! すっ飛んで🚗 =꒱‧*行くことしか頭になかったぁ〜 岳大さんの中では結婚💝するだね🎀✨
もう岳大さん的には婚約者レベルの感情移入ですね🤭笑い事じゃって分かってますが、付け回しの犯人が見つかってないとなるとそれだけ優羽ちゃんを守ってあげたいし大切にしたいんですよね!その素直な気持ちと行動で移住後は早く優羽ちゃんをお嫁にもらわないと、ね😉💓💏💞