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夕方の風が、半開きの窓から教室に入り込んでいた。カーテンがわずかに揺れて、チョークの粉の匂いを運んでくる。
ノックは軽かった。
ためらいというより、癖みたいな間。
「どうぞ」
蓮司は椅子にもたれたまま言った。
ドアが開き、制服のままの生徒が入ってくる。歩き方は雑なのに、視線だけが落ち着かない。
「なあ、ちょっといい?」
「暇そうに見えた?」
「まあ、そう」
「正解。座れ」
相手は椅子に腰を下ろし、背もたれに体重を預けた。
一瞬、いつもの軽い表情を作りかけて、途中でやめる。
「……自分の選択、信用できなくてさ」
蓮司は眉も動かさない。
「進路とか?」
「それもあるし、もっと細かいのも。
言うか言わないか、行くか行かないか、断るか受けるか」
指先で机を叩きながら、相談者は続けた。
「どれ選んでもさ、後から
“違ったかも”って思うんだよ。
で、結局“やっぱ自分はダメだな”ってとこに戻る」
蓮司はペンを転がし、床に落とした。
拾わない。
「選択が間違ってたっていうより、
選んだ“自分”を信用してない感じだな」
相談者は苦笑した。
「そうそう。それ。
結果が悪いと、“ほらな”って思うし、
結果が良くても、“たまたま”って思う」
「厄介だな」
「他人が決めてくれたら楽なのにって思う時もある」
「でもそれやると、今度は文句言うだろ」
「……言う」
即答だった。
蓮司はそこで初めて、少しだけ笑った。
「じゃあさ、
完璧な選択なんて最初からないって前提で考えたらどうだ」
「急に雑じゃん」
「元から雑だろ。
そもそも選択って、当たり外れじゃなくて、
“選んだあと何するか”の話だ」
相談者は首を傾げる。
「それ、よく聞くやつ」
「だろ。
でもな、聞き飽きてるってことは、
頭じゃ分かってるってことだ」
蓮司は机に肘をつき、視線を合わせるでもなく、窓の外を見た。
「自信がない状態で選ぶと、
あとで自分を責める材料探し始めるんだよ。
“あの時こうしてたら”って」
「……してる」
「だろうな」
一拍置いて、続ける。
「だからさ、選択の前にやることがある」
「なに?」
「安全確認」
相談者が眉を寄せる。
「誰にも説明しなくていいか。
責められないか。
自分で自分を否定しないか」
淡々とした声だった。
「それクリアしてりゃ、
どれ選んでも致命傷にはならない」
「でも、間違えたら?」
「間違えたら修正すりゃいい」
「そんな簡単に言うなよ」
「簡単じゃねぇよ。
ただ、選択ミスより“自己否定”の方が重症って話」
相談者は黙った。
机の角を見つめたまま、しばらく動かない。
「なあ」
今度は蓮司の方から声をかけた。
「今までの選択、全部間違いだったと思ってる?」
「……全部じゃない」
「じゃあ、その“間違ってないやつ”選んだのも、同じ自分だ」
相談者は小さく息を吐いた。
「自分、信用できないんだと思ってたけどさ」
「うん」
「本当は、
信用して裏切られるのが怖いだけかも」
蓮司は肩をすくめる。
「それでいいんじゃないか。
信用ゼロより、よっぽどマシだ」
夕焼けが教室を赤く染め始める。
影が長く伸び、時間がゆっくりと沈んでいく。
「選択に自信なんていらない」
蓮司は立ち上がり、落としたペンを拾った。
「必要なのは、
選んだあとに自分を切り捨てないことだけだ」
相談者は立ち上がり、少しだけ背筋を伸ばした。
「……それ、覚えとく」
「忘れてもいい。
また来りゃいいだけだ」
ドアが閉まる音が、静かに響いた。