テラーノベル
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その後、二人は一緒にオフィスビルを出た。
駅へ向かって歩きながら、柊が花梨に言った。
「腹減ったな……。今日のお詫びに何かご馳走するよ」
「そんなに気を遣わないでください。いつもご馳走になってばかりですし」
「いや、そうしないと俺の気が済まない。何が食べたい?」
突然そう言われても、花梨はあまりお腹が空いていなかったので、何も思いつかなかった。
その時、最近できたばかりのカフェが目に入った。パンケーキが美味しいと評判で、昼間は行列ができるほどの人気店だ。
看板を見ると、夜10時まで営業しているようだ。
「じゃあ、 あそこのお店のパンケーキが食べたいです!」
意外な答えに驚いた柊は、花梨が指差した店を見た。
「10時までやってるのか……じゃあ、そこにするか」
「はい」
二人は、夜のカフェに入った。
店内は予想以上に可愛らしい雰囲気で、テーブルには赤と白のチェックのクロスがかけられている。店にいるのは、ほとんどが女性客だった。
そこへ、突然スーツ姿のイケメンが現れたので、女性たちの視線が一斉に柊に集まる。
一番奥の窓際の席に腰を下ろしながら、花梨が言った。
「課長、めっちゃ見られてますけど大丈夫ですか?」
「どうってことはない」
「さすが!」
花梨は思わず微笑む。
椅子に座ると、柊はさっそくメニューを開いた。
「パンケーキがメインか……甘いもの、好きなのか?」
「大好きです。でも、スイーツで一番好きなのはクッキーですけど……」
「クッキー? 珍しいな。普通はケーキとかパフェじゃないのか?」
「私はクッキーですね。ほら、今ってサクサクしたもの以外にしっとりしたクッキーもあるじゃないですか。Moonbucks Coffeeにある……あのしっとりしたのが特に好きなんです」
「そっか」
「課長こそ、甘いもの大丈夫ですか?」
「まあ普通に大丈夫だ。姪と一緒の時は、いつもこういう店に連れて行かれるからな」
「姪っ子さんが? おいくつなんですか?」
「小学校二年生だ」
「へぇ……そうなんだ……」
花梨はその状況を想像し、思わずふふっと笑った。
「笑うな」
「だって、なんか微笑ましくて、つい……」
「誰にも言うなよ」
「 別に隠すようなことではないと思いますけど?」
花梨は慌てた様子の柊が可笑しくて、また笑みがこぼれる。
悩んだ末、花梨はアップルシナモンのパンケーキを、柊はチョコバナナのパンケーキを注文した。
飲み物はドリンクバーだったので、二人でコーヒーを取りに行く。
席に戻ると、花梨が言った。
「課長は、こんなおやつみたいな夕食だと足りないのでは?」
「足りなかったら、帰ってカップラーメンでも食うよ」
「カップラーメン? あれ? 奥様は作ってくれないのですか?」
その言葉に、柊は一瞬押し黙ってから言った。
「一応、俺は独身なんだけど?」
「えっ? そうだったんだ……すみません」
「謝るほどのことではないが、結婚してるように見えたか?」
「はい。落ち着いているからてっきり……。それに、いずれ親会社へ戻るエリートですもの、奥さんがいて当たり前かなって……」
「ははっ、予想を裏切って悪かったな」
そう言ってコーヒーを一口飲むと、柊は続けた。
「ところで、以前のため息の件は、片がついたか?」
柊があの時のことを覚えていたので、花梨は驚いた。
「あ……はい。というか、あれはもうどうしようもないことなので」
「どうしようもない? それはどういう意味?」
「あれは、母のメッセージを見てついたため息ですから……」
「お母さんの? いったいどんなメールだったんだ?」
率直に聞かれた花梨は、口をつぐんだ。プライベートの愚痴を上司に話すべきではないと判断したからだ。
しかし、柊は今回も引き下がらない。
「適切なアドバイスができるかどうか分からんが、言ってみろ。少しは気が軽くなるかもしれないぞ」
その押しつけがましくない言い方に、花梨の気がホッと緩む。
「……実は、母は父と離婚した後、今は再婚しているんです」
「そうか。で、そのお母さんが何て?」
「金の無心です。今までも何回かそういうことがあったので……」
「金の? でも、お母さんは再婚しているんだろう? だったら、夫がいるんじゃないか?」
「そうです。でも、なぜか時々お金に困ってるみたいで、私に無心してくるんです」
「で、頼まれるたびに、君は助けてやるのか?」
「今までは……。でも、この間、初めて断りました。私も引越しをしたり転職したりで、いろいろ物入りでしたから」
「なるほど。だから、断ってしまった自分を悔いてる?」
「悔いてはいません。あの人は、ひどいことをした女ですから」
「それは、どういう意味だ?」
花梨の強い口調に驚いた柊は、穏やかな声で尋ねた。
すると彼女は、重い口を開いた。
「うちの父は、小さな町工場を経営していたのですが、悪い人に騙されて、工場も家も土地もすべて奪われてしまったんです」
「…………」
「あ、すみません。いきなり重い話で……」
「いや……でも少し驚いたよ。で、そのことがきっかけで、ご両親は離婚したのか?」
「はい。騙された父に愛想をつかした母は、男を作って家を出て行きました。あ、家って言っても、賃貸のぼろアパートでしたけどね」
「そうか……」
柊は花梨にかける言葉が見つからず、しばらく黙り込む。しかし、すぐにこう尋ねた。
「で、その後、お父さんは?」
「母が出て行った後、父はさらに絶望して家を出て行きました。今は、北海道で牧場を営む友人のところで世話になっているようです」
「そうか……。いろいろあったんだな」
「はい」
「だから君は不動産会社に入ったの?」
「さすが課長、するどい! おっしゃる通りです。知識がない人間はカモにされるから、不動産に関する知識を身につけようと思って前の会社に入りました。でも、働いてるうちに、うちみたいな不幸な家庭を出さないようにって思い始めて……」
「それで、相手の気持ちに寄り添う営業をするようになったんだね?」
柊がさりげなく褒めてくれたので、花梨の胸の内がほんのりと温かくなった。
(この人は、部下のことをちゃんと見てくれている……)
そう思いながら、花梨は優しい笑顔を浮かべて言った。
「まあ、そういうことです」
「そうか……。で、君が愛だの恋だのを信用しないって言ったのも、ご両親のせい?」
「そうかもしれません。長年連れ添っていても、壊れる時はあっという間でしたから」
「なるほどね……」
柊は軽く頷きながら言った。
その時、パンケーキが運ばれてきたので、二人は話を中断した。
目の前に置かれた美味しそうなパンケーキを見て、花梨は小さく叫んだ。
「わぁ、美味しそう! いただきます」
「いただきます」
二人は、ふわふわの甘いパンケーキをさっそく食べ始めた。
一口食べた花梨は、あっという間に口の中でとろけるパンケーキに絶叫した。
「美味しい! 噂通りすごく美味しいです!」
「うん、あっという間にとろけるな」
「うふふ、なんか課長とパンケーキの構図、まるでバグみたいですよ」
「なんだ、それ」
「だって、めったに見られない光景ですもの。写真撮っちゃおうっと!」
花梨はバッグから携帯を取り出すと、スーツ姿でパンケーキを頬張っている柊を撮影した。
「こら! 会社では見せるなよ」
「分かってます!」
花梨は楽しそうに笑いながら、再び甘いパンケーキを食べ始めた。
コメント
13件
まさかの既婚者と思われてたって🤭課長はショックだったかも〜 でもこれから少しずつ少しずつ距離が近くなりますね お母さんの件は話せてよかった🥺ひとりだといろいろ考えてしまうからね
金の無心をする親の言いづらい話しも柊さんに話せて良かった。一人で抱え込まないでね。 パンケーキもいける柊さん🤩 2人の距離感も縮まってくね💕
毎度お馴染みmoonbucks☕🌙 そのうち柊さんからクッキーの差し入れがあるかも。ゎ‹ ゎ‹⁽⁽ᐠ(♡•ᴗ•˶)ᐟ⁾⁾ 柊さん、花梨ちゃんの心の隙間に入り込むのがホントお上手で… 営業だからか女馴れしてるからかw 色々と秘密を共有する事で仲がどんどん深まってます♡ お母様の事を聞いて、柊さんがどう動くのかも見ものです! 余談ですが、カップ麺を作るイケメンにトキメキます( ´・֊・` )