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#命
ruruha
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#学園
要 九十九
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星キラリ

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眠狂四郎
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花は、机の上に並べた写真を、何度も見返していた。
五歳の夏。海辺。高校の制服。そして、花火部の仲間たちと並んで笑っている写真。
どれも、花が生まれる前のものだった。
写真の中の美咲は、いつも少しずつ違う顔をしていた。幼い頃は、カメラを意識しているのか、口を大きく開けて笑っている。海辺の写真では、風に髪を乱されながら、誰かに向かって顔をしかめている。高校時代の写真では、隣の女の子に寄りかかり、何かを言われたように笑っていた。
同じ人なのに、知らない顔ばかりだった。
花は、自分の顔を鏡で見ることがある。
祖父からは、美咲に似ていると言われたことがあった。目元が似ているのだという。
けれど、写真を見ても、どこが似ているのか分からなかった。
美咲は、写真の中で誰かと笑っている。
花は、学校で笑うことが少なくなっていた。
笑ったら何か言われるのではないか。笑わなかったら、感じが悪いと思われるのではないか。そんなことばかり考えて、自然に笑うということが、いつの間にか難しくなっていた。
写真の中の美咲は、そんなことを気にしているようには見えなかった。
もちろん、写真だけで何もかも分かるわけではない。
祖父も言っていた。楽しいことばかりではなかったのだと。
それでも、花は知りたかった。
母親が、どんなふうに毎日を過ごしていたのか。
何を考え、何に悩み、誰と一緒にいたのか。
写真の中の美咲は、ただ母親という役割を持った人ではなかった。
花が生まれる前から、ひとりの人間として生きていた。
そのことを、花は初めて実感していた。
翌朝、花はいつもより少し早く起きた。
学校へ行くことを考えると、胸は重くなった。昨日休んだからといって、教室での扱いが変わるわけではない。休んだ理由を聞かれるかもしれないし、何か言われるかもしれない。
それでも、昨日より少しだけ、気持ちが違っていた。
机の上に置いた写真が、頭に残っていたからだ。
美咲も、学校へ通っていた。
友達がいて、部活動があって、進路や将来のことを考える時間があった。
花には想像できないことばかりだったが、同じ年頃の美咲が、どこかの教室で授業を受けていたのだと思うと、少し不思議だった。
自分と母親は、まったく違う場所を生きている。
それでも、学校へ行くということだけは、同じだったのかもしれない。
「花、起きたんか」
台所に入ると、祖父が朝食を用意していた。
「うん」
「今日はどうする?」
花は、すぐには答えられなかった。
祖父は学校へ行くようにとも、休むようにとも言わなかった。ただ、花の返事を待っていた。
「……行ってみる」
「そうか」
祖父はそれ以上、何も言わなかった。
花は椅子に座り、味噌汁を一口飲んだ。
昨日より、少しだけ食べられそうだった。
「おじいちゃん」
「ん?」
「お母さんって、学校ではどんな感じだったの?」
祖父は、茶碗を置いた。
「学校での美咲か。わしは学校におらんかったからなあ」
「……そっか」
「せやけど、帰ってきたら、よう友達の話をしとったで」
「友達の話?」
「今日は誰と何をしたとか、誰がこんなこと言うておもろかったとか。まあ、毎日ぜんぶ話してくれたわけやないけどな」
花は、箸を止めた。
母親が、家で友達の話をしていた。
誰かと一緒に過ごした時間を、家に帰ってから思い出していた。
「……楽しそうだった?」
「楽しそうな日もあったし、腹立てて帰ってくる日もあったな」
祖父は少し笑った。
「友達と喧嘩した言うて、帰ってきてからずっと文句言うとったこともあるで」
「お母さんが?」
「せや。自分にも悪いところがあったんちゃうか言うたら、そんなん分かっとるわ、って怒られたわ」
花は思わず、小さく笑った。
想像できなかった。
写真の中の美咲は、いつも笑っているように見えたからだ。
けれど、祖父の話に出てくる美咲は、怒ったり、言い返したり、自分の気持ちを隠さずに話したりする人だった。
写真の中には写っていない顔だった。
「……お母さんって、どんな人だったの?」
花は、もう一度尋ねた。
祖父は少し考えた。
「そうやなあ。元気で、負けず嫌いで、思い立ったらすぐ動く子やった」
「負けず嫌い?」
「せや。ゲームでも何でも、負けたら悔しがってな。もう一回やる言うて、勝つまでやめへんこともあったわ」
花は写真を思い浮かべた。
あの笑顔の中にも、そんな性格が隠れていたのだろうか。
「……私とは、違うね」
気づけば、そう言っていた。
祖父は花を見た。
「何がや?」
「私、そんなに元気じゃないし。負けたら、もういいって思うし……」
言いながら、花は自分の言葉が少し恥ずかしくなった。
母親と自分を比べて、何になるのだろう。
美咲は美咲で、花は花だ。
そんなことは分かっていた。
それでも、知らない母親を知ろうとすると、自分と比べずにはいられなかった。
「……似てないのかな」
祖父は、すぐに答えなかった。
それから、ゆっくり口を開いた。
「似とるところも、違うところもあるやろ。親子やからって、同じ人間になるわけやない」
花は黙って聞いていた。
「花には花の性格がある。美咲には美咲の性格があった。それでええんや」
それでいい。
その言葉を、花は心の中で繰り返した。
自分は母親のように元気でなくてもいい。
友達がたくさんいなくてもいい。
母親と同じように笑えなくても、同じように振る舞えなくてもいい。
そう考えてみたかった。
けれど、学校へ行けば、また自分が周りと違うことを思い知らされるのだろう。
花は茶碗を置いた。
「……行ってくるね」
「気ぃつけてな」
祖父の声を背中に受け、花は玄関を出た。
教室に入ると、何人かの生徒がこちらを見た。
花は、できるだけいつも通りに自分の席へ向かった。
「花、昨日休んでたやん」
近くの女子が声をかけてきた。
「……うん」
「なんかあったん?」
花は鞄を机の横に掛けた。
「ちょっと、体調が悪くて」
「ふうん」
女子はそれ以上聞かなかった。
そのまま別の友達のところへ行き、何かを話し始めた。
花は、息を吐いた。
何も聞かれなかったことに安心した。
でも、すぐに不安が戻ってきた。
あの子は本当に気にしていないのだろうか。
あとで誰かに話すのだろうか。
休んだ理由を、勝手に想像されているのではないだろうか。
考えても分からないことばかりだった。
花は教科書を机に出した。
授業が始まり、先生が黒板に文字を書いていく。
花はノートを取りながら、昨日見た写真のことを思い出していた。
美咲も、こうして授業を受けていたのだろうか。
眠くなることもあっただろうし、授業の内容が分からないこともあっただろう。
友達と小さな声で話して、先生に注意されたこともあったのかもしれない。
そう考えると、母親が少しだけ近くなった気がした。
遠い昔の、知らない人。
それだけだった美咲が、少しずつ、毎日を生きていた人になっていく。
花は、ノートの端に小さく書いた。
『お母さんは、どんな高校生だったんだろう』
書いてから、慌てて消しゴムで消した。
誰かに見られたら、何を書いているのか聞かれるかもしれない。
母親のことを考えていたと知られるのが、なぜか恥ずかしかった。
消しゴムの跡が、ノートに薄く残った。
花は、その跡を指でなぞった。
消してしまったけれど、考えたことまでなくなるわけではなかった。
昼休み、花は弁当を開けた。
昨日より少し食欲があった。
祖父が入れてくれた卵焼きを一口食べる。ゆっくり噛んで、飲み込む。
それだけのことなのに、今日は少しだけ、食べられたという実感があった。
隣の席では、女子たちが文化祭の話をしていた。
「うちのお化け屋敷、ほんまに怖くできるんかな」
「照明暗くしたら、いけるんちゃう?」
「誰か脅かす役やってや」
「絶対嫌や。うち、びっくりさせるん下手やもん」
笑い声が上がる。
花は弁当を食べながら、その会話を聞いていた。
以前なら、笑い声が聞こえるたびに、自分のことを話しているのではないかと考えていた。
今日も、その不安がなくなったわけではない。
それでも、ほんの少しだけ、別のことを考えられた。
母親も、こんなふうに友達と話していたのだろうか。
文化祭の準備をして、何を作るか相談して、くだらないことで笑っていたのだろうか。
花火部の写真に写っていた人たちは、どんな話をしていたのだろう。
誰が冗談を言って、誰が一番大きな声で笑っていたのだろう。
美咲は、どんな声で笑っていたのだろう。
花は、知らない母親の笑い声を想像した。
もちろん、実際の声は分からない。
けれど、写真の中で目を細めている美咲を見ていると、声を立てて笑っている姿が浮かんでくるようだった。
「……お母さん」
花は、誰にも聞こえないくらい小さな声でつぶやいた。
自分でも、どうしてそんなことを口にしたのか分からなかった。
ただ、母親がどこかにいるような気がした。
写真の中にしかいない人なのに。
もう会うことのできない人なのに。
花は、少しだけ寂しくなった。
放課後、花は寄り道をせずに家へ帰った。
玄関を開けると、祖父が居間で洗濯物を畳んでいた。
「ただいま」
「おかえり。学校、どうやった?」
花は靴を脱ぎながら考えた。
楽しかったわけではない。
つらくなかったわけでもない。
でも、いつもより少しだけ、母親のことを考える時間があった。
「……普通だった」
いつもの答えだった。
祖父は、花の顔を見てから、短くうなずいた。
「そうか」
それ以上、聞かなかった。
花は部屋へ行き、鞄を置いた。
机の上には、昨日の写真が残っていた。
花火部の仲間たちが並んでいる写真。
美咲は真ん中で笑っている。
花は写真を手に取り、居間へ戻った。
「おじいちゃん」
「ん?」
「この写真の人たちって、みんなお母さんの友達?」
祖父は洗濯物を畳む手を止めた。
写真を受け取り、目を細める。
「せや。花火部の仲間や」
「……花火部って、何をするの?」
「花火を作ったり、打ち上げの準備をしたりする部活やったんや。もちろん、危ない作業には決まりがあったし、何でも好き勝手にできるわけやないけどな」
花は写真を見た。
花火を作る部活。
そんなものがあることを、初めて知った。
「……お母さん、花火が好きだったの?」
「好きやったで。夜空に花が開く瞬間がええんや言うてな」
祖父は少し笑った。
「小さい頃から、花火を見ると、いつも最後まで空を見上げとった」
花は、写真の中の美咲を見つめた。
花火が好きだった。
それは、花が知らなかった母親の一面だった。
「……どんな花火が好きだったの?」
「そこまでは、覚えとらんなあ。今度、古いアルバムをもうちょい探してみよか」
「うん」
花はうなずいた。
聞きたいことが、また一つ増えた。
美咲は、どんな花火が好きだったのだろう。
大きな花火だろうか。
小さくて、たくさん開く花火だろうか。
色鮮やかな花火だろうか。
それとも、夜空に一輪だけ咲く花火だろうか。
花は、写真の中の美咲が花火を見上げる姿を想像した。
その横には、きっと仲間たちがいたのだろう。
誰かが騒いで、誰かが笑って、美咲もその中で笑っていたのかもしれない。
花は、その光景を想像するだけで、胸の奥が少し温かくなるのを感じた。
「……お母さん、幸せだったのかな」
口にしたあと、花は祖父の顔を見た。
祖父は、すぐには答えなかった。
写真を見つめ、しばらくしてから言った。
「幸せな時間は、あったと思うで」
「……ずっと?」
「ずっと、とは言えへんな。つらいこともあったやろし、悩んだこともあったはずや」
祖父は写真を花に返した。
「せやけど、この写真に写っとる美咲は、楽しそうやろ」
花はうなずいた。
「……うん」
「その時間は、ほんまにあったんや。誰かが幸せやった時間を、ずっと続いたかどうかだけで決めんでもええんちゃうかな」
花は、写真の中の美咲を見た。
楽しい時間があった。
悩んだ時間もあった。
それでも、写真に残るほど笑った瞬間があった。
その全部が、美咲の人生だったのだろう。
花は、今まで自分の毎日を、つらいか、つらくないかでしか考えられなかった。
学校で嫌なことがあると、一日全部が嫌なものに思えた。
少し楽しいことがあっても、そのあとに何かが起きれば、最初から何もなかったような気持ちになった。
でも、母親の人生は、写真一枚では説明できない。
なら、自分の人生だって、今の気持ちだけで全部決まるわけではないのかもしれない。
そう考えた途端、花は怖くなった。
期待してしまうからだ。
いつか自分にも、楽しい時間ができるのではないかと。
今の毎日とは違う時間が、どこかにあるのではないかと。
そんなことを考えて、もし何も変わらなかったら。
また傷つくだけなら。
花は、写真を胸の前で抱えた。
「……また、見てもいい?」
「もちろんや。花のお母さんの写真やからな」
祖父は、いつものように穏やかに答えた。
花は小さくうなずいた。
夜、花は自分の部屋で写真を並べていた。
五歳の美咲。
海辺の美咲。
高校生の美咲。
花火部の仲間たちと笑う美咲。
一枚ずつ眺めているうちに、花は写真の中の人たちにも興味が湧いてきた。
美咲の隣にいる女の子は、誰なのだろう。
いつも隣にいるのだろうか。
写真を撮ったのは誰だろう。
美咲が一番仲良くしていた人は、どの人だったのだろう。
みんなで何を作って、何を話して、どんな夏を過ごしたのだろう。
花は、写真の裏に書かれた文字を思い出した。
『最後の夏になるなんて、誰も思ってへんかった』
どうして、そんな言葉が残されているのだろう。
写真を見ていると、みんながこの先も一緒にいることを、当たり前のように思っていたのではないかと感じる。
来年も一緒に笑える。
卒業しても会える。
大人になっても、いつか思い出話ができる。
そんな未来が、みんなの中にあったのではないだろうか。
花は、写真をそっと机に置いた。
未来が当たり前に続くなんて、本当は誰にも分からない。
けれど、花火部の人たちは、きっと明日が来ることを疑っていなかった。
母親も、そうだったのだろうか。
花は、写真の中の美咲を見つめた。
美咲は笑っている。
その笑顔を見ていると、どうしても聞いてみたくなった。
お母さんは、どんな明日を楽しみにしていたの?
どんな大人になりたかったの?
どんな未来を思い描いていたの?
花は、答えの返ってこない問いを、心の中で繰り返した。
そして、写真を封筒に戻す前に、もう一度だけ美咲の顔を見た。
自分は母親のことを、何も知らない。
それでも、知りたいと思った。
母親が生きていた時間を。
母親が好きだったものを。
母親が大切にしていた人たちを。
花は、写真を大事に封筒へ戻した。
机の引き出しにはしまわず、枕元に置いた。
明日も学校へ行かなければならない。
それを考えると、やはり胸は重かった。
何かが急に変わったわけではない。
教室が怖くなくなったわけでも、周りの人たちが優しくなったわけでもない。
それでも、花の中に一つ、小さな気持ちが残っていた。
母親のことを、もっと知りたい。
その気持ちは、学校で何があっても、すぐには消えないような気がした。
花は布団に入り、目を閉じた。
枕元には、知らない母親の写真がある。
会うことのできない人。
声を聞くことのできない人。
それでも、確かにこの世界で生きていた人。
花は初めて、母親の人生の続きを知りたいと思った。
写真の中の美咲が、どんなふうに生きていたのか。
そして、あの夏に何があったのか。
その答えは、まだどこにも見つかっていなかった。
コメント
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第7話、読み終わりました。写真の中の美咲が「ただの母親」じゃなくて、ひとりの高校生として少しずつ立ち現れてくる感じがとても好きでした。特に祖父との朝の会話、「負けず嫌いで元気な子だった」っていう言葉に、花が「私とは違うね」ってつぶやくところ、胸がぎゅっとなりました。あのシーン、すごく自然でリアルだったな。知らない人の人生を知るって、自分と比べずにはいられないですよね。花が今夜、枕元に写真を置いて眠る気持ち、じんわり伝わってきました。続きが気になります。