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星キラリ

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ruruha
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榎本くもり
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花は、自分の机が嫌いだった。
机そのものが嫌いなわけではない。木目の薄い天板も、少しガタつく脚も、入学したときから使っている椅子も、別にどうでもよかった。
嫌いなのは、そこに自分の名前があることだった。
「なあ、花。これ、お前の?」
昼休み。前の席に座っていた男子が、花の筆箱を指先でつまみ上げた。
「……うん」
「へえ。こんなん使ってんねや」
男子は隣の友達に筆箱を見せた。二人で何かを言い合い、笑った。
花は手を伸ばした。
「返して」
「え、何? 聞こえへん」
「返してって」
「うわ、怒った」
筆箱が机の上に落とされた。中から転がり出たシャーペンが床に落ちる。
拾おうと腰をかがめたとき、誰かの足がシャーペンを踏んだ。
「あ、ごめん。見えへんかったわ」
芯が折れた。
花は床に落ちたそれを拾い、何も言わずに筆箱へ戻した。
「なんか言えや」
返事をしなかった花に、男子が不満そうな声を上げた。
「ほんま、おもんないな」
その言葉に、周りの何人かが笑った。
花は席に戻った。
何も言わなければ、つまらないと言われる。言い返せば、面倒くさいと言われる。先生に話せば、告げ口をしたと言われる。
どれを選んでも、結局は同じだった。
なら、何も選ばないほうがいい。
花はそうやって、少しずつ自分の行動を減らしていった。
友達を作ろうとすることも、休み時間に誰かへ話しかけることも、授業で手を挙げることも。
何かをすれば、そこを笑われる。
何もしなければ、何もしていないことを笑われる。
いつからそうなったのか、もうはっきりとは思い出せなかった。
五時間目の授業中、花は教科書を開いていた。
「じゃあ、次。花、読んで」
先生に指名され、花は立ち上がった。
教科書に目を落とす。
「……」
「花?」
文字が頭に入ってこなかった。
後ろから、小さな声が聞こえた。
「声ちっさ」
「また始まった」
笑いをこらえるような声だった。
花は喉を動かした。声を出そうとしたのに、うまく出てこなかった。
「聞こえへんから、もうちょっと大きい声で読んで」
先生はそう言った。
花は読み始めた。
途中で一度、言葉を間違えた。
「そこ違うで」
すぐに指摘された。
教室のどこかで笑い声が上がった。
花は最後まで読み終え、席に座った。
「ちゃんと予習してきてな」
先生の言葉に、花は小さくうなずいた。
予習はしていた。
家で何度も読んだ。間違えないように、声に出して練習もした。
それでも間違えた。
間違えたことよりも、みんなが自分の失敗を待っていたように感じたことのほうが、ずっと苦しかった。
授業が終わると、花はトイレへ向かった。
個室に入り、鍵をかける。
誰もいないことを確認してから、ようやく息を吐いた。
泣きたかったわけではない。
ただ、教室にいる間ずっと、身体に力が入っていた。
笑われないように。
怒らせないように。
目立たないように。
邪魔だと思われないように。
何をするにも、誰かの反応を先に考えてしまう。
自分がどうしたいかなんて、考える余裕がなかった。
花は手を洗い、鏡を見た。
そこに映っている顔は、いつもと変わらなかった。
変わらないことが、嫌だった。
こんなに苦しいのに、外から見れば何も起きていない。
誰も気づかない。
気づいてもらえない。
自分がどれだけ嫌な思いをしているのか、説明しなければ伝わらない。けれど、説明したところで信じてもらえるとは限らない。
花は鏡から目をそらした。
もう、帰りたかった。
家に帰れば祖父がいる。
祖父はいつも通り、台所に立っているだろう。
学校はどうやった、と聞くこともある。花が「別に」と答えれば、それ以上は聞かない。
優しい人だと思う。
けれど、祖父の前でまで学校のことを考えたくなかった。
心配をかけたくないというより、話したところで何かが変わるとは思えなかった。
祖父が自分を大切にしてくれていることと、学校で自分が嫌われていることは、花のなかでは別々の話だった。
家に帰っても、学校で起きたことは消えない。
翌朝になれば、また同じ場所へ行かなければならない。
花は水を止めた。
手についた水滴を、制服のスカートで拭いた。
放課後、花の靴がなくなっていた。
「……あれ」
下駄箱を開けても、靴はなかった。
周りを見回すと、少し離れたところで数人がこちらを見ていた。
「どうしたん?」
一人が、わざとらしく尋ねた。
「靴、ないん?」
別の女子が笑った。
「探したら? 自分で」
花は返事をしなかった。
校舎の端まで探しに行き、階段の下に置かれている上履きを見つけた。片方は裏返り、もう片方は濡れた床に落ちていた。
拾い上げる。
汚れていた。
花はしばらく、その上履きを見ていた。
腹が立った。
悲しかった。
どうして自分ばかり、こんなことをされなければならないのかと思った。
けれど、誰かに怒りを向けることができなかった。
怒れば、もっとひどいことをされるかもしれない。先生に言えば、また面倒なことになるかもしれない。
何より、相手が自分を嫌っていることを、わざわざ確かめたくなかった。
花は靴の汚れを手で払った。
そして、誰にも見られないように、ゆっくりと靴を履いた。
校門を出ると、夕方の風が吹いていた。
楽しそうに話しながら歩く生徒たちが、花の横を通り過ぎていく。
「今日、どこ寄る?」
「駅前!」
「お前も来るやろ?」
そんな会話が聞こえた。
花は歩く速度を上げた。
自分には関係のない話だった。
誰かと遊びたいわけではない。
友達が欲しいと口にすることすら、今は怖かった。
ただ、せめて普通に学校へ行きたかった。
朝、目が覚めたときに、今日も学校かと思って苦しくならずに済むようになりたかった。
教室の扉を開けるとき、誰が自分を笑うのか考えずに済むようになりたかった。
それだけだった。
それだけのことが、どうしてこんなに難しいのだろう。
「おかえり」
玄関を開けると、祖父の声がした。
「……ただいま」
「飯、もうちょいでできる」
「うん」
花は靴を脱ぎ、鞄を持って自分の部屋へ向かった。
祖父は台所から顔を出した。
「花」
「なに?」
「今日、学校はどうやった」
花は振り返った。
祖父はいつもの顔をしていた。
眉間に少ししわが寄っていて、何を考えているのか分かりにくい。昔からそうだった。嬉しいときも、困っているときも、顔だけではほとんど分からない。
「別に」
「そうか」
それだけで会話は終わった。
花は部屋へ入り、扉を閉めた。
ベッドに腰を下ろす。
鞄を床に置き、制服のまま横になった。
天井を見つめていると、学校での出来事が次々と浮かんできた。
筆箱を取られたこと。
教科書を読めなかったこと。
靴がなくなっていたこと。
一つひとつは、誰かに話せば大したことではないと言われるかもしれない。
そんなことで?
気にしすぎやろ。
無視したらええやん。
花自身、何度もそう考えようとした。
けれど、明日も同じことが起きる。
明後日も、その次の日も。
いつ終わるのか分からないまま、毎日同じ場所へ行く。
嫌なことが起きるかもしれないと考えながら朝を迎え、何も起きないように一日を過ごし、帰宅してから今日も何とか終わったと安堵する。
それを繰り返しているうちに、花は自分が何のために学校へ行っているのか分からなくなっていた。
勉強をしたいわけでもない。
会いたい人がいるわけでもない。
将来の夢があるわけでもない。
ただ、学校へ行かなければならないから行っている。
生きているから、明日もある。
明日があるから、また学校へ行かなければならない。
花は布団を頭までかぶった。
何も考えたくなかった。
「花、ご飯やで」
しばらくして、扉の向こうから祖父が呼んだ。
「いらん」
「食べへんのか」
「うん」
少し間があった。
「分かった。あとで腹減ったら言いや」
足音が遠ざかる。
花は目を閉じた。
祖父は悪くない。
自分を心配してくれていることも分かっている。
それなのに、優しくされると苦しくなることがあった。
祖父にとって自分は、大切な孫なのだろう。
では、学校の人たちにとって自分は何なのだろう。
邪魔な人。
笑っていい人。
何をしても構わない人。
自分がいなくなっても、きっと誰も困らない。
そう考えると、不思議なくらい静かな気持ちになった。
悲しいというより、もう何も期待しなくていいのだと思った。
期待しなければ、傷つくことも減る。
誰かに分かってほしいと思わなければ、分かってもらえなかったときに苦しまなくて済む。
花は、少しずつそんなふうに考えるようになっていた。
夜、花が居間へ行くと、祖父は一人で茶を飲んでいた。
食卓には、ラップをかけた夕飯が置かれている。
「……これ、食べてええの」
「お前の分や」
花は椅子に座った。
冷めたご飯を口に運ぶ。味はよく分からなかった。
祖父は何も言わず、湯飲みを置いた。
「花」
「ん?」
「最近、学校で何かあったんか」
箸が止まった。
祖父は花を見ていた。
花は、何か言おうとした。
今日のことを話せばいいのだろうか。
筆箱を取られたこと。教科書を読んで笑われたこと。靴がなくなったこと。
けれど、話したところでどうなるのだろう。
祖父が学校へ行って、相手にやめろと言ってくれるのだろうか。
先生に話してくれるのだろうか。
仮に一度やめさせることができても、そのあと自分がどうなるのか。
考えるだけで、喉が詰まった。
「何もない」
花は答えた。
祖父はすぐには何も言わなかった。
「……そうか」
また、それで終わった。
花は食事を続けた。
祖父も、それ以上は聞かなかった。
その夜、花は布団に入ってから、祖父との会話を何度も思い返した。
何かあったんか。
何もない。
そうか。
本当は、何もないわけではなかった。
何もない日なんて、一日もなかった。
けれど花には、自分が何をされているのかを、誰かに分かるように話すことさえ難しかった。
自分の苦しさを説明して、相手に信じてもらって、それから助けてもらう。
そこまでしなければ、自分は助からないのだろうか。
花は目を開けた。
暗い部屋のなかで、天井は見えなかった。
明日も学校がある。
明日も、教室へ行く。
何も変わらない。
誰も、自分を待っていない。
花は布団のなかで身体を小さく丸めた。
このときの花は、まだ知らなかった。
祖父が夜中に何度も目を覚まし、花の部屋の前まで来ては、扉を開けずに戻っていたことを。
そして祖父もまた、どうすれば孫を守れるのか分からずにいたことを。
翌朝になれば、花はまた制服に袖を通す。
祖父が用意した朝食を食べ、玄関で「行ってきます」と言い、学校へ向かう。
誰にも気づかれないように。
何も起きていないように。
自分がもう、毎日を続けることに疲れ果てていることさえ、悟られないように。
花は明日も、学校へ行くつもりだった。
その先に何が待っているのか、考えないようにしながら。
コメント
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花ちゃんが「何も選ばない」って少しずつ自分を削っていく描写、読んでて胸がぎゅっとなった…😭 筆箱も教科書も靴も、一つひとつが静かに重い。ラストで祖父が夜中に扉の前まで来てたって明かされるところ、涙腺やられたよ。誰も悪くないのに救われない感じが切ない。2話も待ってます🌸