テラーノベル
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その日の夕方、月椿堂の奥座敷には、玩具づくりの道具ではなく、書類の束が積み上がっていた。
クリストルンは畳に正座したまま、目の前の紙の山を見つめる。
「これ全部、今日のうちに見るの?」
「見る」
レリヤが即答する。
「夢を守るなら、まず数字を読むの」
「その顔で言うと怖いです」
「その顔って何よ」
暗算は相変わらず苦手らしく、レリヤは途中で何度も電卓をたたき直していた。だが、数字のつながりを嗅ぎ当てる速さは恐ろしいほどだった。
「見て。二十年前の原価表、承認前と承認後で部品番号がずれてる」
「こんな少しで分かるの?」
「少しだから分かるの。大きくごまかす人間は少ない」
隣ではディトが工場記録を広げている。
生産ラインの停止時刻、再開時刻、安全確認書の署名。無愛想な声で、一つずつ読み上げていく。
「この日、現場は止めてる。だが会議の報告では止まってない」
「じゃあ」
「誰かが、止まってないことにした」
ペトロニオはノートパソコンをひらき、当時異動させられた社員たちの証言メモを整理していた。場を和ませる男の顔はどこにもない。珍しく、笑っていなかった。
「こっちは三人分。全員、同じ言い回ししてる。『現場判断を上が嫌がった』」
「証言になる?」
「一人なら弱い。でも三人重なると、空気じゃなくて流れになる」
ルチノは父の書庫から見つけた古い会議メモを机へ置いた。
そこには、量産の遅れによる損失見込みと、対外発表の日程が並んでいる。
「父さんは危険を知らなかったわけじゃない」
絞り出すような声だった。
「知ってて、順番を間違えた」
クリストルンは父の名が入った書類を見つめた。
モンジェ個人の責任としてまとめられた報告書。その横に、違う筆跡で書き足された数字がある。
「これ……」
「うん」
レリヤがうなずく。
「今の管理表と癖が同じ。二十年前も、誰かが帳尻を合わせた」
部屋の空気が変わっていく。
怒りや悔しさが、ようやく形を持ち始めた。
泣いたことも、叫んだことも、無駄じゃなかった。記録は残る。残っていれば、つなげられる。
クリストルンはゆっくり顔を上げた。
「これ、出せる?」
「出す」
ディトが短く言う。
「やっと現場の話になる」
レリヤは紙をそろえ、クリップで留めた。
「二十年前の数字。今の数字。承認印の流れ。これで逃げ切るのは難しい」
ペトロニオが苦く笑う。
「笑えない資料って、広報的には最強なんだよね」
「今は笑わなくていいです」
「分かってる」
ルチノは最後の一枚を重ねた。
「明日、役員の前に出す」
その言葉を聞いた瞬間、クリストルンの胸がどくりと鳴った。
真実は、見つけるだけでは足りない。差し出す瞬間に、誰かが傷つく。
それでももう、戻れなかった。
数字が告げる真実は、明日、誰の前にも置かれる。
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空乃 美晴
89
雨晒しの原稿用紙