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空乃 美晴
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雨晒しの原稿用紙
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翌日。白椿トイズ本社の大会議室には、役員と幹部が揃っていた。
重たい扉が開いたとき、最後に入ってきた人物を見て、ざわめきが起こる。
モンジェだった。
退院したばかりの体にまだ本調子ではない影が残っている。けれど背筋は伸びていた。大きな歩幅で前へ進み、会議室の中央で止まる。
クリストルンは立ち上がりかけたが、モンジェは片手で制した。
「座ってろ」
その声は、娘に向けたものだったのに、会議室全体を静める力があった。
ヴァルボンが口を開く。
「来てくれてありがとう」
「礼を言われる筋合いじゃない」
モンジェは椅子に座らず、立ったまま言う。
「今日は、残ってたもんを置きに来ただけだ」
机の上へ、古びた手帳と、当時の作業メモが並べられる。
どれも使い込まれて角が丸くなっていた。長い時間をくぐってきた紙の色をしている。
「二十年前、俺は止めた」
モンジェはまっすぐ前を見た。
「安全試験を通る前に量産へ回すなと、何度も言った」
ディトが手元の記録と照らし合わせ、静かにうなずく。
「だが現場は急かされた。納期、損失、取引先、発表日。理由はいくらでも並んだ」
モンジェの声は低い。
「俺は最後まで突っぱねるつもりだった」
そこで、ほんのわずかに言葉が止まった。
クリストルンの喉が詰まる。
「……でも、守りきれなかった」
会議室の空気が張る。
「娘がいた。妻がいた。もし俺一人の首で収まるなら、それで終わらせちまおうと考えた」
モンジェは笑わなかった。
「立派な話じゃない。弱かったんだ」
その自己評価を、クリストルンは胸の奥で否定したくなった。
だが父は、自分の弱さまで含めて、ここへ持ってきたのだと分かる。
「黙った結果、何が残った」
モンジェはゆっくり周囲を見回す。
「現場には傷だけが残った。会社には嘘が残った。家には、娘に話せない時間が残った」
ヴァルボンが目を閉じる。
エドワインは前を向いたまま、指先だけをぎゅっと握っていた。
「俺は今日、名誉を返せと言いに来たんじゃない」
モンジェは続ける。
「まず、事実を元に戻せと言いに来た」
その言葉は強かった。
怒鳴り声ではない。けれど、二十年分の重さが乗っていた。
資料が一枚ずつ配られていく。原価表、停止記録、承認印、当時のメモ。
モンジェの証言は、それらの紙ときれいに重なっていた。
「俺は職人だ」
最後にモンジェはそう言った。
「だから、危ないものを子どもに渡せない。それだけは二十年前も、今も変わってない」
クリストルンは、涙がこぼれそうになるのをこらえた。
父がやっと、父自身の言葉で立っている。
会議室の隅で、ペトロニオが小さく息を吐く。
誰も軽口を言えない静けさの中で、真実だけが机の上に残った。