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母がまだ生きていた午後十一時四十分。
一人の男が、
母の死亡届を役所へ提出した。
私は防犯カメラの静止画から目を離せなかった。
五十代から六十代。
黒いジャケット。
短い髪。
眼鏡。
知らない男。
そのはずだった。
なのに、
妙に気になる。
「六人目だ」
佐伯課長は言った。
「この人が?」
「ああ」
「名前は?」
死亡届を見る。
届出人。
三田村彰。
六十四歳。
続柄。
知人。
「三田村……」
口にしてみる。
やっぱり、
覚えがない。
「母とどういう関係だったんですか」
佐伯はすぐに答えなかった。
「十五年前は、高瀬さんの会社にいた」
「社員?」
「いや」
「じゃあ」
「社会保険労務士だ」
私は眉を寄せた。
「外部の?」
「ああ。会社の労務関係を担当していた」
高瀬。
榊原。
奈緒。
母。
そこへ、
三田村。
「A-07の送金も知ってた?」
「可能性は高い」
「二十九年前の出生のことも?」
「そこまでは分からない」
「死亡通知には?」
佐伯が頷く。
「十五年前、千佳さんが七人を集めようとしたとき、三田村も呼ばれていた」
「七人の一人?」
「当時はな」
私は違和感を覚えた。
「今まで名前が出なかった」
「千佳さんが途中で外した」
「どうして?」
佐伯の表情が曇る。
「三田村は、全部話すと言ったからだ」
「なら母にとって敵じゃない」
「最初は」
嫌な言い方だった。
「何があったんです」
佐伯は椅子に座る。
「三田村は十五年前、会社の不正について資料を持っていた」
「高瀬さんの?」
「高瀬だけじゃない」
「じゃあ誰の」
「会社ぐるみだ」
A-07。
存在しない人間への送金。
奈緒に命令された事故。
久我を使った工作。
「三田村さんは、それを警察へ出そうとした?」
「千佳さんに渡そうとした」
「実際に?」
「渡した」
「なら、その資料は?」
佐伯が首を振る。
「消えた」
また。
「母が隠した?」
「分からない」
「三田村さんは何て?」
「千佳さんに盗まれたと言った」
私はため息をついた。
どこへ進んでも、
母は誰かの人生から何かを奪っている。
「それで三田村さんも母を恨んだ?」
「それだけじゃない」
「他に?」
佐伯は私を見る。
「妻が死んだ」
私は止まった。
「母のせいで?」
「三田村はそう思っていた」
「何があったんです」
「十五年前、三田村の妻は千佳さんのことを調べていた」
「どうして」
「夫に頼まれて」
「何を?」
「二十九年前の岸本総合病院のこと」
またそこだった。
「三田村さんも出生事件を追ってた?」
「ああ」
「妻は何を見つけたんです」
佐伯は首を振る。
「それを報告する前に死んだ」
「死因は?」
聞く前から嫌な予感がした。
「転落」
高瀬と同じ。
「死亡時刻は?」
「午後十一時四十分」
私は目を閉じた。
また。
十五年前から、
同じ時間に人が死んでいる。
「事故だったんですか」
「当時は」
「三田村さんは?」
「千佳さんが殺したと思ってた」
「証拠は?」
「ない」
「じゃあ、なぜ」
「妻が死ぬ直前」
佐伯が言った。
「千佳さんと会っていたからだ」
私は黙る。
「何を話したんです」
「知らない」
「三田村さん本人なら知ってる」
私は立ち上がった。
「会います」
「住所は死亡届にある」
真壁刑事が確認する。
だが、
住所を見た瞬間、
眉を寄せた。
「どうしました?」
「存在しません」
「え?」
「番地がない」
私は死亡届を取る。
確かに、
市内の住所。
でも戸籍課の人間なら分かる。
その地区に、
この番地は存在しない。
「偽住所?」
「そう見えます」
電話番号もない。
三田村彰。
名前だけ。
「住民票は?」
佐伯が検索権限のある担当へ正式照会を依頼する。
数分後。
結果が出た。
該当者なし。
「そんな」
死亡届には、
六十四歳と書いてある。
映像にも、
実在する男が映っている。
なのに住民登録がない。
「偽名?」
真壁が言う。
「可能性があります」
「佐伯課長は十五年前に本人を見てるんですよね」
「ああ」
「名刺とか残ってませんか」
佐伯が記憶を辿る。
「昔の事件資料にあるかもしれない」
*
十五年前の保管資料。
正式な事件記録ではない。
佐伯が個人的に残していたコピーだった。
高瀬の会社。
関係者一覧。
そこに、
三田村彰。
肩書。
社会保険労務士。
住所。
現在の死亡届と同じ、
存在しない番地。
「十五年前から偽住所?」
真壁が言った。
連絡先。
固定電話。
今は使われていない。
そして写真。
社員旅行の集合写真。
高瀬。
榊原。
母。
父。
奈緒。
少し離れた場所に、
男がいる。
「この人」
防犯映像の男と一致する。
十五年前より若いが、
間違いない。
三田村彰は、
実在する。
でも、
記録の上では存在しない。
「戸籍は?」
私は訊いた。
真壁が首を振る。
「名前だけでは追えません」
「資格登録は?」
社会保険労務士なら、
登録記録があるはず。
調べてもらう。
結果。
三田村彰という登録者はいない。
「全部偽物……」
私は呟いた。
父が以前言った。
この事件には、
名前を持たない人間がいる。
誰かの名前を使って生きる人間がいる。
ひかり。
第三の娘。
そして、
三田村。
「この人も名前を借りてた?」
真壁は答えない。
そのとき、
佐伯が資料の一枚を指した。
「これだ」
「何ですか」
十五年前のメモ。
母の字。
三田村さんだけは、本当の名前を知っている。
その下。
でも、言わない。
私は読み返した。
「誰の本当の名前?」
佐伯が首を振る。
「分からない」
さらに、
母の字。
あの人は私たちの戸籍を作った人ではない。
壊した人でもない。
直してくれた人。
私は真壁を見る。
「どういうこと?」
三田村が、
家族の戸籍を直した?
「専門職を装って、手続きに詳しい人物だった可能性はあります」
「じゃあ母の協力者?」
「少なくとも一時期は」
でもその協力者が、
母がまだ生きている間に、
死亡届を出した。
「裏切った?」
誰も答えない。
資料の最後に、
封筒があった。
表。
三田村さんへ。
母の字。
開封済み。
中には、
コピーされた手紙。
あなたが最後まで黙るなら、私も黙ります。
ただし、澪には近づかないでください。
私は息を止めた。
「私を知ってる?」
三田村は、
十五年前から私のことを知っていた。
続きを読む。
あの子の前で、父親のような顔をしないで。
私は指を止めた。
「……父親?」
真壁がこちらを見る。
「どういう意味でしょう」
分からない。
父は雅彦。
少なくとも、
そう育てられた。
でもDNA鑑定はしていない。
私の本当の父親は、
まだ分からない。
「三田村さんが私の父親?」
言葉にした瞬間、
気持ち悪いほど現実味があった。
佐伯は首を振る。
「俺は聞いたことがない」
真壁も、
「まだ何も判断できません」
と言う。
当然だった。
ただ、
母は三田村に、
澪の前で父親のような顔をするな
と書いている。
なぜ?
そのとき、
私のスマートフォンに、
真壁から転送された画像が届いた。
母の葬儀写真。
警察が改めて確認するため、
葬儀社から提供を受けたものだった。
「何で葬儀の写真を?」
「水城千佳さんの死後に接触した人物を洗っています」
何気なく、
一枚目を見る。
遺影。
祭壇。
参列者。
二枚目。
受付。
三枚目。
出棺。
私は指を止めた。
「……あ」
「どうしました」
拡大する。
式場の一番後ろ。
黒い喪服。
眼鏡。
六十代の男。
三田村彰。
母の死亡届を出した男。
「来てる」
私は言った。
「母の葬儀に」
一枚だけではない。
別の写真。
通夜。
いる。
告別式。
いる。
火葬場へ向かう列。
いる。
ずっと、
同じ距離で私の近くにいる。
「この人……」
胸がざわつく。
知らない男のはずなのに。
なぜか、
葬儀の日に見た記憶がある。
私が親族控室から出たとき。
男が廊下に立っていた。
一瞬、
目が合った。
そして、
私に頭を下げた。
そのとき言われた言葉が、
突然よみがえった。
――大きくなったね。
私はスマートフォンを落としかけた。
「どうした」
佐伯が訊く。
「知ってる」
声が震えた。
三田村彰。
母がまだ生きているうちに、
母の死亡届を出した男。
その男を、
私は知っていた。
少なくとも、
あの男は――
ずっと前から、
私を知っていた。
コメント
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「六人目」がまさか三田村さんだったとは…。しかも、母がまだ生きているうちに死亡届を出していたっていう衝撃。あの「午後十一時四十分」という時間が、母の死の時間と同じで、それがまたゾッとしました。 特に、母のメモ「澪の前で父親のような顔をしないで」という一文が、胸に刺さりました。三田村さんが本当に澪さんの父親なのか…それとも、あくまで擬似的な存在としてそう言ったのか。どちらにせよ、あの男が葬儀で「大きくなったね」と声をかけたシーンが、今の澪さんの混乱を完璧に描いていて、読んでいて息が止まりました。 この話、本当に層が厚いですね。
350
82
#王子
すっこ
173
#主人公最強
杯雪乃
1,309