清水と楽しい時間を過ごした後、朔也はホテルへ戻った。
今夜は少し飲み過ぎたようだ。
楽しいひとときのおかげで、苦手な都会の雑踏もまったく気にならなかった。
部屋に戻りすぐに熱いシャワーを浴びると、少しずつ酔いも醒めてきた。
朔也はバスローブ姿のまま冷蔵庫から水を取り出し、一気に飲み干す。
そして、濡れた髪のまま窓辺に立ち、カーテン越しに夜の街を見下ろした。
その瞬間、十年前の出来事が少しずつ蘇る。
それは、妹のように可愛がっていた大学の後輩・今井香織の言葉だった。
『妹じゃ嫌! 一人の女性として私を見てほしいの』
『どうしてもダメ? 私はあなたの恋愛対象にはなれないの?』
『私、今度、お見合いするの。いい人だったら、そのまま結婚しちゃうかも』
『会ってみたら、すごく優しくて素敵な人だったわ。私、彼と結婚するかも』
『最後にもう一度だけ会ってください。そして、婚約の報告をさせて。きちんとけじめをつけて、すっきりした気持ちで彼の元に嫁ぎたいの。これで本当に最後だから……朔也先輩、お願い……』
『11日の最終バスで行きます。バスターミナルまで迎えに来て』
香織とのやり取りは、それが最後だった。
あの日、朔也は言われた通り、バスターミナルへ香織を迎えに行った。
彼女は駅前のホテルを予約していて、その夜は二人で夕食を共にする予定だった。
しかし、香織は現れなかった。
気まぐれな香織のことだから、急に来るのをやめたのかもしれない……朔也はそう思っていた。
だが、家に帰ってテレビをつけた瞬間、その考えが間違いだったことに気づく。
画面に映し出されたニュースに、朔也は目を奪われた。
テレビには、羽田空港行きのモノレール乗り場が映っていた。
ホームには真っ赤な血だまりが広がり、見出しにはこう表示されていた。
【無差別通り魔事件発生! 女性一人が重体!】
その衝撃を、朔也は今でも忘れられない。
そして、この十年、ずっと後悔し続けていた。
この町に来ると言い張った香織を、あのとき断っていれば……。
もし自分が止めていたら、こんなことにはならなかったかもしれない。
朔也は、そう思い続けていた。
窓辺のソファに腰を下ろした朔也は、もう一口水を飲む。
そして、リビングテーブルの上に置いてあった携帯を手に取ると、無意識にメッセージを打ち始めた。
【人形作りは順調?】
その夜、美宇は誰もいない工房にいた。
朔也がいない間は自由に使っていいと言われていたため、夕方少し前から人形作りに没頭していた。
作業に集中していると、余計なことを考えなくて済む。
だから、美宇はひたすら作品作りに打ち込んでいた。
そのとき、突然携帯の通知音が鳴った。
その音で、美宇はすでに午後十時を過ぎていることに気づく。
「もう、こんな時間だったんだ」
美宇が慌てて携帯を覗くと、朔也からのメッセージが届いていた。
思わぬ相手からの連絡に、美宇は驚く。
(こんな時間に、どうしたんだろう?)
そう思いながら、美宇はメッセージを読んだ。
そして、驚く。
(なんで私が工房にいるって分かったの?)
もしかしたら隠しカメラでもあるのかと思い、美宇は慌てて周囲を見回した。だが、そんなものはどこにも見当たらない。
それから急いで、返事を送った。
【お疲れ様です。どうして私が工房にいるって分かったんですか?】
不思議そうな美宇の顔が思い浮かび、朔也は思わず微笑む。
そして、すぐに美宇に電話をかけた。
突然の着信音に、美宇はさらに驚く。
普段、仕事の連絡でメッセージが来ることはあっても、電話がかかってきたことはこれまで一度もない。
何かあったのかもしれない……そう思った美宇は、慌てて電話に出た。
「もしもし?」
すると、朔也の低く心地良い声が聞こえてきた。
「こんな遅くまで頑張ってるの?」
「あ……工房をお借りしてすみません……ちょっとアイディアが浮かんだので、つい……」
「いや、それはいいんだけど、もう遅いし、そろそろ切り上げたら?」
「はい。今日はもう終わりにします。打ち合わせは無事に終わりましたか?」
「うん、問題なく終わったよ。さっきまで、旧友と飲んでた」
「そうでしたか」
朔也が夜一緒にいたのが高梨亜子ではないとわかり、美宇は内心ホッとする。
「で、何か用事があったのでは?」
「いや特には……どうしてるかなって思っただけ」
その言葉に、美宇はドキッとする。
けれど、それを悟られないように慌てて口を開いた。
「休みといっても、特にこれといって予定もないですから……。でも、夜の工房は静かで集中できますね」
「うん。夜は、波音とたまに通る車の音しか聞こえないから、集中できるよね」
「はい、病みつきになりそうです」
「ははっ、じゃあ、これからも夜に作りに来れば?」
「えっ?」
朔也がいつになく大胆なことを言ってきたので、美宇は胸が高鳴っていた。
(酔ってるの……?)
そう思いながら、美宇は口を開いた。
「青野さん、酔ってます?」
「うーん……そうでもないけど、なんで?」
「いえ……なんとなく、そんな気がしただけです」
「そっか。ところで、来週のふたご座流星群、新月だから期待できるらしいよ。蓮が言ってた」
突然、星の話に変わったので、美宇はさらに驚いた。
「わあ……じゃあ、見に行ってみようかな。寒そうだけど」
「一緒に行く?」
「え?」
どうしたんだろう。今夜の朔也は、いつもと明らかに違う。
戸惑う美宇に向かって、朔也はさらに続けた。
「一緒に見ないか? 流星群を」
その言葉の響きは、どこか特別なものに感じられた。
このチャンスを逃してはいけない……なぜか美宇の心に、そんな思いが湧き上がる。
「見たいです」
そのシンプルな返事に、朔也は少し安心したようだった。
「じゃあ、一緒に行こう。約束だよ」
「はい」
美宇は少し緊張しながら返事をした。
その後も、二人は仕事とは関係ないたわいもない話をしばらく続けた。
美宇は信じられない気持ちで、電話越しに響く朔也の優しい声に、胸の鼓動が高鳴るのを感じていた。
コメント
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昨日の朔也さんと美宇ちゃんのやり取りを、昨日の更新から何度も見返しています😊今日の更新が楽しみ😊
香織さん不慮の事故で亡くなっていたのですね😢それも朔也様に別れを言いにくる途中で😢😢清水さんが新しい恋に向き合うと知り朔也様もやっと美宇ちゃんと付き合おうと思えて来たのかな❓帰る迄待てなくて電話しちゃうし(*´꒳`*)さりげなく流星群を一緒に観に行く約束までしちゃって🌟🌟☆彡
辛い過去ですね 清水さんも朔也さんも大変な期間を過ごしてきましたね。 とにかく2人とも幸せになって欲しい。 美宇ちゃんに電話ができてよかった。 流星群の約束がとても大切な出来事になりそう!