テラーノベル
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五ヶ月後、栞は実家にいた。
直也との結婚式を明日に控え、今日は実家に泊まることになっていた。
式場へは実家から向かいたいと思った栞の提案を、父・剛は快く受け入れた。それと同時に、もうすぐ嫁ぐ娘を見て、感慨深い思いでいっぱいだった。
そんな父の隣には、いつも笑顔の美幸が寄り添っていたので、栞は安心している。
栞が住んでいた空港近くのマンションは、すでに退去済みで、荷物はすべて直也のマンションへ運び込まれている。
細かな整理はこれからだが、新生活を始める準備は整っていた。
栞は先月航空会社を退職した。国内線と国際線の両方を経験したので、もう仕事に対する未練はなかったが、実は彼女がきっぱりと退職を決意した直接原因は、妊娠だった。
直也からのプロポーズを受け、結婚式の準備を進める中で妊娠が分かったのだ。
仕事を続けながら育休を取るか、思い切って仕事を辞めて家庭に専念するか……栞は悩んだ末に退職を選んだ。
幼い頃に母を亡くし母との思い出が少ない栞にとって、子供とずっと一緒にいる道を選択したのは自然の流れだった。
『子供が小さいうちは、ずっと一緒にいてあげたい』
その思いを直也に伝えると、彼も「それが一番いいように思う」と賛成してくれた。
こうして栞は、会社に退職の意志を告げることに決めた。
独身最後の晩餐は、美幸が腕によりをかけて作ったご馳走だった。
和食を中心とした美味しい料理に、栞は何度も舌鼓を打った。
上品な味と美しい盛り付けに感動した栞は、料理についてあれこれ質問をする。
すると、美幸は一冊のノートを持ってきて、栞にこう言った。
「これね、今まで栞ちゃんが『美味しい』って言ってくれた料理のレシピをまとめたものなの。良かったら持っていって」
美幸の言葉に、栞の顔が輝く。
ノートを受け取った栞は嬉しそうにページをめくりながら、驚きの声を上げた。
「わぁ、写真まで貼ってある! 美幸さん、ありがとう!」
そこで、二人の様子を見ていた剛がからかうように言った。
「果たして、美幸と同じように美味しくできるかな?」
その言葉に、栞はムキになって言い返す。
「できるもん!」
二人のやり取りを見て、美幸は声を上げて笑った。
食事を終えた三人は、ソファーに移り、デザートのフルーツを食べ始める。
栞が、つわり中でもフルーツならいくらでも食べられると言っていたのを聞いて、美幸はたくさんのフルーツを用意してくれていた。
「栞ちゃん、体調はどう?」
「大丈夫です。昨日の検診では、赤ちゃんは順調ですって」
「俺もとうとうおじいちゃんかぁ~! なんだか感慨深いな~」
剛がしみじみ呟くと、美幸が微笑みながら栞に尋ねた。
「性別は聞かないことにしたんだっけ?」
「うん。生まれた時の楽しみにしようって先生と決めたの」
「そう……それなら、生まれてくる日がますます楽しみね」
美幸は、自分のことのように喜んでくれている。
その時、栞は突然ソファーから立ち上がると、カーペットの上に正座し、両手を前について静かに言った。
「お父さん、長い間お世話になりました」
突然の娘の挨拶に、剛はうろたえる。
「おいおい栞……そういうかしこまったのはしないでいいぞ……」
しかし、栞は続けた。
「私ね、お父さんの子供に生まれて本当に良かったと思ってます。大事に育ててくれて、ありがとうございました」
少し震える声で感謝の言葉を述べると、栞は深く頭を下げた。その際、彼女の肩は小刻みに震え、頬には涙が伝っていった。
泣いている娘を見て、剛は目を潤ませながら優しく言った。
「父さんも、お前が娘で幸せだったぞ! 直也君なら心配ない。二人で……いや、これから生まれてくる子供と三人で、幸せになるんだぞ」
「はい……」
微笑む剛の瞳にも涙が滲んでいる。
栞は手で涙を拭いながら父に向かってにっこりと微笑んだ。
そして、彼女は今度、美幸に向かってこう言った。
「お母さん! あの日、世田谷のクリニックで一番に助けに来てくれてありがとう。あの時お母さんがいてくれたから、今の私があります。本当にありがとうございました。そして、これから父のことをよろしくお願いします」
栞はそう言いながら、両手をついて美幸に深々と頭を下げた。
その瞬間、美幸の頬に一筋の涙がこぼれ落ちた。
栞が『お母さん』と呼んでくれたのを聞いて、信じられない思いでいっぱいだった。
栞の母親代わりになれたら____そう願い、美幸は剛からの求婚を受けた。
もちろん『母親代わり』で充分だと思っていたのに、今、栞は『お母さん』と呼んでくれた。
その時、美幸の脳裏に、幼い頃事故で失った娘の姿が鮮明に蘇った。
『お母さん……』
死に別れた我が子が、そう囁いたような気がした。
(ああ、そう……あなたはいつも私の傍にいたのね……あなたはずっと私の中で生き続けていたのね……大丈夫よ……これからもあなたはお母さんとずっと一緒だから……)
亡き娘にそう語りかけた瞬間、美幸は心がスーッと軽くなったような気がした。
そして彼女は、新たな娘である栞を見つめながら、優しく微笑んで言った。
「栞ちゃん、ありがとう! お母さんって呼んでくれて……本当にありがとう…….」
美幸は伝えたい思いが山ほどあったが、嬉しさで言葉にならない。
涙を流し感動に打ち震える妻の肩を、剛がそっと抱き寄せる。
栞も泣いていた。
美幸が喜ぶ姿を見て、もっと早く『お母さん』と呼んであげればよかったと思っていた。
号泣する二人の女性を優しく見つめながら、剛がにこりと笑って言った。
「おいおい、我が家の女性陣はそんなに泣き虫だったのかぁ?」
少し呆れたようなその声に、二人は涙を流したまま笑い始める。
歩み始めたばかりの新しい家族は、栞の結婚を機に、さらに深い絆を結んでいった。
コメント
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嫁ぐ前日の、温かい家族団らん✨️ 幸せがこちらにも伝わってきて、思わずウルウル…🥹❤️
素敵✨️✨️ マリコさんのお話いつも心が温かい気持ちになります。 ありがとう💞
仲良し家族(^O^☆♪ 三者三様の過去の辛さと今の幸せがある✨ これから先の未来は幸せの連呼ヽ(*^ω^*)ノ🎶 新米パパ、ママ、新米おじいちゃん、おばあちゃん笑顔溢れる未来しか見えないよ〜(*☻-☻*)🌷