テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
真夜中の底から引き上げられるみたいに、サベリオは息を吸い込んだ。
目の前には、見慣れたしずくシェルターの天井がある。梁の節、窓の白いにじみ、朝に近い冷たい空気。何度見ても、戻ってきた最初の数秒だけは心臓が追いつかない。
また七日前だ。
起き上がるより先に、胸の奥へ別の痛みが広がった。橋の上で倒れた時、デシアの唇がたしかに動いた。
――また?
あれが思い込みではない気がして、サベリオは朝の雑音の中を立ち上がった。表ではモルリの笑い声がして、誰かが鍋の蓋を落とす。前と同じ朝が始まっていく。
だが今回は、見て見ぬふりをする余裕がなかった。
昼前、サベリオは録音の確認をしていたデシアを裏庭に呼んだ。雨水の樽のそばはひんやりしていて、木の影が小さく揺れている。
「急にどうしたの」
デシアは首をかしげた。録音機のコードを指に巻きつけたまま、少しだけ警戒している。
サベリオは喉の奥の乾きをのみ込んだ。
「変なことを聞くけど」
「たいてい変なことだよね、最近のあなた」
「……かもしれない」
そこで笑えない自分に気づき、サベリオはまっすぐ彼女を見た。
「俺のこと見て、前にもこうだった気がするって思うこと、ない?」
デシアの指が止まった。
風が一度だけ強く吹き、樽の縁にたまっていた水が細かく震える。彼女はすぐには答えなかった。いつものように冗談へ逃がさず、言葉を選んでいる顔だった。
「はっきりじゃない」
やがて、デシアは小さく言った。
「でも、ある」
サベリオの呼吸が止まりそうになる。
「あなたの背中を見ると、胸がぎゅっとなる時がある。今から転ぶ人を見る時みたいに」
「……」
「変だよね。何も起きてないのに、もう終わった後みたいな気持ちになる」
サベリオは視線を落とした。靴先のそばに、昨夜の雨が乾ききらず濃い色で残っている。
全部を打ち明けたいと思った。橋の上で落ちたことも、感電したことも、何度も同じ一週間を歩いていることも。けれど口を開けば、本当にこの世界が壊れてしまいそうで怖かった。
「俺さ」
ようやく絞り出した声は、自分でも驚くほど弱かった。
「最近、嘘をつきすぎてる気がする」
デシアはじっと待った。急かさない沈黙だった。
「全部は言えない。でも、ひとりで抱えるの、たぶんもう無理」
そう言うと、胸のどこかが少しだけ軽くなった。
デシアは録音機を抱え直し、眉を下げた。
「全部聞けなくてもいいよ」
「え」
「聞けるところまででいい。聞こえないところがあっても、音って消えないから」
その言い方に、サベリオはかすかに笑った。彼女はやっぱり音でしか世界を説明しない。
「ありがと」
「まだ何もしてない」
「してる」
デシアは少し照れたように顔をそむけたあと、ぽつりと言った。
「前にも、似たこと言われた気がする」
その一言が、また胸を打つ。
覚えていない記憶が、たしかに彼女の中にもある。
サベリオは、それだけで次の一歩を踏み出せる気がした。秘密を守るための嘘ではなく、誰かと並んで立つための黙り方を覚えなければならない。そう思いながら、彼はやっと前を見た。
#成り上がり
#死に戻り
#ハッピーエンド
114
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!