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その日の夕方、デシアはサベリオを川沿いの石段へ連れていった。
星降る橋の少し下流。水かさが少ない日は子どもが降りて遊ぶ場所だが、今日は春の湿り気が残っていて、石の表面が薄く光っている。対岸の柳が揺れるたび、葉のこすれる音がやわらかく重なった。
デシアは腰を下ろすと、録音機を膝に置いた。
「ここ、好き」
「知ってる。よく来てるよね」
「うん。理由はあんまり言ってなかったけど」
彼女はいつになく素直な口調だった。サベリオも隣へ座る。石の冷たさが布越しに伝わってきた。
「小さい頃、水害があったの」
デシアが川を見たまま言う。
「今よりもっとひどい雨で、家の前の道まで水が来た」
サベリオは息をひそめた。しずくシェルターが昔、避難所だった記録を思い出す。
「その時、すごく怖かった。大人は大丈夫って言うけど、大丈夫な声に聞こえなくて」
デシアは指先で録音機を撫でた。
「でも、避難した先で聞こえた音だけは、変に覚えてる。外の雨だれと、遠くの鐘の音」
話しながら、彼女の声は少しずつ過去へ引かれていく。
「誰かが泣いてたし、電気も暗かったし、もう全部終わるんじゃないかって思ってた。なのに、雨だれは同じ間隔で落ちるし、鐘もちゃんと鳴るでしょう」
「うん」
「それで、世界って急にはなくならないのかもって思えた」
サベリオは返事を忘れた。彼女が集めてきた音には、趣味や憧れだけではない理由があるのだと、今さら思い知る。
デシアは少し笑った。
「変かな」
「変じゃない」
サベリオはすぐに首を振った。
「むしろ、すごく……デシアらしい」
「それ、便利な言い方」
「便利でも本当だよ」
彼女は肩を揺らして笑った。その笑いのあと、目だけが少し真剣になる。
「だからね、私、きれいな音だけ集めたいわけじゃないの。人を落ち着かせる音がほしい。大丈夫じゃない時に、大丈夫の代わりになるやつ」
サベリオは川面に映る薄い夕空を見た。
「それで、特待生選考も?」
「うん。行きたいのは本当。でも、賞を取るために派手な音を並べるだけなら、たぶん私じゃなくてもいい」
その言葉に、サベリオは初めて彼女の夢の輪郭をつかんだ気がした。
都会へ行くことが目的なのではない。誰かの足元を落ち着かせるような音を作ること。そのために学びたいし、そのために今ここで録っている。
「すごいな」
思わずこぼすと、デシアは不満そうに眉を寄せた。
「それ、簡単に言う時の顔」
「違う。ちゃんとすごいと思ってる」
「じゃあもう少し考えてから言って」
「難しい注文だな」
彼女は笑った。石段に座る二人のあいだを、夕方の風が抜けていく。遠くで鐘の試し打ちでもしたのか、かすかな金属音が空へ広がった。
デシアはその音へ耳を澄ませ、ぽつりとつぶやく。
「いつか、誰かが泣きそうな夜に、これを思い出して落ち着けるような音を作りたい」
サベリオは横顔を見た。
ただ夢を追っている人ではない。誰かを支えたいと願っている人だ。
その事実が胸へ入った時、サベリオの中で「守る」の意味が少し変わった。彼女を危険から遠ざけることだけじゃない。彼女が目指している場所まで、ちゃんと届くようにしたい。
川面を渡る風は冷たいのに、不思議と心は静かだった。
#成り上がり
#死に戻り
#ハッピーエンド
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