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そして祝いの席は卯辰山から浅野川を見下ろす料亭で行われた。雅次の脚の具合が優れず座敷ではなくテーブル席が設けられた。木蓮は徳利とビール瓶を手に両家の面々や仲人に酒を注いで回った。
(…………….感傷に浸る間も無いわ)
ひと段落ついたところで化粧室に向かった。
(もう…………..汗だく)
鏡に映った顔は油ぎってファンデーションがよれていた。
(ふぅ)
あぶらとり紙で鼻の頭を押さえていると人の気配がした。鏡の中には濃紺のスーツと紺色のネクタイが映り込み、視線を挙げるとそこには雅樹が立っていた。
「…………ちょっ」
「しっ」
「しっじゃないわよ!ここ、女性用よ!犯罪よ、あんた!」
木蓮の口を手で塞いだ雅樹は後ろ手で施錠した。
「木蓮、会いたかった」
並んだ鏡に映る二人、ドレッサーライトに照らされた木蓮を雅樹は力任せに抱き締めた。
「あんた、睡蓮の婚約者じゃない」
「まだ結婚はしてない」
「そのうち「まだ子どもは出来ていない」とか言い出すんじゃないの」
雅樹の手が木蓮の顎を掴むと唇を深く塞いだ。上唇を啄み下唇を喰む、力無く落ちていた木蓮の指先が躊躇いながらスーツの背中に回され、強く握った。木蓮のワンピースの股を雅樹の太腿が割り、深く擦り挙げた。
「……………!」
木蓮の肢体が跳ね上がった。
「睡蓮とは婚約破棄するつもりだ」
「なに言ってんの!」
「俺はおまえが良い、おまえと結婚出来ないならこの縁談は白紙にして貰う」
「あんた頭おかしいんじゃ無いの!」
その言葉は唇で塞がれ口腔内を舌が這い回り始めた。
「………….ん」
雅樹の太腿は強弱を付けて木蓮を刺激し始め、木蓮の手はスーツの背中を伝うと雅樹の臀部を抱え強く引き寄せた。ドレッサーライトがカタカタと音をたて、ハンドソープのボトルが転がり床に落ちた。我に帰った木蓮は右手で髪の毛を掻き上げながら雅樹を睨んだ。
「あんたは睡蓮の婚約者よ」
「そんな婚約者とこんな事をしているおまえはなんだよ」
「馬鹿よ、大馬鹿者よ」
雅樹はスーツの内ポケットから名刺を取り出し裏返して見せた。
「俺の個人用携帯電話の番号だ」
「な、なによ」
「破いて捨てても良いおまえの好きにしろ」
それを手渡した雅樹は化粧室から出て行った。「きゃっ」と小さな悲鳴が廊下に響き、謝罪する声が聞こえた。
「…………..もう遅いわよ」
木蓮は名刺をポケットに入れた。
乱れた髪を整え口紅を塗り直して席に着くと睡蓮の視線を感じた。それは鋭利な刃物の様に鋭く「あなたたちがなにをしているのか知っているのよ」と言わんばかりだった。
(………..まさか、気付いている?)
「ねぇ、睡蓮さん」
「はい」
美咲に声を掛けられ振り向いた睡蓮は明るい笑顔で受け答えをし、雅樹と談笑している。その憎しみは木蓮ひとりに向けられていた。
祝いの席はお開きとなり両家それぞれハイヤーに分乗し帰路に着いた。化粧室での逢瀬以降、雅樹は木蓮を振り返る事は無かった。
(………..あ)
その夜、木蓮は静まり返った部屋で雅樹に触れられた場所の熱を独り味わっていた。
(…………あ……あ)
雅樹の男の匂い、股間に感じた硬く熱い部分が木蓮を刺激し蓋をしていた恋情が燻り始めた。
(….ま…….さき)
指先に女が滴り下着に滲み出す。
グチュ グチュ
(っ………ふぅ!)
コンコンコン
「はい!」
突然部屋の扉がノックされ慌ててパジャマのズボンを上げた。声は掠れ上擦っている。時計を見ると時刻は午前0時を過ぎていた。
「だ………誰」
「木蓮、私」
睡蓮だった。木蓮は思わず身構え、声が上擦った。
「こんな時間になに」
「話があるの、入って良い?」
「…………良いわよ」
お揃いで買った色違いのパジャマ、和田雅樹と出会う半年前までは睡蓮は木蓮を、木蓮は睡蓮を自分の半身の様に思って来た。
「…………..今日はありがとう」
「どういたしまして」
ベッドに片肘を突いた木蓮を、睡蓮が見下ろしていた。
「な、なによ。怖い顔して」
「木蓮が部屋の外に出てから雅樹さんも席を立ったわ」
「そうなの、知らなかったわ」
「……….嘘つき」
「なにがよ」
「雅樹さんから木蓮のコロンの匂いがしたわ」
心臓が跳ね上がった。
「同じ……….同じ部屋に居たからじゃない?」
「そうかしら」
「そうよ」
睡蓮の右手には片腕を掴まれた焦茶のティディベアがだらりとぶら下がっていた。そのガラス玉の目は何処を見ているか分からない漆黒の闇。睡蓮の形相が鬼気迫るものとなり、大きく振りかぶるとティディベアを木蓮へと叩き付けた。
「痛っ、なにするのよ!」
「渡さない!」
「なにが!」
「雅樹さんは木蓮には渡さない!」
「あいつは物じゃないのよ!」
「こんな色のティディベアなんて要らなかった!木蓮には負けない!」
「睡蓮!」
睡蓮は斜め向かいの自室の扉を激しく閉め、その音に驚いた両親が階段を上って来た。
「どうしたんだ」
「………………」
「あれは睡蓮なの?」
「うん」
「どうしたんだ」
「疲れているんじゃない?」
「そうよね、結納で疲れたのね」
結納。
(……………睡蓮、あんたまさか)
この結婚への思いは和田雅樹への愛情なのか木蓮への対抗心なのか、睡蓮は自分自身を失い掛けていた。