その頃秘書室では、静かな時間が過ぎていた。
途中、COOの公平が秘書室にコーヒーを飲みに来た。
公平は恵子がいない机を見てこんな事を言った。
「誰かさんがいないと、秘書室はこんなに静かなのかい?」
「ほんとそうですよ。普段いかに恵子ちゃんが盛り上げてくれていたか、いなくなって初めて気付きますよねー」
さおりの言葉に奈緒と公平が大きく頷く。
午前の仕事を終えると、奈緒とさおりはいつものように丸テーブルで昼食を食べる。
他愛もない話をしながら食事を終え、食後のコーヒーを飲んでいるところへ漸く恵子が出勤して来た。
「遅くなってすみませーん」
「おー来た来た、恵子ちゃんおはよー! 今日は無理しなくてもよかったのに―」
「恵子さんおはようございます」
二人が声をかけると、恵子は丸テーブルの椅子にドカッと座る。
そして突然泣き始めた。
「ちょ、ちょっと恵子ちゃん、どうしたの?」
「恵子さん、何かあったんですか?」
恵子は二人の問いには答えずに、ただひたすら泣き続ける。
肩を震わせ切ない泣き声をあげる恵子の背中を、さおりが優しくトントンと叩き始めた。
そうやってしばらくの間泣き続けた恵子は、涙が枯れると漸くティッシュで涙を拭った。
そして二人にこう話し始めた。
「昨日……彼の部屋に行ったら……女がいたんです」
「「えっ?」」
二人は驚いて顔を見合わせる。
そこで奈緒が聞いた。
「たしか昨日はデートだったんじゃ?」
「そうなの。でも約束の時間ギリギリになって彼からメッセージが来てね、風邪をひいたから今日は行けないって。普通恋人の具合が悪いって聞いたら様子を見に行きますよね?」
奈緒とさおりは大きく頷く。そしてさおりが言った。
「そうしたら、彼の家に女がいた?」
恵子は目を真っ赤にしたまま頷く。
「いただけじゃないんです。玄関に女の靴があったからそーっと中に入ったら、彼が女とベッドの上で交わってましたっ!!!」
「「…………」」
一瞬二人は言葉を失ったが、すぐにさおりが言った。
「バッカな男だねぇ。普通に考えたらさー、彼女がお見舞いに来るってわかるじゃん。それなのにベッドの上で励んでたの? ハァーッ? 呆れちゃうわー。それってわざとやってるみたいじゃん。一体なんなのその男?」
奈緒も大きく頷く。
「私もそう思いました。もしかしたら彼は私と別れたくてわざと見せたのかなって。でも思い返すとそんな節は今までなかったし。だとしたら本当に何も考えず欲望のまま浅はかな行為をしてたって事ですよねぇ? そう思うとガッカリです。彼とは歳が離れていたので、頼り甲斐のある分別ある大人ってところに惹かれていたのに……でも精神年齢は私以下って事がわかっちゃって、一気に百年の恋も冷めましたっ!!!」
奈緒には今の恵子の気持ちが痛いほどわかった。奈緒も同じ目にあったからだ。
するとさおりが言った。
「恋愛に年齢なんて関係ないのよ。男っていうのはね、歳が上でも子供っぽい人はいくらでもいるし、年下でもしっかりしている人はいる。だから付き合う時に女が一番見なきゃいけないのは、その人の本質なの。例えばその人が誠実かどうか、約束を守る人かどうか、嘘をつくかつかないか……とかね。ちなみにその交わってた女はどんな女だった?」
「超若い派手なキャバ嬢みたいな女でした」
「ハァンッ? 水商売の女でもひっかけたのかしらね?」
「そういうお店には接待でよく行ってたみたいですから」
「なるほどね。でも彼女がいながらそんな女に手を出す男は、今回許してもこの先きっとまた同じことを繰り返すわよ」
「私もそう思います」
「うん。だったら別れて正解かも」
そこでまた恵子が激しく泣き出した。
その声があまりにも切なくて、奈緒の胸がズキンと痛む。
「まあでもさ、結婚する前にわかって良かったかも。結婚した後じゃなくて良かったよ」
そこで奈緒も頷きながら言った。
「私もそう思います。私も同じような経験をしたから、結婚する前で良かったって思いましたもん」
奈緒の言葉に恵子は泣きやみ、ポツリと言った。
「そうだよね、奈緒ちゃんはもっと辛い経験をしたんだもんね」
「そうそう、でも奈緒ちゃんは見事に復活したよー! だから恵子ちゃんも大丈夫よっ! ほらっ、元気出して!」
「グスン。はい、今はまだ辛いけど、絶対に立ち直ってみせますっ」
「その調子です! 最初は辛いけれど、前を向いていたら絶対にいい事がありますから!」
「ありがとう、奈緒ちゃん! 奈緒ちゃんも頑張ったんだから私も頑張るっ!!!」
「そうそう、その調子! それにあなた達はまだ若いわ、だからこれから先絶対いい出会いがあるわよ」
「本当に……あります?」
「あるある。辛い思いをした人ほどいい出会いが必ずあるわ。そして今度こそ運命の人と出会えるわ。でもいい? 出会ったらちゃんと見極めるのよ」
「その人の『本質』……ですよね?」
「そう。で、大丈夫そうって思ったらお付き合いしてみて、その人の事を少しずつじわじわ~っと知っていけばいいのよ」
「じわじわ~……ですか?」
今度は奈緒が聞いた。
「そう、じわじわ~よ! なんとなーくじわじわ~、それとなーくじわじわ~って、慌てずに少しずつ相手の事を知っていくの。そうやってじわじわと育んでいった想いほど強いものはないからね! パッと見で判断しちゃ駄目よ。じっくりじわじわ~よ」
さおりの言葉は奈緒の心に深く染み入る。なぜなら今まさに自分がその状況だからだ。
奈緒は省吾と出逢ってから、少しずつ省吾の良さをじわじわと実感していた。
省吾を知っていく度に、奈緒は少しずつ省吾に対する信頼や尊敬の気持ちが芽生えていた。
(じわじわと育んでいく想いは強い……か)
奈緒はさおりの言葉をもう一度胸の内で噛みしめた。
「ほらぁ恵子ちゃん、目がうさぎさんみたいに真っ赤よ。昼休み終わっちゃうから顔を洗っておいで。そうだ、今日の帰りに三人で飲みに行かない? ほら、奈緒ちゃんの時みたいに! 愚痴はそこでいっぱい聞いてあげるから、ね? そうしようよ! 奈緒ちゃんもいいでしょう?」
「あ、はい、お付き合いします」
「じゃあ決まり! ほら、恵子ちゃんもう泣かないの! 恵子ちゃんには私達がついているんだから」
「はい……じゃあ顔洗ってきまーす」
恵子はすぐに化粧室へ向かった。
その夜三人は以前行った居酒屋へ行き、ダメンズ愚痴大会で盛り上がった。
美味しい料理を食べながら、元彼に対する全ての愚痴を吐き出した恵子は、帰る頃にはスッキリした表情ですっかり元気を取り戻していた。
コメント
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消火器でもぶちまけたったら良かったのに。 あ、タバスコでもええよ。
すぐによそ見する男どもはみんなエノキだと思おう。うん🙂↕️。 さおりさんの言葉がじわじわ来ます🥹女神🗽✨️ そして恵子さんが立ち直って良かった🥺奈緒ちゃんみたいに、恵子さんにも素敵なパートナーが待っている✨️
本当に結婚する前に分かって良かった。 今は辛いけどきっといい出会いがあるはず😊