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諒は、私の近くに集まっている面々にすぐに気がつき、はっとしたように足を止めた。
「『先生』がそんなんじゃ、患者さんたちが動揺しちゃうよ」
「……確かにそうだ」
栞の指摘に諒は苦笑した。それを収めてから私の母の前に立つ。
「お久しぶりです」
母は諒に向かって丁寧に頭を下げる。
「諒ちゃん、いえ、久保田先生。瑞月がお世話になります」
「おばさん、頭、上げてください。とにかく、これくらいですんで本当に良かったです」
諒は母に穏やかに微笑みかけてから、私の傍までやって来た。軽く身をかがめて、私の顔をのぞき込む。
栞や従兄、母の顔を見た時とはまた違った安心感が私を包んだ。
「肩とか背中辺りを、特に強く打ったみたいだったな。今痛みはどうだ?」
私は顔をしかめた。
「えぇとね、動けなくはないけど、動こうとするとものすごく痛いの」
「そうか。全身打撲しているし、腫れているところもあったからな。やっぱり痛み止め、飲んだ方がいいな。あとでナースに持ってきてもらうな」
「うん」
「他にはどうだ?例えば、気持ち悪いだとか、胸が苦しいだとか、あるか?」
「そういうのはないよ」
「ん。それならまずは大丈夫そうかな」
諒はほっとしたように表情を和らげ、それから母に顔を向けて訊ねる。
「頭の方に関して、もう説明は聞きましたか?」
栞が二人の会話に入って説明する。
「おばさんが来る前だったんだけど、少しご年配の先生が来てね。頭の方は大丈夫みたいだけど、念のため一日二日は入院して様子を見ようって言われたよ。後で整形の先生が説明に来るって言ってたんだけど、それってもしかして、お兄ちゃんのことだった?」
「あぁ。最初に瑞月を診たのが俺なんだよ」
諒は栞から私の母へと視線を移し、時々は私の顔を見ながら話し始める。
「レントゲンを撮った結果、骨折している部分はありませんでした。足首の痛みと腫れは、捻った時の、捻挫によるものでしょう。打撲の痛みや腫れは徐々に引いていくはずです。俺の見立てでは、だいたいひと月ほどで完治すると思います。数日、できれば一週間ほどは可能な限り、安静にしていてもらいたいですね。退院後は経過観察のために、何回かは通院してもらうことになります。と、まぁこんな感じですが、今の説明で、何か気になることや質問なんかはありますか?」
諒に訊ねられて母は眉根を寄せた。
「安静にということですけど、やっぱりその間は、入院した方がいいということになるのかしら?」
「そうですね。痛みが多少収まって、ある程度動くのに不都合がなくなるまでは、その方がいいのかなと思います」
「退院してからの、お仕事への復帰はどうかしら?」
「まぁ、一週間くらいは休んだ方がいいでしょうけど、そこは様子を見つつ、でしょうかね。頭のこともあるから、念のためひと月くらいは、あまり無理はしないように気を付けてもらいたいかな」
母は考え込むように、わずかに首を傾げる。
「もし長く会社を休むことになるのなら、その間は家に連れて帰ろうかと思ったんだけど、今のお話だと、こっちにいた方がいいのかしらね」
「さっきも言ったように経過を見たいので、こちらとしてはその方がいいんですけどね。それに、何もないとは思いますけど、仮に何かあったとしても俺が近くにいますから。安心してください」
「あたしと凛ちゃんもいるよ」
栞と凛もまた、母を安心させるかのように笑顔を作る。
「そう……。分かりました。それじゃあ、諒ちゃん、いえ先生、よろしくお願いします。それにしても」
母は感慨深そうな目をして諒を見つめた。
「諒ちゃん、本当にお医者様になったのねぇ」
「えぇ、まぁ、なんとか……」
諒は照れたように笑っている。
「でも、今回は本当にありがとうございます。栞ちゃんと凛ちゃんもそうだけど、諒ちゃんも近くにいてくれて、本当に良かったわ」
今度こそ安心したのか、母の表情がさらに柔らかくなった。
諒もまた母の言葉に頬を緩め、それから私に視線を向けて、しみじみとした口調でつぶやく。
「本当に、近くにいられて良かったです」
私は軽く目を見開き、諒を見つめた。今の彼の表情を見て、この場にいる誰かが私と諒の関係に気づいてしまったらと、そわそわと落ち着かない気分になった。
諒は私の目が訴えるその意味に気がついたようだ。我に返ったかのような顔つきで、何度か瞬きを繰り返した。軽く咳ばらいをし、医師としての表情を取り戻す。
「それじゃあ、俺はこれから午後の診察がありますので、失礼します。瑞月、あとでまた様子を見に来るからな」
「はい、先生」
私の返事に諒はふっと目元を綻ばせた。もう一度私に視線を当ててから、病室を出て行った。その時の彼の目の動きは、たぶん、私にしか分からない程度の小さなものだったはずだ。
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