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この病院の面会時間は五時までとなっている。
凛は諒が出て行ってから間もなく、栞は母の買い物につき合った後しばらくしてから、それぞれにまた来るからと言って帰って行った。
母も面会時間ぎりぎりまで私の傍にいて、何かと世話を焼いてくれた。
「明日また来るからね。入院セットにひと通りは揃っているみたいだけど、他に何か必要なものはある?」
「じゃあ、新しい下着を適当に二、三枚持ってきてほしい。あとは、会社に連絡しておいてもらえないかな」
「分かったわ。少し動けるようになったら、あなたからも改めて連絡入れなさいね」
「うん。そうする。会社の電話番号、分かる?」
「えぇ、大丈夫よ。ちゃんと登録してあるからね」
母は頷き、バッグを手に持った。
「それじゃあ、お母さん、そろそろ行くわね」
「うん。本当にありがとう」
母を見送りたいと思い、ベッドから起き上がろうとした。しかし、途端に鈍い痛みを背中に感じた。痛み止めは飲んだが、やっぱりそうすぐに痛みが引くわけではない。早々に諦めて、私はベッドの上に体を戻した。
苦痛に顔を歪めている私に、母が気づかわし気に声をかける。
「そのままでいいから。それにしても、階段から落ちるだなんて、いったいどうしたらそうなるのかしら。ねぇ、瑞月。もう一度聞くけど、本当に誰かに突き落とされたりしたんじゃないわよね?」
「全然そういうんじゃないよ。私が自分で階段を踏み外しちゃったって言ったでしょ」
母は疑わしそうな目で私をじっと見る。
「本当に?」
「本当よ」
私は大きく首を縦に振った。
母はため息をつく。
「まぁ、瑞月がそう言うのなら……。それにしても、ほんと、こういうことがあると、心配でたまらないわ。うちから離れているっていうだけですでに心配だっていうのに。お願いだから、これ以上お母さんの寿命を縮めないでちょうだい」
「心配かけて、本当にごめんなさい……」
謝る私に母は苦笑し、腕時計に目を落とした。
「あぁ、そろそろ行かなきゃ。それじゃあ、帰るわね。ちゃんと大人しくしてるのよ。お医者さんと看護師さんの言うこと、ちゃんと聞いてね」
「分かってるよ。私はそこまで子どもじゃないんだから」
「それはそうなんだけどね。また明日来るからね」
「うん」
母はのろのろと椅子から立ち上がった。名残惜しそうな顔を今ひとたび見せてから、病室から出て行った。
病室に一人となった私は、ぼんやりと天井を眺めていたが、そうこうしているうちに食事の時間がやって来た。
病院には患者の身の回りを手伝うスタッフがいる。私はその手を借りて食事を取り、洗顔を済ませた。
消灯までの時間は長かった。食事の後、スタッフに手伝ってもらってトイレは済ませたが、そろそろまた、行きたくなってきた。このためだけにスタッフを呼び、その手を煩わせるのもどうかと思い、私は自力でトイレに向かうことにした。
私がいる病室は個室で、トイレはその一角にある。外まで行かずに済むのは良かったが、そこまでのほんの数歩がとてつもなく遠い。しかし、生理現象には勝てない。こんなことならベッド脇に、簡易式トイレでも置いてもらえば良かったなどと考えながら、体の痛みと戦いつつトイレに向かい、目的を果たした。
今日は色々なことがありすぎたせいで神経が昂っているのか、睡魔はなかなかやってこない。痛み止めは効いているが、動けばやっぱり痛いから、じっとしている他にない。
眠くなるまで羊でも数えていようかしら、などと思った時、遠慮がちなノックの音が聞こえてきた。看護師が様子を見にやって来たのかもしれないと予想して、ドアの方に目を向けた。ところが、病室に入って来たのは白衣姿の諒だった。
「諒ちゃん……」
彼は心配そうに表情を曇らせて私の顔を覗き込む。
「具合はどうだ。痛み止めでだいぶ楽になってるとは思うけど」
「うん。さっきは何とか一人でトイレに行けたよ」
「そうか。でも無理しないで、補助スタッフを呼んでいいんだぞ」
「うん。次、あんまりつらい時はそうする」
諒はベッド脇に椅子を持ってきて座り、私の頬を撫でながら話し出す。
「これくらいですんで本当に良かったよ。今日の午前中の急患対応、俺だったんだ。気を失ってた状態でお前が運ばれてきたのを見た時は、心臓が止まるかと思った。付き添って来た人から、お前が階段から落ちたって聞いて、もしも打ちどころが悪かったりしたらと思ったら、俺……」
諒は声を詰まらせた。
「下手すれば、死ぬことだってあるんだからな」
私は顔を動かし、彼の手に頬ずりした。
「心配かけて、本当にごめんなさい。それから、ありがとう」
「ん……」
諒は私の頬を撫で続けていたが、ふと考え込むような目をした。
「まさか、誰かに突き落とされたわけじゃないよな?」
彼は私を心配そうに見つめている。元カレと私との一件を知る諒には、私が階段から転落することになったその経緯を話しておいた方がいいように思えた。
「あのね、実は……」
私はおもむろに口を開き、話し出した。
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