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葵に引かれるまま、悠太は祖母の家から十五分ほど山道を進んだ。着いた場所は、日光を遮るように木々が茂り、冷たい水が流れる小さな沢だった。
「ここが、私のお気に入りの場所。夏でも水が冷たいだろ?」葵が満足げに笑う。
「すごいな……。でも、ここで何をするんだ?」
「水遊びだよ。ほら、そこそこ深い場所がある。魚が隠れているから、捕まえるぞ」
葵は慣れた手つきで、サンダルを脱ぎ、迷うことなく沢に入っていく。彼女のショートパンツの裾が、冷たい水に濡れて貼り付いていた。
「お前も入って来いよ! 都会のヒョロヒョロは、水にでも入って涼んでおけ」
悠太は遠慮がちに浅瀬に足を浸したが、葵のようにズンズン進む勇気はない。彼は岸辺の苔むした大きな岩に手をかけ、バランスを取りながら慎重に進もうとした。
その瞬間、足元に隠れていた小石が滑り、悠太の体は前のめりに大きく傾いだ。
「うわっ!」
「バカ!危な……!」
葵が慌てて振り返り、悠太の細い手首を掴んだ。しかし、水底の藻に足を取られていた悠太の体重はコントロールできず、二人の体はバランスを失って、そのまま深い水たまりへと倒れ込んだ。
ザッパーン!
冷たい水が一気に体を包み込む。悠太は息を詰まらせたが、すぐに水面から顔を出した。
「いってて……」
「アンタって、本当に間抜けなんだから!」
葵は頭から水をかぶり、髪の毛が顔に張り付いていた。水たまりは深くても腰の高さほどだったため、すぐに二人とも立ち上がることができた。
しかし、立ち上がったとき、二人の体は密着したままだった。悠太の制服のTシャツは水を吸って重くなり、肌に張り付いていた。目の前には、水に濡れた葵の、いつもより少し幼く見える顔がある。
「ご、ごめん、葵!」
悠太はすぐに離れようとしたが、葵は動かなかった。
葵の瞳は、まるで水に濡れたビー玉のように澄んでいて、いつも悠太をからかうときの勝気な光が消えていた。代わりにそこには、一瞬の驚きと、戸惑いのような表情が浮かんでいた。
そして、その感情が、急にいたずらっぽい悪戯心へと変化した。
「……ねえ、悠太」
「な、なんだよ」
葵は濡れた髪から水を滴らせながら、一歩、さらに悠太に近づいた。悠太の心臓は、水中で魚が跳ねたかのように、バクバクと暴れ出した。
「これ。今日の絵日記の**『ときめき要素』**の点数に、十分だろ?」
そう言うと、葵は悠太の濡れたシャツの襟首を、まるで虫を捕まえるように掴んだ。そして、悠太が何かを考える暇もなく、彼女の唇が、一瞬だけ、悠太の唇に触れた。
——ちゅ。
水よりも冷たい、でも一瞬で体温が上がるような、本当に短い接触だった。
葵はすぐに離れると、何事もなかったかのようにニッと笑った。
「……これで、今日のノルマは達成。アンタは、このことを絵日記にどう書くか、よく考えておけよ?」
そう言って、葵は悠太から一歩離れ、再び魚を探し始めた。彼女の顔は少し赤くなっているように見えたが、それは水遊びで熱くなったせいかもしれない。
悠太は水の中に立ち尽くし、冷たいはずの水が、自分の体が、全て熱を帯びているように感じていた。