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「――ちょっと、ミサキ。次のマキオちゃんの仕事、アテクシが取って来たわよ。まだドラマになるか、映画になるかはわからないけれど――はい、これ。企画のメインになる原作本。感謝して、親子で読み込んでちょうだい♪」
今からちょうど二週間前――。
芸能プロダクション・オカダ企画の社長室。上機嫌な時はいつもそうするように、社長の岡崎モギオさんが優雅に腰をくねらせながら私に手渡してきたのは一冊の単行本――児童書だった。
「ええっと……。ちごてんぐ伝説第一巻? 神さまになったおちごさん、ですか?」
「そそっ♪ 著者は飯田サダハルさんと言ってね。今から三十年ぐらい前の話だけど、結構人気のあったシリーズなのよね。アニメ化もされたぐらいだし、まあまあ人気あったのよ。……ミサキは見たことない?」
「すみません。私、まだ二十五ですから。その頃は生まれてなくて……」
「まっ。憎たらしいこと。これだから平成ベイビーは」
岡崎社長の軽口を苦笑いで流しながら、ペラペラと単行本をめくる。
……小学校低学年向けの作品らしく、簡単な文章で読みやすそうだがマキオはまだ五つ。最近、少しづつひらがなを覚え、絵本などにも興味を示す事は多くなったが一人で読み込むのは厳しい。物語を理解させるためには私が一緒に読み聞かせなくてはいけない。
それはそうとしても……。
「あの、社長。ちょっと言い難いんですけど――、これって小さな子供が戦う系のお話ですよね? しかも、児童書の割にはハードっぽいし……」
「……まあ、そうかもね。正確に言えば子供の姿をした天狗だけど。高貴な家の出だけど、不幸な人生を送ったお稚児さんが死後、神様になって悪い妖怪変化をバンバン退治しちゃう伝奇アクションね。ワクワクしちゃうでしょ?」
「……あのせっかくのご厚意を申し訳ないんですけど、親としてはあの子にそう言う仕事はまだちょっと早いって言いますか、その……」
「あー、言いたいことはわかるわよ。あんた、そーゆータイプの話嫌いだもんね」
軽薄を張り付けたかのような岡崎社長の顔からにやけた表情が消える。
一瞬、心臓を鋭く射抜かれたような気がして私は思わず表情を強張らせる。
「い、いいえ、そう言うわけじゃ。私はただ……」
「言い訳しなくていいの。あんたの感性は人の親として至極、真っ当よ。たとえ、フィクションでもかわいい我が子を荒事から遠ざけたいって思うのも当然よね」
でもね、と言いながら岡崎社長は自分の右手からいつもつけている手袋を取る。露わになったのは――、古傷。深々と皮膚の下まで抉ったであろう咬傷だった。
その凄惨な有様に思わず私は目を背けてしまう。恐らく大型犬、あるいはそれ以上に大きな何かに襲われたのだろう。動物が苦手な私にとっては鳥肌ものだ。私は知っていた。岡崎社長が手袋を脱ぎ、普段は隠しているこの古傷を敢えてジッと眺めている時は本気で何かを伝えたいと思っている時だと。
だから、黙って私は岡崎社長の言葉を待つ。実家や学校、社会に居場所がなかった私を十代の中頃からずっと面倒を見てくれていたこの人以上に信頼できる人間なんて他にいなかったから。
「いいことミサキ」と少し声の調子を高くして岡崎社長が言葉を続ける。
「残念だけど人生で一度や二度は、戦わなきゃいけない瞬間ってあるの。望もうと望むまいと。もちろん、立ち向かわず逃げたって構わない。誰だって傷つけられるのは嫌だものね。……だけど、絶対逃がしてくれない相手だっているわ」
あんたは身をもって知っているわよね。岡崎社長の目はそう言っていた。返す言葉を失って私はした唇を噛みしめる。思わずにぎりしめた拳の指先は血の気が失せ、冷たくなっていた。
「どうしてアテクシがここまで食い下がるかって言うとね――。よく似てるのよ、マキオちゃんが小さい頃のアテクシとほんと、そっくり」
「……えっ。……ちょ、ちょっと待ってください」思わず私は目を見開く。
「……あの、ひょっとしてマキオが岡崎社長みたいになるって仰ってます?」
「だから、分かるの。あの子はアテクシと同じように――ううん、それ以上に引き当てる体質よ。良いものも、悪いものも」
「ええええっ……」
そんな……。マキオは、私の息子はあんなに可愛いのに……。
それが、何がどうなったらこんな胡散臭い詐欺師みたいな外見のおっさんに育つっていうの?
「ミサキ。あんたは本当によく頑張っていると思う。マキオちゃんのマネージャーとしてももちろん、母親としてもね」
だけど、と人差し指を振ってみせる岡崎社長。
「あの子から選択肢を奪ってはダメ。それはマキオちゃんのことを守っているつもりでも、結局は八方塞がりにして追い詰めるだけになってしまうわ。……お願いだから、すっかり疎遠になってしまったアテクシの両親と同じ轍は踏まないでちょうだい」
「……」
「ま、今返事しろとは言わないわ。後でスマホに詳しい資料をPDFで送るから、マキオちゃんとよく話し合ってみて。あんたの教育方針も、マキオちゃんの意思も同じく大切でしょ?」
「わ、わかりました……」
軽く眩暈をするのを感じながら、私は手渡された絵本をトートバッグにしまっていた。
それから岡崎社長に一礼し、もつれる足どりで社長室を後にしようとして――
「あの、岡崎社長……」
少し躊躇ったが私は言った。卑しくも自分が務めている社長で、我が子同然に面倒を見てくれた人にこんな事を言うのは気が引けるけど――、人間には引けない時がある。
「何かの間違いですよね? マキオが、私の息子が岡崎社長みたいな胡散臭いソース顔のおっさんに育つなんてあり得ませんよね?」
数秒間――、水尾打ったような沈黙が私と岡崎社長の間に流れる。
「ミサキ。あんたって可愛い顔して、結構度胸あるわよね? ……こういう時は、抜かしおるって笑えばいいのかしら?」
そう言って岡崎社長は、うふふふ、と低く喉を鳴らして笑った。
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