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翌日の稽古場は、いつもより息を潜めていた。
ヌバーが来る前のシェルターはたいてい少し暗い。けれどその日は、人がそろっても空気の固さがほどけなかった。昨夜、橋の上で聞いたデシアの声が、サベリオの胸にまだ残っていたせいかもしれない。
ミゲロが床へしゃがみ込み、外れた金具を直している。ヴィタノフは脚立の上で灯りの向きを変え、ホレは古い布をたたみ直していた。みんな手は動いているのに、口数だけが少ない。
モルリが空気に負けじと声を張った。
「よし、今日は暗くなる前に一本読む!」
「その前に台本の続きください」
ホレの冷静な返しに、モルリが肩を落とす。
デシアは少し離れた机で、昨日から開いたままのノートを見つめていた。
サベリオはその横を通り過ぎようとして、立ち止まる。
「……あの日、何を隠してる」
唐突だった。もっと遠回しに聞くつもりだったのに、口をついて出た。
デシアは顔を上げ、逃げなかった。
周りの手が、ひとつずつ止まる。
「舞台装置が落ちた夜のこと」
彼女の声は低い。誰にも聞こえないようにしているのに、全員へ届いてしまう声だった。
モルリが息をのむ。
シェルターの空気が、あの夜の方へ引き戻される。
町の上演会。歓声のあとに響いた金属音。照明の白さ。上から崩れた装置。中止のアナウンス。泣き出す子ども。騒ぎのなかで、いつの間にか広がったひとつの噂。
――整備を任されていたサベリオのミスらしい。
サベリオはその噂を否定しなかった。否定するより先に、全部が終わっていたからだ。
ミゲロがゆっくり立ち上がる。
「俺、ずっと気になってた」
サベリオは何も言わない。
「お前、あの日、最後まで点検してたろ」
「してた」
「じゃあ、なんで何も言わなかった」
「言ったところで、落ちたもんは戻らない」
言い方が冷たくなった。自分でも分かったが、直せなかった。
デシアが立ち上がる。
「違う」
短い一言だったのに、その場の全員が彼女を見る。
サベリオも、はっと顔を上げた。
デシアは唇を結ぶ。言うと決めた人間の顔ではなく、言わなければいけないのに喉が塞がっている顔だった。
「……違うの」
それ以上が続かない。
モルリが一歩出た。
「何が?」
デシアは拳を握り、首を横に振る。
「まだ、今は」
「今が一番いるとこじゃん!」
モルリの声が跳ねる。
だが怒鳴りきれない。相手がデシアだからだ。責めたいのに、責めきれない。
サベリオは目を伏せた。
期待した自分が浅はかだったと、すぐに分かってしまった。
「もういい」
そう言って背を向ける。
その時、机の端に置かれた『春の音』の原稿が、風で一枚だけめくれた。
まだ白い欄がある。まだ書けていない場面がある。
誰も何も言えないまま、シェルターの天井から一粒、しずくが落ちた。