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空気を変えたのは、たいていヌバーだった。
その日も、昼過ぎまでシェルターに姿がないと思っていたら、夕方になって商店街の方から拡声器みたいな声が聞こえてきた。
「今こそ水鐘町に必要なのは! 高いチケットではなく! 濡れても笑える芝居でーす!」
モルリが飛び出す。
「また勝手にやってる!」
サベリオたちが追いついた時、ヌバーは商店街の空き店舗の前に立ち、手書きの紙を振っていた。
――星降る橋の下より、近日、読み合わせ公開予定。
文字はでかい。雑だが、遠くからでも見える。
「お前、誰の許可を」
ホレが頭を抱える。
「空いてる壁の許可」
「壁は喋らないの!」
それでも、人は足を止めていた。
八百屋の女将が笑いながら覗き込み、帰り道の学生が立ち読みし、総菜屋の前のベンチにいた老人が「橋の下って、あの穴蔵か」と目を細める。
ヌバーは調子に乗った。
「そう、その穴蔵です! でも泣けます! たぶん!」
「たぶん入れるな!」
モルリが背中を叩くと、笑いが起こる。
その小さな笑いに、サベリオは少し驚いた。笑われているのとは違う。ちゃんとこちらを向いた笑いだった。
デシアは店の軒先へ立ち、通りを見渡していた。人が興味を持つこと自体、もう何年も忘れていたような顔で。
「意外と、見てくれる」
彼女がぽつりと言う。
「ヌバー、図々しいからな」
サベリオが返すと、ほんの少しだけ彼女の口元が緩んだ。
その時、人垣の向こうから、乾いた拍手が三つ鳴った。
振り向くと、細いヒールの音を響かせて立っている女がいる。
パルテナだった。
駅前のポスターで見慣れた顔。光の下なら誰より映えるはずの人が、商店街の夕方の薄い影の中でも、やっぱり目を引いた。
「へえ」
彼女は貼り紙を見上げる。
「まだやる気あったんだ、橋の下の人たち」
空気がぴりりと引き締まる。
ヌバーですら一瞬、口を閉じた。
パルテナは視線を紙からデシアへ移し、それからサベリオへ向ける。
「見に来てもいい?」
許可を求めている口調なのに、断られると思っていない顔だった。
モルリが腕を組む。
「冷やかしならやめて」
「冷やかしじゃないわ」
パルテナは肩をすくめた。
「暇つぶし」
それが冷やかしより腹立たしい。
けれど彼女はもう一度貼り紙を見て、少しだけ目を細めた。
「でも、題は悪くない」
そう言い残して、夕方の人波の中へ消えていく。
商店街に残ったのは、ざわつきと、妙な手応えだった。
誰かに見られる。評価される。笑われるかもしれない。
それでも、何も届かないよりはずっとましだと、その時初めて全員が同じ顔で思った。