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#創作日記
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2026年7月23日午後5時44分/■■県童ノ宮市湯湯山町東新大群■■―■■童ノ宮神社・祈祷所/塚森キミカ
大きく西に傾いた日差しに目を射られ、思わず呻き声をあげる。
立ち眩みのような感覚に襲われ、足元がもつれる。しばらくの間、朦朧とした後、うちは我に返っていた。
意識がこれ以上ないというくらいクリアーになり、自分が現世に戻って来たのだと強く実感する。
改めて今日はとんでもない日だと思う。異界に取り込まれるなんて普通なら一生に一度あるかないかの出来事。なのに、今日はこの数時間のうちに二度も、だ。
一度目はどこか河原のような場所、そして二度目は大火に包まれた見知らぬ街を模した異界だった。恐らく前者が今回、ミサキさんに悪さを働いていた怪異、浮足坊主によるものなのだろう。
後者の大規模な火災現場のような異界の主は童ノ宮の神様。
以前にもうちはあそこに取り込まれたことがある。害意によるものじゃなく加護を与えられるために。
つまり、今回の敵は神様画本機の本気を出さなければやっつけられなかった、と言うことになる。
だとしたら、マー君は……。
自然と表情が曇って来るのをうちは感じていた。
目の前にあるのは祈祷所。ひどいことに凄まじい力で外から壁が一部、大きく破壊されていた。
みんなの安全を早く確認しなければいけない。なのに、うちはなかなか声を出して呼びかけることも、建物のなかに足を踏み入れることもできずにいた。
怖くて……、つい、躊躇してしまう。
そうこうしている内に境内のあちこちから「警備員」の服装を着た人たちが集まって来る。この人達も巻き込まれていたはずだが異界の消滅を確認し、儀式を執り行っていたお父さん達の様子を見に来てくれたのだろう。
見れば姫宮さんの姿も混じっている。さっきマー君を追いかけた時、制止されたのに手を振り切ってしまった。怒られてしまうだろうか……。
少しドキドキしながらも、姫宮さんに無事を伝えようと、うちは手をあげ呼びかけようとした。
「――いやぁああああ! マキオ、やめて! どうして、そんなことをするの!? お願いだから、やめて! やめなさいっ!」
泣き叫ぶような悲痛な女の人の声が響き、思わず身をすくませる。
声の主はミサキさんだ。お祓いは成功したはずだけど、どう聞いても今のはただごとじゃない。
「――ミサキさん! みんなも大丈夫なん!?」
姫宮さん達の到着を待たず、うちは弾かれるようにして開き戸をスライドさせ、祈祷所の中を覗き込む。
そして――、後悔した。
一瞬、脳裏を過ったのは、こんなことになるならみんなの言う通り、この件から手を引けばよかったと無責任極まる考え。
お父さんやゼナ博士、リョウ、それにデイジーチェーンからも警告されていたし、うちも覚悟を決めていたずなのに……。
やっぱり、考えが甘かった。きっとみんな笑顔で今日という日を終えられるなんて。
荒れ狂うすさまじい力を抑え続けたせいか、半壊した祈祷所のその中心にあったのは大団円とは程遠い光景だった。
お父さんとゼナ博士は全身傷だらけで畳の上に倒れていたし、リョウに至っては首と胴体がそれぞれ祈祷所の別の場所に転がっている。
もちろん、三人のことも気になる。
だけど、今は――。
外で聞こえた通り、ミサキさんは泣き叫んでいた。
すっかり血の気を失った蒼白な顔で。目が血走り、涙で顔がグシャグシャになっていて、ここであった事の凄まじさを物語っていた。
そして、そんなミサキさんの足元で身をうずめていたのは――。
……え、ちよっと待って?
思わず呼吸がとまってしまう。
自分の見たものがにわかには信じられない。靴を脱ぎ捨て、うちは畳の上に駆け上がっていた。
まるで飢えた動物みたいに、目を白黒させながら、ガツガツと何かを口に詰め込んでいるのは――、マー君だった。
「――キ、キミカちゃん! お願い、助けて!」
うちに気がつき、振り返ったミサキさんが叫ぶ。溺れる者は藁をもつかむような悲壮感が滲んでいた。
「このままじゃ、マキオが死んじゃう!お願いだからやめさせて!」
「……ごめんなさい、母上様。それは無理です」
取り乱したミサキさんとは対照的にマー君は冷静だった。……いや、今、表に現れているのはデイジーチェーンか。
デイジーチェーンが膝を乗せ体重をかけて、畳の上に押さえつけていたのは真っ黒に焦げた猿のような生き物の死骸だった。死骸だと思う、多分。
だって、こんな消し炭みたいな状態で生きているわけがない。いや、怪異ならそれもあり得るのか。
「この浮足坊主はとても貪欲な上、執念深い性格の雑鬼ですから。万が一、蘇ったりしたら間違いなくまた狙って来ます」
そう言ってデイジーチェーンは黒焦げ死体の背中を無造作につかむと、ベリッと肉片をむしり取っていた。一切躊躇うことなく、それを口に頬張りムシャムシャと食べ始める。
「だ、だから! そんな物、マキオに食べさせないでよ!」
またミサキさんが叫ぶ。血を吐くような勢いだった。
必死の形相でデイジーチェーンの手首をつかみ、死骸から引き離そうとするが――幼いマー君の姿とは裏腹にその力は強く、微動だにしない。
「お腹を壊して死んじゃったらどうするの! あんた、マキオの身体を何だと思ってんの!?」
ぺちぺちとミサキさんはマー君の背中を力なくたたく。
母親としてミサキさんの言うことは至極真っ当だった。デイジーチェーンのこの行為も怪異が相手なら決して間違ってはいないのだが……。
「ごめんなさい。……でも、浮足坊主はこの世から跡形もなく消しておかないと。この身体はもうもたないから」
その言葉は冷たい氷でできた矢じりになって、うちの心臓を正確に射抜いていた。もはや絶望なんて言葉じゃ足りない。
もちろん、分かってはいた。浮足坊主を撃退できたとしても、マー君の命は長くない。元々死んでいたはずのマー君を童ノ宮の神様が外法で無理くり生かしていたのだから。
そして、その目的はすでに果たされた……。
「何それふざけないで! あんた神様でしょ! だったらマキオを助けてよ! 私なんかよりあの子が先でしょ! 何やってんの!」
「……ごめんなさい」
泣きながら吠えるように叫ぶミサキさんとただひたすら、ごめんなさい、ごめんなさいと謝り続けるデイジーチェーン。
「あ、あの、うち、考えたんやけど――」
どうしようもなく声が震えるのを感じながら、うちは二人に歩み寄っていた。
デイジーチェーンの言う通りだとしたら、マー君とミサキさんが過ごせる時間は最期だ。こんな感じのままお別れなんて、二人とも辛すぎるやんか……。
「あ、あの、デイジーチェーン。とりあえず、マー君に代わってあげられへんかな? その方がミサキさんも少しは」
鎮まれるんちゃう、とうちが言いかけた時だった。
ひっ、とミサキさんが喉の奥で短い悲鳴をあげて身体をのけ反らせ、うちも思わず両手で口を押えてしまう。
ビシッと音を立ててマー君の顔の右側――、目を中心として張り巡らされた蜘蛛の糸のような亀裂が走った。
マー君のやわらかく、白い肌がみるみるうちに血が滲んでゆき、それがボロボロと崩れ始める。
「……参ったな。もう始まった。霊毒が思ったより早く回ったせいだろうな。……急いで済まさないと」
それだけ告げると、デイジーチェーンは右目の回りを片手で覆い、黒焦げ死体を再度、貪り始める。
「キミカ、ああいうどうしようもないものをジッと見るな」
後ろの方で呻くような男の声が聞こえた。生首のまま転がっているリョウの声だった。
「あいつにその気がなくても、お前まの心が壊されるぞ。レイジにも言われただろ。お前はまず、自分を守ることを覚えろって。だから――、今は目を背けろ」
無理やで。心のなかでうちは声の主に反論していた。
うちもミサキさんも身動き一つ取れないまま、デイジーチェーンがマー君の身体で黒焦げとなった怪異を食べ尽くすまで凝視するしかなかった。
「あ、心配しないでね。キミカちゃんには話した通り、この肉体の今際の苦痛は私とあの御方で分け合っているから。……マキオには一切、苦しい思いをさせない。だから、安心して」
「あんたはアホか。それのどこが安心やねん。言うとくけどな、うちはマー君だけやなくてデイジーチェーンのことも――」
うちは最後まで言いたいことが言えなかった。
小さな口からゴフッとドス黒い血の塊が大量に吐き出されたからだ。それに続いて、蜘蛛の巣のような亀裂がマー君の顔全体に広がっていった。
「――マキオ!」
先に動いたのはミサキさんだった。
半狂乱になりながらミサキさんは、細かく痙攣を始めたマー君の身体に取りすがり絶叫している。
「こんなのダメだってば! マキオはママのためにあの化け物やっつけてくれたんでしょ! だったら、また死んだりしないでよ!」
力の限り我が子を呼び止めようとするミサキさんの腕の中で、マー君の身体はボロボロに崩れ落ちてゆく。経年劣化で朽ち果てるマネキン人形みたいに。
呆然とそれを見つめながら、うちは重い倦怠感を覚えた。もう何も感じられないし、もう何も考えられない。そう思った。
目の前の出来事からどんどん現実味が失われ、うちの感受性も希薄になってゆく。壊れたダムみたい。
ひょっとしたら一生、このままかもしれない。でも、それも悪くない。もう二度と辛いと感じることがなくなるのなら。
「……ママ、キミカちゃん?」
幼い声が聞こえ、うちはまた身体を強張らせていた。
ミサキさんも息を飲んで、自分の腕の中のものを凝視している。
そこにいたのはマー君だった。デイジーチェーンでもなければ、稚児天狗でもない。しばらくの間、マー君はうちとミサキさんの顔を見比べて。
「ねぇ、ママ。キミカちゃん。……ぼく、また死んじゃうの。せっかく帰って来たのに、また逝かなきゃいけないの? 芸能のおしごと、楽しいのに。ママのこともキミカちゃんのことも、ぼく、大好きなのに」
「マ、マー君……。あんな、うちな……」
「やだやだ! 死にたくない! 絶対に死にたくない!」
火がついたようにマー君はほぼ人の形を留めていない体を激しく震わせる。
神様とデイジーチェーンのおかげで苦痛は感じていないようだったが、それでもうちはマー君を見つめ返すだけで精一杯で何も言えなかった。
だいたい、こんな目に遭っている子にどこの誰が何を言える?
「ぼく、生きるんだ! ずっと生きるんだ! ずっと生きて、みんなと一緒にいるんだ! やだやだ! 絶対、やだぁああ!」
「――やめよ、マキオ」
同じマー君の口から冷厳とした声が響く。幼いが威厳のある声が。
涙ぐんだまま、マー君はハッと息を飲み、騒ぐのを止める。
「約束したはずだ。母上様をお救いしたら、そなたはまろと速やかにこの世を去ると。わがままを言って現世に居座ると言うのならそれは母上様を苦しめた浮足坊主と何も変わらぬ」
「……ちがう」
「では、まろの言葉を理解できたのか? まろとともに天狗道に向かうか?」
ほんの数秒。沈痛な沈黙が流れ――。
うつむいたまま、はぁい、とマー君が小さな声でうなづいていた。
「うむ。よい子だ」
満足そうな声で神さまは言い、
「では――お二方、これにてお別れ申し上げる。されど我らは皆、三千世界を巡る旅の最中。また、現世に実体をまといて巡り合えることもあろう」
「え? ちょっ、ちょっと待ってや……!」
思わずうちはマー君に向かって手を伸ばしていた。
そして、その袖をつかもうとする。いくら何でも急ぎ過ぎやろ、とうちは思った。
マーくんだってあんなに泣いて嫌がってるのに.
かわいそうやんか……。
次の瞬間、マー君の顔が真ん中からバックリと割れた。
そして、その身体が一瞬のうちに白い灰の塊となって、バサッと音を立ててその場に崩れ落ちる。その灰をうちは真正面から浴びていた。
一拍の間をおいて――うちは自分でも驚くほどけたたましい声で悲鳴をあげていた。
啜り泣きながらミサキさんが強く抱きしめてくれても、周囲に大勢の人達がやって来てもうちは叫ぶのを止められなかった。
その後も一時間近くもの間、うちは叫び続けた。
頭が完全におかしくなる前に気絶できたのは幸運だったのかも知れない。
コメント
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うわ……読んでて胸が締め付けられたよ……。マー君、最後に「大好きなのに」って言ったところが本当に切なくて、涙腺が壊れそうになった。ミサキさんが必死に止める姿も、キミカちゃんが何もできずに立ち尽くすしかなかったのも、全部リアルで辛すぎた。でも、デイジーチェーンが「苦しみは俺たちで分け合う」って言ったのも、ちゃんとマー君を想ってのことなんだよね……重いけど、それだけ愛されてたんだなって思った。