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「えっ……匂いを嗅ぎつけた雄っていうか……」
直江先生の存在を、どう説明したらいいんだろう。
あのパーティーでの出会いから話す?
……いや、それは絶対に無理。
麗香の知り合いのドクターに、ちょっかいを掛けられてる――。
……これも駄目。
なんだかヤキモチを期待してるみたいで、ばつが悪い。
今泉さんでも、ヤキモチ妬いてくれるのかな……。
はっきりした返事をしないまま、首筋へ頬を寄せる彼にそっと視線を落とした。
「ん? 雄っていうか……何?」
今泉さんは顔を上げ、返事を待つように私を見つめる。
「ううん。大した話じゃないから……
ちょっ、なに!?
やだっ、今泉さん! くすぐったいってば!」
まるで甘える大型犬のように、今泉さんは私を押さえ込み、首筋へ鼻先を擦り寄せる。
「下手な隠し事をしようとした、お仕置き!」
そう言うと、今度は腰の辺りへ指を伸ばし、くすぐり始めた。
「やめてよぉー!
言う、言うから! 白状しますからぁ!」
子どものような悪戯に笑い転げ、目尻へ涙が滲む。
「本当に話す?」
「話す! 正直に話します!」
「よろしい。赦してやろう」
今泉さんはぱっと手を離し、今度は私の頭をぽんぽんと優しく撫でながら満面の笑みを浮かべた。
「もうっ。
お仕置きが子どもみたいなんだから」
息を切らしながら、乱れたシーツの上へぐったりと倒れ込む。
「ん? 何か言った?」
「……いいえ、何も言ってません」
私の髪を撫でながら一人ご満悦な彼を見上げ、拗ねたように返事をした。
「さてさて。
亜紀に言い寄ってきた男の話に戻ろうか」
「えっ。
言い寄ってきた男って……どうして分かるの?」
ゆっくりと身体を起こし、目を丸くする。
「おや?
見事に的中しちゃった?」
「えっ……?」
「んんー?」
……あっ!
またやられた!
「ははっ!
亜紀って本当に分かりやすいな。
そんなんで患者と駆け引きができるのか?」
「なっ、失礼な!
患者とは恋の駆け引きなんてしませんからっ。
普段の私は毅然とした態度のカッコイイ女医で……」
「カッコイイ女医で?」
「……いえ、嘘です。
別にカッコよくはないです」
一瞬、”カッコイイ女医”といえば麗香の姿が浮かび、私は遠慮がちにもごもごと口を動かした。
「何を謙遜してるんだ?
分かってるよ。
亜紀はいつも真正面から患者と向き合う、本当の意味でカッコイイ医者だ。
患者と接している亜紀の姿は、容易に想像できる」
今泉さんはそう言うと、再びベッドへ横たわり、何気なく腕枕を作って柔らかな笑みを浮かべた。
「……ありがとう。
なんだか、調子が狂っちゃうよ」
私は照れ隠しに苦笑いを漏らしながら、彼の胸へ頬を寄せた。
「……あ、さっきの話だけど。
その人、麗香の知り合いのドクターなの。
言い寄られてるっていうより……揶揄われてるの。
私って恋愛下手だし、こういうことに慣れてないから。
こんなんだから、弄りやすいんだろうね」
照れ隠しも兼ねて、私は軽い調子であの軽薄そうな男のことを話した。
「へぇー。
麗香ちゃんの知り合いのドクターにねぇ。
……で?
弄られるって、具体的にはどんなふうに?」
「えっと……
口説き文句、とか……」
――あと、キスもされたけど……。
「ほぉ。
口説き文句ねぇ……。
さっきの”匂いが変わる”って話も、その彼が言ったことなんだろ?」
「その人がね、私の匂いを嗅いで『以前と匂いが変わった』って言うの。 『以前はこんな熟した香りはしなかった』って。 ……意味分かんない」
興味津々に目を輝かせる彼とは対照的に、私は眉間に皺を寄せて表情を曇らせた。
「これはまた……さすが麗香ちゃんのお知り合いだけあって、面白いキャラだね」
今泉さんはククッと喉を鳴らし、楽しそうに笑う。
「面白い!? 全然面白くないです!
ただの性悪な迷惑男です!
私が結婚してて、主人が同じ職場にいても構わないって言うんですよ? それも『願ったり叶ったり』なんて言い方で」
蘇る怒りに任せて、思わず声を荒げた。
「そうか。それは危険な男だな。
でも……それは亜紀をからかってるわけじゃない。きっと本気で亜紀を狙ってるんだよ。
俺が育成中の果実の変化に気づくとは……その男、面白いよ。
俺と同種か……
それとも、俺のライバル登場か」
また嬉しそうに笑う彼を、私は呆れ顔で見つめた。
「育成中の果実? 今泉さんと同種!? ライバル登場って……」
眉間に皺を寄せたまま、彼の横顔を見上げる。
「亜紀、『一盗二婢三妾四妻』って言葉を聞いたことある?」
今泉さんは腕枕をする手で私の髪をくるくると弄びながら尋ねた。
「……いっとうにひさんしょうしさい?
聞いたことない」
私は彼の胸に顎を乗せたまま、上目遣いで喉元を見上げる。
「昔からある言い回しなんだけどね。
男が抱いて興奮を覚える相手の順番を表した言葉なんだ。
『盗』は人妻。
『婢』は使用人。
『妾』は愛人。
『妻』は、そのまま自分の奥さん。
つまり、男にとって一番燃える相手は、他人の奥さんってこと」
「つまり、抱いて一番つまらないのは、自分の奥さんってこと?」
「まぁ、そうなるね」
「……なんか、酷い言い回しね。
世の奥さんたちが聞いたら激怒するよ」
私はわざとらしく目を細め、拗ねたように声を漏らした。
「激怒されようが、男の性だから仕方ない。
古代から受け継がれてきた本能さ。
女性の中にも頷く人はいると思うけどね」
今泉さんは私を見つめ返し、口の端をクッと上げた。
「ふぅーん。古代から受け継がれた本能ねぇ。
素敵な持論ですこと」
私は彼の鼻をツンツンと突きながら、くすくすと小さく笑った。
「俺が亜紀に言いたいのは、この言葉のもう一つの解釈だよ」
今泉さんは悪戯をする私の指をそっと捕まえ、その指先を自分の唇へと運んだ。
「もう一つの解釈?」
「そう。
つまり、自分の夫から見れば最下位の妻でも、他の男から見れば最上位ってこと。
結婚が『女』の最終駅じゃないってことさ」
そう言って、私の指先へ優しく口づけると、にっこりと微笑んだ。
――夫から見れば最下位の妻でも、他の男から見れば最上位。
「なるほど……
そう発想を変えれば、最下位と言われた惨めな妻も救われるんだ」
私は指先に残る彼の唇の温もりを感じながら、静かに苦笑した。
「だから、その男にとって亜紀が人妻であることは、欲望のブレーキにはならない。
亜紀は今が一番美味しい時期なんだ。
初めは甘酸っぱくて、味わえば味わうほど甘みが増して、妖艶な蜜が溢れてくる……。
その香りに惹きつけられる男が、俺以外にいても少しも不思議じゃない」
今泉さんは私の手をそっと離すと、長い指を首筋からゆっくり胸へ滑らせた。
コメント
1件
ああ、このエピソード、すごく好きです。今泉さんの甘やかし方が絶妙で、「お仕置き」からの優しい撫で方のギャップに心臓がぎゅっとなりました。亜紀さんが拗ねながらも彼の胸に頬を寄せる仕草、本当に可愛い。そして「一盗二婢三妾四妻」の話から「今が一番美味しい時期」って台詞、艶っぽくてドキドキしました。匂いの変化を指摘する辺り、二人の関係の深まりを感じられて素敵です。柏木さん、今回も素晴らしい心理描写をありがとうございます。続きが待ち遠しいです🌷