テラーノベル
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三崎さんの席を離れてから、私は次の席へ向かった。
忙しい夜だった。
呼ばれて、座って、話して。
少しするとまた別の席へ移る。
いつもなら、その忙しさに紛れてしまえば、余計なことを考えずに済む。
今日は違った。
誰かと話している途中でも、ふと昼間のことを思い出す。
直哉と歩いた道。
本屋。
くだらない会話。
何も決めずに過ごした時間。
そして、駅で別れた時。
私は何度も同じところを思い出していた。
「ナナちゃん」
呼ばれて振り向く。
高槻さんだった。
「ちょっといい?」
「はい」
高槻さんの席へ戻る。
さっきまで他の席にいたせいか、少しだけ久しぶりに感じた。
「疲れた?」
「大丈夫です」
「またそれ」
「何がですか?」
「大丈夫」
笑いながら言う。
「今日、それ何回目?」
「数えてるんですか?」
「なんとなく」
「暇ですね」
「ひど」
高槻さんが笑う。
私も笑った。
でも、今日はその笑いのあとに、少しだけ沈黙が残った。
高槻さんが私を見る。
いつもの軽い顔ではない。
「……何ですか?」
「いや」
「何か言いたそう」
「言っていい?」
「内容によります」
「じゃあやめとく」
「なんですか、それ」
私が笑うと、高槻さんも笑った。
けれど、そのまま終わらなかった。
「ナナちゃんさ」
「はい」
「俺といる時も、今日みたいな顔する?」
「今日みたいな顔?」
「ちょっと気が抜けてる感じ」
私は答えられなかった。
高槻さんはグラスを指先で回している。
「別に、悪い意味じゃないよ」
「……はい」
「むしろ、その方が好きだけど」
一瞬、言葉が止まった。
高槻さんは、言った本人なのに妙に平然としている。
私は笑って返そうとした。
いつものように。
「ありがとうございます」
そう言えば終わる。
たぶん、それでいい。
でも、今日はその言葉が出てこなかった。
「……高槻さん」
「ん?」
「そういうこと、よく言いますよね」
「そう?」
「はい」
「ナナちゃんにも?」
「はい」
「そっか」
高槻さんは笑った。
「じゃあ、俺のこと軽いって思ってる?」
「……少し」
「正直だな」
「でも」
私はそこで言葉を止めた。
「でも?」
「……分かりません」
「何が?」
「高槻さんが、冗談で言ってるのか」
高槻さんの表情から、一瞬だけ笑いが消えた。
ほんの少しだった。
すぐにいつもの顔に戻る。
「それ、知りたい?」
「分かりません」
「またそれか」
「だって、本当に分からないから」
高槻さんはしばらく黙った。
それから、少しだけ体を椅子に預ける。
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「じゃあ、今は分からないままでいいよ」
「……はい」
「俺もまだ、ちゃんと決めてないし」
「何を?」
「それは内緒」
また軽い調子に戻った。
私は少しだけ笑った。
でも、さっきの一瞬が頭から離れなかった。
高槻さんは、いつも何でも笑いに変える。
だから私は、今まであまり考えなかった。
この人が本気で何かを言うことなんて、ないと思っていた。
でも。
もし違ったら。
私はどうするんだろう。
「ナナちゃん」
「はい」
「今日はもう、あんまり考えない方がいいよ」
「え?」
「顔に出てる」
「何がですか?」
「色々」
「また見てるんですか」
「俺は三崎さんほどじゃないよ」
そう言って、高槻さんは笑った。
「だから、そんなに警戒しなくていい」
私は思わず笑った。
「警戒してません」
「ならよかった」
その時、別の席から私を呼ぶ声がした。
「ナナ、呼ばれてる」
「はい」
私は立ち上がる。
「じゃあ、行ってきます」
「うん」
数歩進んでから、振り返る。
高槻さんはもう別の方を見ていた。
さっきの会話なんて、なかったみたいに。
私はそのまま次の席へ向かった。
けれど、仕事をしている間も、
「俺もまだ、ちゃんと決めてないし」
という言葉だけが残っていた。
決めていない。
何を。
私は考えないようにした。
でも、考えないようにするほど、気になった。
そしてその夜。
閉店後、ロッカーでスマホを開く。
新しいメッセージが一件。
直哉からだった。
『今度、もう少し遠くまで行かない?』
私は画面を見つめた。
昼間の続きみたいな、何でもない誘い。
なのに。
胸の奥が、少しだけ明るくなる。
私はすぐには返信しなかった。
ただ、その文章を何度も読み返した。
店の中で誰かに何を思われているのか。
それとは別のところで、
私はもう、
自分が誰といると楽なのかを知り始めていた。
コメント
1件
第59話読みました!直哉との何気ない昼間が夜の仕事中にふと蘇る感じ、すごく伝わってきました。高槻さんの「決めてない」って言葉、あれ本気なのか冗談なのか読者にも分からなくて、でも主人公が気にしちゃう気持ちがよく分かる…。最後の直哉からのメッセージで胸がほっとする描写、めちゃくちゃ良かったです。このゆっくりとした距離感の変化、好きだなあ。続き待ってます🔥