翌朝目が覚めた綾子は人肌の温もりを感じた。
目を開けると間近に仁の寝顔があった。仁は綾子に腕枕をして右手を綾子の腰に回している。
その腕の重みが心地よい。
綾子は仁の顔をじっと見つめる。
(意外とまつ毛が長いのね……髭が少し濃くなってる……)
綾子の顔が綻ぶ。
普段は薄茶色のサングラスを掛けている仁の顔をこんなにじっくり見るチャンスはなかなかない
チャンスとばかりの綾子はじっくりと観察する。仁は歳よりも若く見え彫の深い整った顔立ちのかなりのイケオジだった。
その時綾子はベッドの上での仁を思い返す。
(彼は女性に慣れていたわ……)
それは綾子にもわかった。そして以前ネットで見た仁のスクープ記事を思い出す。
記事によると仁は有名モデルや美しい一般女性と交際していた事があるようだ。
(独身の有名作家、そして今はヒットを飛ばすドラマ原作者だもの……モテるのも当然よね)
綾子は小さくため息をつく。その時仁が目を覚ました。
「うーん、綾子おはよう」
「おはよう」
チュッ
仁は綾子の鼻の頭にキスをする。
「今日も綺麗だぞ」
「嘘、絶対顔がむくんでるわ」
「そんな事ないよ。今朝は女神のようだ」
仁は右手で綾子の髪を撫でた後頭部を引き寄せキスをした。
チュッ チュッ
キスは一度では終わらない。そして徐々に激しくなっていく。
「もう朝よ、それにクタクタだわ」
「いーや、もう一回くらいイケるはずだー」
「無理よ…もう身体中が筋肉痛なんだから」
「知ってるか? 筋肉痛は動かした方が早く治るんだぞ」
「それってデタラメじゃなかった?」
「いーや、俺の中では正解なんだ」
仁は身体を起こすと綾子にキスと愛撫を始める。
そこからは二人の激しい息遣いとベッドがきしむ音、そして綾子の喘ぎ声とキスの音が続いた。
愛し合う二人には朝も夜も関係ない。
冬の柔らかな日が差し込むスイートルームで再び綾子は仁に愛された。
それから2時間後二人はレストランの朝食ビュッフェへ向かっていた。
このホテルの朝食ビュッフェはパンの種類が豊富で美味しいと評判だ。綾子はパンが好きなので楽しみにしていた。
二人は昨日と同じ窓際の席へ案内される。ガラス窓の向こうには昨夜は見えなかった初冬の森がはっきりと見えた。
だいぶ葉が落ちた樹々はどことなく寂しい雰囲気だが風情があっていい。
二人は早速料理を取りに行った。そして席に戻り食事を始める。
「朝はパン派なの?」
「うん。ハハッ、オッサンだから朝はご飯に味噌汁だと思ったんだろう?」
「そういう訳じゃないけど」
「意外かもしれないけど俺は結構パン好きだよ。別荘に来た時はいつも近所のパン屋に焼きたてを買いに行くしね」
「あ、もしかしてそれ『ブランジェ森川』?」
「そうそう、よくわかったね」
「旧軽にも支店があるでしょう?」
「うんあるな」
「私はいつもそこで買うわ」
「おっ、そっか。じゃああそこのレモンマフィンって知ってる?」
「もちろん。あれは美味しいけど季節限定よね?」
「うん、俺はあれが一番好き!」
「フフッ」
「どうした?」
「だってマフィンが好きなんてかわいくて…フフフッ」
「俺をからかうと部屋に戻ってからまたお仕置きをするぞ」
「嘘っ、もう駄目よ、チェックアウトまであまり時間がないんだから」
綾子が焦って言うと仁は声を出して笑った。
「ハハハ、冗談だよ。さーてと、もう一杯コーヒーをもらってくるかなー」
仁はそう言ってドリンクコーナーへ向かった。
仁の後ろ姿を見ながら綾子は幸せな気持ちに包まれる。
こんなに楽しい朝はいつ以来だろう? 綾子はニッコリ微笑むと美味しいデニッシュを一口食べた。
ホテルをチェックアウトすると仁は綾子を家まで送って行く。
「疲れただろうから今日はゆっくり身体を休めろよ」
「うん」
「それとアレだな。綾子の実家へご挨拶に行かないとな。実家は東京?」
「実家も世田谷なの」
「そりゃあ近くて便利だ」
「ただ、いきなり行ったらびっくりすると思うから一度私が話をしてからでもいい?」
「そうだな。でもなるべく早めによろしく」
「わかりました」
「仁さんのご実家は?」
「うちは武蔵野市なんだ」
「吉祥寺の方?」
「そう、ズバリ吉祥寺」
「いい街よね。ご実家にはご両親が?」
「両親と兄貴夫婦が同居してる」
「お兄さんがいたのね」
「綾子もお兄さんがいるんだろう?」
「うん。うちの兄も結婚しているわ」
「そっか。会うのが楽しみだな」
「こっちにはいつまでいるの?」
「年明けまでいる予定だったんだけど仕事が入っちゃったから年末に一度帰るよ」
「そっか」
「綾子と年越ししたかったのになー」
「私も年末は久しぶりに実家に帰ろうかな?」
「おっ、いいねぇ、じゃあ世田谷でデートしようぜ」
「うん」
「帰ってくる日がわかったら教えて」
「わかった」
その時綾子の家の前に到着したので仁は車を停める。
そして助手席のドアを開けて綾子を降ろすと後部座席の荷物を取ろうとした。
その時綾子を呼ぶ声が響く。
「綾子!」
見ると前方に叔母のたまきの真っ赤な車が停まっている。
「叔母さん!」
綾子は叫んだ後仁にヒソヒソと告げる。
「どうしよう……叔母さんが来ちゃったわ」
「慌てる事はないだろう。別に悪い事をしている訳じゃないんだし」
そこで仁はたまきに向かってぺこりとお辞儀をする。するとたまきは驚いた様子でお辞儀を返した。
それから駐車場へ車を停めたたまきが慌てて運転席から降りて来た。
仁は挨拶をしようと待ち構える。
「綾子、こちらは?」
「初めまして、神谷仁と申します」
「どうも初めまして、綾子の叔母の内野と申します。あら、二人で出かけてたの?」
「あ、はい。実は私綾子さんと結婚を前提にお付き合いさせていただいております。ご挨拶が遅れてしまい申し訳ありません」
「えっ? 綾子の彼氏?」
たまきはびっくりして口をポカンと開けた。そして何か気付いたように言った。
「あら? 私あなたの顔を知ってる……」
「叔母さん、彼は小説家の神楽坂仁さんなの」
「えーーーっ! かっ、神楽坂さんなのっ?」
「はい」
「えっ、あっあの作家の神楽坂さんと綾子が? 付き合ってる?」
「はい。驚かせてしまい申し訳ありません」
「ひゃー、びっくりしたー! 何て事! あ、と、とりあえず神楽坂さんこの後お時間あります?」
「はい」
「じゃあ綾子っ、うちに上がってもらって! そこでお話ししましょうよ」
「うん、じゃあ車を駐車場に……」
「了解」
そして三人は別荘のリビングにいた。
綾子は紅茶を入れたまきが持ってきてくれたチーズケーキと共に持って行く。
そこでお茶を飲みながら三人は話を始めた。
「つまり、綾子のメールフレンドが神楽坂さんだったって訳ね。で、神楽坂さんは新ドラマの為にサイトへ登録していたと…」
「そういう事です」
「へぇーそんなドラマみたいな出会いがあるんだー。ちゃんと説明を聞いてもまだびっくりよ。で、二人は何度か会ってから昨日婚約したのね。なんか凄い展開だわ」
「すみません、本来なら先にご実家へご挨拶に伺うべきだったのに」
「ううんいいのいいの、うちの兄夫婦は細かい事は全然気にしない人達だから。それに年が明けたら挨拶に行ってくれるんでしょう? それで充分よ。それにしてもほんと驚いちゃったわ」
「叔母さんびっくりさせてごめんね」
「ううん、謝る必要なんてないのよ綾子。こんなしっかりした方がこの先綾子と一緒にいてくれると思ったら私も安心だしね。綾子、良かったね、おめでとう」
綾子はたまきに「おめでとう」と言われ急に実感が湧く。そして心から喜んでいるたまきを見て目頭が熱くなる。
「叔母さんありがとう」
「あー、でもなんか嬉しいわ。思い切って来てみて良かった」
「そういえば叔母さん何で来たの? 冬は来ないって言ってたのに」
「それがさぁ、私もちょっと色々あってさぁ、それを綾子に聞いて欲しくて来たのよ。あ、神楽坂さんこの後もお時間大丈夫? もし大丈夫なら今日はうちで宴会しちゃおうよ」
「時間は全然大丈夫ですが」
「よしっ、決まった! 綾子、寿司とピザのデリバリー頼んでおいて。私ちょっくらお酒を買って来るわ」
たまきはご機嫌な様子で財布を持って家を出た。
そしてすぐに車のエンジンの音が響く。たまきは近くの酒屋へ向かったようだ。
後に残された二人は顔を見合わせて吹き出す。それから綾子が心配そうに聞いた。
「別荘に戻ってやらなきゃいけない事があったんじゃない?」
「いや、大丈夫だ。急ぎの仕事じゃないし」
「無理しないで! 叔母さん飲み始めると長いわよ」
「大丈夫だ。それに綾子の大好きな叔母さんだろう? だったらお付き合いするよ。それに叔母さんって言ってもまだ若いよな?」
「うん、今は58歳」
「じゃあ俺と13しか離れてないな」
「ほんとだ! でも色々あったって何があったんだろう?」
「悪い事ではなさそうだったよな? って事はもしかして?」
二人はニヤッと笑う。
「なんか面白くなってきたぞー。そうだ、綾子っ、ピザと寿司!」
「あ、そうだ、頼まなくちゃ。それにしてもなんでそんな組み合わせに…」
「まーなんでもいいじゃないか、叔母さんが食べたかったのかもしれないし」
「うん、そうね」
綾子は早速寿司屋に電話をかけた。
その間に仁は窓辺に飾ってある理人のフォトフレームを見に行く。写真の隣には先日仁がプレゼントした木の車が置いてあった。
それを見た仁は頬を緩めるとフォトフレームの中の理人を見つめる。
綾子の息子・理人はとても愛らしい顔をしていた。
おそらくこの写真を撮ったのは綾子だろう。理人はカメラを構える母親に向かって満面の笑みを浮かべていた。
(こんな可愛い子が父親の不倫中に事故で……なんてむごいんだ)
仁はやりきれない思いになる。そして心の中で理人にそっと呟いた。
(君のママは僕が守るからね。だから今度生まれ変わる時はまたママの子供に戻っておいで…)
仁は無意識にそんな事を思った自分に驚く。なぜか自然にそう思えたから不思議だ。
その時写真の中の理人がニッコリ微笑んだように見えた。しかし仁はその時目を瞑って写真に手を合わせていたのでその変化には気付かなかった。
たまきが戻りピザと寿司が届くと内野家の別荘では昼間から宴会が始まる。
飲み始めてからすぐに仁とたまきは意気投合し、まるで昔からの知り合いのように気軽に会話を交わしていた。
「で、叔母さんのいい事って何なんですか?」
仁はたまきのグラスにビールを注ぎながら聞いた。
「仁ちゃん、『叔母さん』って呼び方はなんだかよそよそしいから『たまき』呼びにしてくれるぅ? 私とあなたは13歳しか離れてないんだし」
「ハハッ、わかりました、じゃあたまきさん、色々あったって何があったんですか?」
「それがねぇ、私にもメル友が出来たのよ」
「「えっ?」」
仁と綾子が同時に声を出した。二人は驚いた顔をしている。
「って事は叔母さんも【月夜のおしゃべり】に登録したの?」
「うん、そう」
たまきはニッコリしてケラケラと笑った。
そこで仁と綾子が目を見合わせる。
「お相手は一体どんな方なんですか?」
仁が興味津々で聞くとたまきはまたニコニコしながら言った。
「それがさーっ、仁ちゃんと同い年なのよー」
「っいう事は45歳の年下男性?」
「そう、びっくりでしょう?」
「え? え? それで叔母さんどんな人なの?」
「それがねぇ、なんかフリーランスでお仕事やってる人みたいで結構収入はありそうよ。会話からわかるわ」
そこで仁は心配になり念の為に聞いた。
「たまきさんが会社経営をしている事はその人には話してないですよね?」
「話したら駄目よ叔母さん! 叔母さんが社長だって知ったらお金目当ての人が来るかもしれないし」
「うんそれは大丈夫、言ってないわ。ただ人材派遣会社の管理職とは言ったけどね」
それを聞いた綾子は仁に確認する。
「そのくらいは言って大丈夫?」
「まー会社名とか言わなければ大丈夫だろう」
「で、で、叔母さんその人と会うの?」
「そうねー、いつかは会うかもしれないけれど今のところはメールだけよ。結構メールが楽しくってさぁ、あ、仁ちゃん、私の趣味は宇宙なんだけれどその人とは宇宙関連の話で盛り上がっちゃってさー、なんか趣味友って感じなんだよね」
「へぇ、趣味で繋がれるのはいいですねー。でもたまきさんが宇宙好きっていうのは意外でした。結構レア趣味?」
「へへッそうかな? ちなみにアメリカのNASAにも種子島のJAXAにも見学に行ったしね」
「そりゃーガチですなぁ。俺の友人にも行った奴がいますよ、それも何度も」
「へー、その人いい趣味してるねー」
その後もたまきのメール相手の話で盛り上がる。
綾子は自分の将来の夫が大好きな叔母とすっかり打ち解けているのを見て嬉しい気持ちでいっぱいだった。
二人はまるで昔からの知り合いのようにざっくばらんに会話を楽しんでいる。
隼人と結婚している時はこういう光景は見られなかった。隼人が綾子の実家に足を運ぶ事はほぼなかったし叔母のたまきとこうして気軽に話しをしてくれる事もなかった。
社交的なたまきはよく綾子と隼人を食事に誘ってくれたが隼人は何かと理由をつけて逃げる。
だから楽しそうに会話をする二人を見て感無量だった。
たまきは綾子が婚約した事を心から喜んでくれている。そしてかなり安堵しているのだろう。今日のたまきのはしゃぎ具合からはそれが伝わってくる。
今まで心配を掛けてしまった分これからはあまり心配をかけないようにしなければ……綾子はそんな風に思った。
三人の楽しい宴会は結局夜まで続き、酒が抜けない仁は車を置いて別荘へ帰って行った。
仁が帰った後片付けをしているとたまきが言った。
「綾子、本当に良かったよ。仁ちゃんはいい人だから私も安心だわ」
「叔母さん、ありがとう」
「それにしてもさー、またまた著名人が綾子の夫になるとはねー」
「まだ実感がないけどね」
「でもその指輪素敵じゃない? 仁ちゃんの思いがこもってる。綾子に凄く良く似合ってるよ」
「うん、ありがとう」
「あー、私もメールフレンドと会っちゃおうかなー? でもさぁ13歳も年下だから自信ないなー」
「うーん、歳は関係ないと思うけどもうちょっとどんな人か知ってからでもいいのかも?」
「だよね。そこは慎重にいかないとね」
「私も応援してるからね」
「サンキュー、まぁあまり期待しないように頑張るわ」
「うん。でも進展あったら教えてよ」
「了解っ!」
そこで二人は顔を見合わせてクスクスと笑った。
こうして綾子の笑顔がいっぱいのクリスマスの二日間が終わった。
コメント
12件
仁の想いはとても自然で本物! なんと言っても天使のbreath(理人くんの導き)だからね☆
大切な人が自分の家族も大切にしてくれる💖その優しい人柄、気遣いが素敵ですね✨☺️
理人くんの写真に優しく呟き、手を合わせる仁さん🙏👼🍀✨ 理人くん、生まれ変わって もうすぐママと 新しいパパに逢えるね....💖👶🧸✨