テラーノベル
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「――あっ」
小さな声が上がった。振り返ると栗原マキオ……マー君が今にも泣きだしそうな、悲痛な表情で訴えかけてくる。
「どうしよう、キミカちゃん。今、お舟が沈んじゃった……」
「ホンマ?」
同じく真剣な口調でうちは問い直す。
小さい子供がこんな顔をしている時、適当に受け流すのは良くない気がしたからだ。
「どの辺? どの辺で沈んだか分かる?」
「ん。多分、あそこ……」
そう言ってマー君が指さしたのは、さらさらと穏やかな音を立てる水の流れ。それに弄ばれ浮き沈みしているのは、ボンヤリとした輝きを内に宿した灯篭船。
「ちゃんと海まで流れつかないと……。怖いお化けになっちゃうんでしょ?」
「大丈夫やで」
できるだけ気軽に聞こえるよう、うちは言った。
「これはこういう祭祀やから。たとえ、ホンマに海にたどりつかんでも儀式として流したっていう形式が大事やねん」
「……けーしき?」
「後は稚児天狗が、童ノ宮の神様がなんとかしてくれるってこと!」
そう言ってうちはマー君の、小さい子特有のまんまるいほっぺをツンツンと指で突いていた。……想像以上に柔らかく、プニプニとしていた。
夕闇に浸された河原にうちらはいた。
ミサキさんは仕事関係の人から電話がかかって来たらしく、少し離れたところで話をしている。
西の空を赤く燃やしながら、山の稜線の向こうに陽が沈んでゆく。
山の名前は稚児喰ノ山。物騒な名前とは裏腹にうちら童ノ宮の氏子にとっては、とても神聖で大切な場所でもある。
そして、その稚児喰ノ山の頂上から緩やかに流れ落ちているのが、ここ稚児啼川。
これまた穏やかじゃない呼び名とは裏腹に、穏やかな水の流れとたっぷりとした川幅が特徴的な河川だ。
そして、稚児啼川の河川敷や河原には大勢の見物客たちが集まっていた。
夏渡りの儀の神事の一つ、地獄流しを見物するためだ。地獄とか、またまた穏やかじゃないネーミングだけど、祭祀の思想的としては極めて健全だ。
要は、人の心に散り積もったツミケガレが禍を呼ぶ怪異と転じる前に灯篭の炎に宿し、異界に見立てた海に流すという清めの儀礼だ。
と、その時、うちとマー君のすぐ後ろを子供達の一団がゲラゲラ笑い声をあげながら駆け抜けてゆく。子供達はそれぞれ、プラスチック製の刀や錫杖を手にし、目鮮やかな稚児装束を身にまとっている。なかには左目に眼帯を当てている子も。
「な、なにあれ!? キミカちゃん、なにあれ!?」
よっぽど驚かされたのか、マー君が顔色を変え、うちの腰のあたりにしがみついて来る。
「ち、稚児天狗があんなにいっぱい……!」
「あー、あれなぁ」
マー君の背中に手を回しながら、思わずうちは苦笑い。
童ノ宮に住んでいる人間からすれば、毎年、恒例の景色だったから。
童ノ宮には平安時代、地獄から浮き上がって来た疫鬼の群れを討つために童ノ宮の神様が分身を放ち、うち払ったという伝承があり、長い間、重要な神楽の演目の一つだった。
昭和の中頃になると祭祀のイベント化が進み、六歳から十二歳ぐらい子供が稚児天狗に扮し街をねり歩くというオリエンテーションとなったそうだ。
「あれはただのコスプレ。ニセモンや。だから、マー君が怖がることなんか何もあらへんよ。……本物も別に怖くないし」
「でも、鬼は?」
うわめ遣いにうちを見上げながらマー君がポツリと言う。
「悪いことをする鬼は……まだ、残ってるんでしょ?」
マー君の問いかけに一瞬、うちは沈黙していた。
これまでの様々な出来事が脳裏をよぎり、自然と無表情にならざるを得ない。
確かにマー君の言う通りだった。怪異はいつ浮かび上がってくるか、わからない。油断すればどんな目に遭わされるか……。
「……キミカちゃん?」
「なぁ、マー君――。一つ、おまじない教えたろか? ……怖い時や辛い時、神様に助けてってお願いする詞」
「教えて!」マー君の顔がパッと明るくなる。
「僕、知りたい!」
うちはスゥと息を吐いた。
それから、マーくんの耳元に口を近づけ、唱え事をささやく。
オン アロマヤ テング スマンキ ソワカ。
オン ヒラヒラ ケン ヒラケンノウ ソワカ。
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