テラーノベル
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カフェに入ると、柊は注文カウンターの前で花梨に尋ねた。
「何飲む?」
「じゃあ、アイスコーヒーで」
「了解」
柊はブレンドとアイスコーヒーをスタッフに頼んだ。
「あ、私の分……」
花梨が財布を取り出し千円札を差し出すと、柊はそれを制止した。
「いいから」
「すみません……じゃあ、お言葉に甘えて」
飲み物を受け取ると、二人はテーブル席に向かい合って座った。
入社して以来、柊とは挨拶を交わす程度の関係だったため、夜のカフェでこうして向かい合っていると、なんだか緊張してしまう。
花梨がちらりと上目遣いで盗み見ると、そこには、映画の『王子様』にそっくりの上司がいた。
柊はコーヒーを一口飲んで、静かに尋ねた。
「で、別れたのか?」
突然の質問に、花梨は困惑し、意味が分からないという表情を浮かべた。
「えっと……それは、何のことでしょうか?」
酔っているせいで聞き間違えたのかと思い、花梨は恐る恐る問い返した。
すると、柊ははっきりとこう言った。
「君が買ったベッドに、他の女を連れ込んでいた男と、別れたのかって聞いてるんだ」
花梨は耳を疑った。本当に、自分の頭がおかしくなったのではないかと不安になる。
しかし、目の前の『王子様』は、どこか楽しげに彼女を見つめていた。
「かっ、課長! なぜそれを?」
「ははは、俺には透視能力があるんだ」
「本当ですか? それって、いわゆる霊能力みたいなアレですか?」
「そう。部下が何を考えているか、全部お見通しなんだ」
「ま、まさかっ、そんな特殊能力をお持ちとは……すごいっ!」
すっかり酔いが醒めた花梨は、顔を紅潮させながら目をぱちくりとさせている。
その様子があまりに新鮮で可愛らしかったので、柊は思わず頬を緩める。そして、微笑みを浮かべたままこう告げた。
「冗談だよ」
「冗談? なんだびっくりしたぁー! からかわないでくださいよー」
「君の反応を見ていると面白いな」
「もうっ! 冗談じゃないです! え? でも、どうしてそのことをご存知なんですか?」
「先月、居酒屋のトイレの前で、電話していただろう?」
心当たりがあった花梨は、思わずハッとした。
(紗世と飲んでいた、あの時?)
「あの時、課長もあの店に?」
「うん。ちょうどトイレに行こうとしたら、電話中の君とすれ違った」
「あ……」
そこで、花梨はようやく状況を把握した。
「そうだったんですね。恥ずかしいところを見られちゃいました」
「別に恥ずかしくはないさ。で、転職したのは、彼が原因?」
「……まあ、きっかけはそうです」
「そっか。で、きちんと別れたの?」
「はい。というか、一方的に私が裏切られたんですけど……」
「交際して何年?」
「二年半です」
「同棲してからは?」
「半年です」
「二年付き合ってから、同棲したんだ」
「はい……」
柊が顎に手を当て何かを考えている様子を見て、花梨は急にハッとした。
「あの……部下のプライベートのことが、課長に何か関係あるのでしょうか?」
花梨は、少しムッとした表情を浮かべながら尋ねた。すると、柊は口元に笑みを浮かべてこう答えた。
「いや……中途半端に知っちゃうと、結末が気になる性分でね」
「推理小説とかなら分かりますが、私のプライベートなんてどうでもいいのでは?」
「そうだな……。じゃあ、本題に入ろう。ホームでため息をついていた原因は、元恋人とのことか?」
柊が大きな勘違いをしていることに気づき、花梨は慌てて答えた。
「違います! 私、切り替えは早い方なので、過去のことは引きずらないタイプですから」
「じゃあ、なんでため息をついてた?」
「それは……」
「うちの職場に関すること?」
「まあ……」
「悪いようにはしないから言ってみろ」
優しい口調の柊の言葉に、花梨の心が大きく揺れる。それから彼女は、意を決したようにゆっくりと口を開いた。
「皆さん、とても良い方ばかりなのですが、どうも一人だけ私に敵意を向けてくるような感じの方がいて……」
その言葉に、柊は片眉を上げてこう言った。
「円城寺萌香?」
「わ! なんで分かるんですか?」
「そりゃあ、一応君たちの上司だからな。社内の雰囲気は常に把握しているつもりだ」
「はぁー、さすが……」
『さすが王子様』___思わずそう言いそうになった花梨は、慌てて言葉を飲み込む。そして、少し恐縮しながら言った。
「彼女、似てるんです」
「似てるって誰に?」
「私の恋人を奪った女に」
「……なるほど。その女性と君は、面識があったんだね?」
「はい。前の会社の二期後輩です」
「そうか」
「彼女と似ているから、つい無意識に私の方が警戒心を持ってしまうのかもしれません。それが、相手に伝わってるのかも……」
「なるほど……。でも、俺は違うと思うな」
「違う? じゃあ、どんな理由で?」
「彼女が君に敵意を向けているのは、おそらく自分の仕事を奪われると思っているからだろう」
「仕事を奪う?」
「そう。これから君には外回りに出てもらうことになるけれど、それは以前円城寺さんが担当していた仕事なんだ。でも、今、彼女には営業事務に専念してもらっている。だから、自分のポジションを奪われたと思っているのかもしれないね」
「そうだったんですか……」
それなら、萌香が自分を敵対視する気持ちも理解できる気がした。それが分かっただけでも、花梨は少し救われたような気がした。
「教えてくださりありがとうございます。そういう理由があるなら気にしないようにして、彼女と円滑に交流できるよう努力してみます」
「そうしてくれると助かるよ。まあ、また何か気になることがあれば遠慮なく言いなさい」
「ありがとうございます」
少し気持ちが落ち着いた花梨は、ホッとした様子でアイスコーヒーを飲んだ。
その後、二人はカフェを出た。
隣駅に住む柊は、そのまま駅へ向かうものだと思っていた。しかし、彼は花梨にこう告げた。
「家まで送っていくよ」
「課長! 大丈夫です。ここからすぐですから」
「いや、もう遅いし、家の前まで行くよ。こっちか?」
柊が進行方向を指差したので、花梨は仕方なく頷き、二人は肩を並べて歩き始めた。
「引っ越したばかりなんだろう?」
「はい。ようやく荷物が片付いたところです」
「そっか……。まあ、人それぞれ、人生にはいろいろある。だから、めげずに頑張れよ!」
その言葉に、思わず花梨は「プハッ」と噴き出してしまった。
「せっかく上司が慰めてやったのに、笑うとはなにごとだ!」
「すみません……だって、可笑しくって……」
「ということは、慰めなんて、君にはもう必要ないってことなんだな?」
「はい。せっかくご心配いただき恐縮ですが……」
「結構打たれ強いんだな」
「まあ、これまでもいろいろ悲惨な状況を経験してますから……」
その言葉に、柊は一瞬「おや?」という表情を浮かべた。しかし、花梨がそれ以上語らなかったので、深く追及はしなかった。
その時、二人は花梨のマンションの前に到着した。
「あ、課長、ここです」
花梨にそう言われた柊は、マンションを見上げながらこう聞いた。
「何階?」
「五階です」
「じゃあ、家賃は11~12万ってところか……」
「11万5千円です。さすが課長!」
「つい、いつもの癖で見てしまう。建物は少し古いが、いいマンションじゃないか。駅からも近いし」
「はい」
「じゃあ、また来週。おやすみ!」
「ありがとうございました。おやすみなさい」
柊は微笑みながら右手を軽く上げると、ゆっくりと駅へ向かって歩き始めた。
そんな彼の後ろ姿を、花梨は笑顔で見送った。
コメント
22件
17歳で結婚したから今更ながら花梨ちゃんみたいな女性に憧れます😢 できる女はやはり違いますのね‼️ 花梨ちゃん頑張れ〜✨
柊さんストレートにズバッと聞いたね。元カレ事情も気になってたしモヤモヤ晴れたね🤭 花梨ちゃんも色々話せて良かった。萌香の件も。まさか略奪した女に似てたとは😅 家&家賃まで知られてもう隠すものは無いね😂2人の距離が段々と縮まっていくのかな。とっても楽しみ(* ॑꒳ ॑* )⋆*ワクワク
シュウさんの花梨ちゃんの様子を見て機敏に深堀りしてくる所いいですね❤それは好意がないと出来ないことですよね(*´∀`*)王子様がグイグイきたらみんな女性陣は勘違いしちゃう。 二人の対等のような大人の恋愛もいいですね✨