テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
翌週、花梨は柊のアシスタントとして初めての外回りに出た。
訪問先は浜田家。花梨は事前に沼田係長から、地主である浜田家とのこれまでの経緯を聞き、くれぐれも失礼のないようにと念を押されていた。
「とにかく、浜田様はこの町の名士で、多くの土地を所有する地主さんだ。くれぐれもよろしく頼みますよ」
沼田係長の話を聞いた花梨は、高城不動産にとって浜田家との取引がどれほど重要かを認識する。
彼女は自分に課された責任の重さを感じ、身の引き締まる思いでいた。
(大丈夫! いつも通りやればいいのよ!)
彼女はそう自分に言い聞かせると、営業車の助手席に乗り込んだ。
車が動き出すと、柊は運転しながら花梨に向かって口を開いた。
「沼田係長から詳細は聞いていると思うが、浜田夫人はきちんとした対応のできるアシスタントをお望みだ。しっかり頼むぞ」
「分かりました。ご期待に添えるよう頑張ります」
やがて二人の車は、浜田家の豪邸に到着した。
家の中に通され応接室のソファに並んで座ると、浜田夫人が冷たい緑茶を持ってきた。
「もうすぐ10月なのに、なんだかいつまでも暑いわねぇ……」
冷茶のグラスを前に置かれた花梨は、丁寧に「ありがとうございます」と言って頭を下げる。
「で、この方が新しいアシスタントの方?」
「はい。彼女はうちの支店に来たばかりの水島と申します」
「水島花梨です。どうぞよろしくお願いいたします」
花梨は挨拶をして、浜田に名刺を渡した。
「浜田です。よろしくね! 水島さんは、前はどちらの支店にいらしたの?」
「いえ、実は私、転職組でして……」
「あら、そうだったの。以前はどちらに?」
浜田夫人の興味深げな表情に、戸惑いながらチラリと柊を見る。すると、柊は「正直に話しなさい」といった表情で静かに頷いたので、花梨は素直に話すことにした。
「以前は、村田トラスト不動産に勤務しておりました」
「あら、そうだったの。村田さんには、先日査定をお願いしたばかりよ」
その一言に、柊の眉がわずかに動いたが、口を開くことはなかった。
「そうでしたか。査定結果はいかがでしたか?」
「それがねぇ……査定額が妙に高いのよ。他にも数社、同時に査定をお願いしたんだけれど、村田さんがダントツで一番高くて……。普通は、高い査定額だと喜ぶのかもしれないけれど、なんだか不安で……」
そこでようやく柊が言葉を発した。
「失礼ですが、どのくらいの額を提示されましたか?」
「三億ですって!」
「「三億……」」
破格の金額に驚いた柊と花梨は、思わず同時に声を上げた。そんな二人を見た浜田夫人は、微笑みながら話を続けた。
「他の数社は、一番高くて二億五千くらいだったのに、いきなり三億でしょう? 驚いたわ。で、うちに来た営業の方が、あまりにも調子のよいことばかり並べ立てるものだから、逆に心配になっちゃって夫に相談したの。そうしたら、やはり昔から馴染みのある高城さんのところが安心だって言うもんだから、それでお電話したのよ」
「ありがとうございます。またお声掛けいただき光栄です」
「ううん、こちらこそ。あの時は私も大人げない態度を取っちゃって、申し訳なかったと思ってるわ。でも、実家には強い思い入れがあるから、そこのところは分かってほしかったの」
「おっしゃる通りです。ご実家を売却するというのは、大きな決断を必要としますから……」
花梨の言葉を聞いた浜田は、彼女にこう尋ねた。
「水島さんは、以前の会社で相続物件を扱ったご経験はあるの?」
「はい、何度もあります。それはもう皆様深く悩まれたうえで、最後に大きな決断をされていました」
「やっぱりそうよね。で、最終的に、皆さん、手放す方向を選ばれたの?」
「はい。その中でも、特に私が印象に残っているお客様がいらっしゃいます。その方は、 奥様を亡くされたご主人で、がらんとした広い家に一人で住むのは辛いからと、私どもに売却の相談をされました。その方も、かなり悩まれていましたね……」
「まあ、奥様が先に? それで、その方は、最終的にどうされたの?」
「はい。何度も売却契約の寸前まで進んだのですが、その都度立ち止まられました。家を手放すことは、奥様との思い出が消えてしまうようで、切なかったんだと思います。ですが、こういったことは無理に進められるものではありませんので、私どももじっくりお待ちすることにしました。そんな中、小学生になるお孫さんの一言が、お客様の心を動かしたようです」
「お孫さんが? それはどんな言葉だったのかしら?」
「そのお孫さんはこうおっしゃられたそうです。『おばあちゃんの思い出は、僕たちの心の中にちゃんとあるから安心して! それよりも、僕はおじいちゃんが一人でこの広い家に住んでいる方が心配だよ。だから、僕たちの家に来て一緒に住もうよ!』と」
花梨の言葉を聞いた瞬間、浜田夫人の瞳に涙が溢れた。夫人は慌てて手で涙を拭おうとしたが、花梨がすぐさまバッグから取り出したハンカチを差し出す。
「ありがとう……」
夫人はハンカチを受け取ると、すぐに涙を拭った。そして、二人に向かって言った。
「歳を取ると、涙もろくなって駄目ね……。でも、素敵なお話を聞かせていただいたわ。その方は、本当に素晴らしいご家族に囲まれていらっしゃるのね」
「はい。そのお客様は、いつもご自身のことは二の次で、ご家族を大切にされる方でした。その優しさが、お孫さんにもちゃんと伝わっていたのでしょうね」
「きっとそうだわ。それで? その方は最終的に家を売ってお孫さんたちと同居されたの?」
「いえ。実はその時、お客様はもしかしたら同居を望まれていないのでは? と感じたんです。それで、私の方から別のご提案をさせていただきました」
「どうして? 家は売ったんでしょう?」
「はい。ただ、先ほども申した通り、お客様はご自身のことは二の次で、ご家族のことを心配されるような方でしたので、自分が息子様のご家族と同居することで、迷惑をかけるのではと心配されていたようなんです。そこで、ちょうど息子様ご家族がお住まいのマンションに空きが出ていたので、そちらをご紹介させていただきました」
「まあ! そうなの?」
「はい。ちょうど同じ階に販売中のお部屋があったのでご提案させていただいたところ、すぐにご購入を決断されました」
「まあ、なんて素晴らしいの! 実は私もね、将来は息子夫婦に迷惑をかけたくないって思っているから、その方のお気持ちがすごくよく分かるわ。あなたは、そこにちゃんと気づいて最適な提案をされたのね! なんて素敵なんでしょう!」
「いえ……たまたまです。ちょうど同じマンションに売り物件が出ていたので、ラッキーでした」
はにかむように笑う花梨を見つめながら、浜田夫人はスッと背筋を伸ばして柊に言った。
「城咲さん! 私、決めました!」
「はい?」
「実家の売却、おたくにお任せしますわ!」
力強く宣言する浜田夫人を見て、柊は驚きながらもすぐに返事をした。
「ありがとうございます。精一杯、ご期待にそえるよう頑張らせていただきます」
「よろしくね! それと、この件は水島さんを担当にしてちょうだい!」
その一言に、今度は花梨が驚く。
「承知いたしました。担当は水島、そしてサポートで私が入らせていただきます」
「それなら心強いわね。お願いね、水島さん」
「はいっ! 精一杯務めさせていただきます!」
花梨は夫人の目を見てしっかり答えると、深々と頭を下げる。
そんな花梨の姿を、柊は微笑みながら満足気に見つめていた。
コメント
42件
花梨ちゃんのお客様に寄り添いながらも本心を見抜いた洞察力が素晴らしいな💕 仕事が出来る以上に暖かい人間性が滲み出てる👏👏 萌香は見習って欲しいわ😅 いや、多分ムキーって逆ギレしちゃうかな😂 花梨ちゃんの魅力&シゴデキぶりに柊さんは惚れちゃうね(*´罒`*)ニヒヒ♡
うぅ💧いい話涙が・・ 家を売却する時私も水島さんに 頼みます!流石社長賞🏆 色々資格も持ってるしアドバイスも 寄り添ってもらえそう!
デキる営業はちゃうなぁ。 「三億円でっせ。『三円置く』ちゃいまっせ。」 て、トミーズの漫才のネタみたいなこと言うてるどっかのめたすたとは偉い違いや(実話。ただし、相手は取引先やなく上司)。