昨夜仁と綾子は電話でかなり遅くまで話し込んだ。
仁は綾子の結婚のいきさつを知りかなり驚いた。松崎隼人の行為はほとんど犯罪だ。
しかし確かな証拠もなく月日もかなり経っている。そしてその後二人は結婚をしているので事件として立証するのは厳しいだろう。
実は仁は以前から似たような話を耳にしていた。テレビ関係の知人から聞いた話ではここ数年芸能界隈では隼人が綾子にしたのと同じような行為が横行しているらしい。
ターゲットにされる女性は新人のモデルや女優の卵が主らしいがたまに一般人女性も巻き込まれているようだ。
被害届が出されない為表沙汰にはならないがテレビ業界にも蔓延しつつあると言っていた。
(とんでもねぇヤローだな)
仁は隼人に対して静かな怒りを覚える。
仁は二人の結婚生活についても聞いた。綾子の話によると隼人は父親としての役割はほとんどしていなかったようだ。
ただ周りにはそう思わせないようにやってる感だけは常に出していたという。
隼人はきちんと家族サービスをしているのをアピールする為に隼人が所有している軽井沢の別荘に2度だけ来た事があると綾子は言った。しかし別荘では常に別行動だった事も話してくれた。
(何の為の別荘なんだよ、別荘っていうのは家族で楽しむ為のものじゃないのか? それともあいつにとっては愛人といちゃいちゃする場所でしかないのか?)
綾子と隼人の結婚は最初から破綻していたのだ。
結婚した時点で綾子は妊婦だったのでお腹の大きな女に対し隼人は全く興味を示さなかったらしい。
それでも世間体を考え綾子が理人を出産した時は病院へも駆け付けたしお宮参りや初節句などの席にもきちんといた。
綾子の両親に変に思われない為にそういう所には抜かりがなかったようだ。
(あいつにとって結婚とは一体なんだったんだ? 自由が好きな俺だって子供が出来たらもうちょっとちゃんとした父親になる自信はあるけどな)
仁はそんな風に思った。
この日仁は特に予定がなかったので少し散歩に出る事にした。歩くという行為は時に意外な発想をもたらすので、以前から仁は散歩をしながら構想を練っている。
今日はいつものコースとは違い全く逆の方向へ歩き始めた。仁は昨夜綾子との会話に出て来た砧公園へ行ってみる事にした。
柔らかな秋の日差しが肌に心地よい。風もカラッと乾いていて過ごしやすい陽気だ。
瀟洒な住宅街を20分ほど歩き続けるとやがて砧公園へ到着した。
公園内には広大な芝生が広がりその向こうには木々も植わっている。桜の季節にはこの芝生に大勢の人が押し寄せる。しかし今日はガランとして空いていた。
二年前までは綾子も息子の理人とよくここへ来ていたらしい。二人分の弁当を作ってきてここで食べたと言っていた。
綾子の話によると理人は積もった枯葉の上を歩くのが大好きだったらしい。手を繋いで枯葉の上を歩くと理人はキャッキャと言って飛び跳ねていたそうだ。
ちょうど仁も枯葉の積もった道を歩き始めていたのであえて枯葉が厚く積もった場所を踏みしめてみる。
カサッ カサッ ガサガサッ
(この音が好きだったのか………)
その時仁の脳裏には小さな男の子が母親と手を繋いではしゃぎながら落ち葉の上で飛び跳ねる様子が思い浮かんだ。
(切な過ぎる……やっぱりあいつは許せねぇ)
そしてポケットからスマホを取り出すと今歩いて来た道を写真に撮る。写真には秋色に染まる美しい公園の風景が見事に写り込んだ。
仁は脇にあったベンチに腰を下ろすと綾子にメッセージを打ち込む。
【君達親子の思い出の公園に来ています。もうすっかり秋だね。落ち葉を踏むのはなかなか楽しかったよ(笑)】
仁はメッセージに写真を添付して送信した。
綾子がそのメッセージに気付いたのは仕事の昼休みだった。
ベンチに座り弁当を出す前にスマホをチェックする。すると『God』からメッセージが届いていたのですぐに見た。
(あ、砧公園…懐かしい……東京ももうすっかり秋ね)
仁が添えてくれた写真を見て綾子は胸が疼いた。美しいその風景はあの日理人と見た景色と同じだった。
しばらくその写真を眺めてから綾子は『God』へ返事を送った。
【懐かしい風景をありがとうございます。あの頃と全然変わっていないので嬉しかったです。今度東京に戻ったら行ってみようかな?】
【是非! その時は洒落たカフェでお茶でもしましょう】
【はい】
綾子は叶うかどうかもわからない約束を快諾した。
昨夜綾子は洗いざらい全てを『God』に話した。もちろん元夫が有名脚本家の松崎隼人でありその不倫相手が白鳥ほのかだという事も全て話した。
綾子は『God』がかなり驚くだろうと思っていたが彼の反応が意外に冷静だったのでホッとする。
『God』もテレビ業界界隈の悪い噂を綾子に教えてくれた。
それを聞いた綾子はあの日隼人が自分の酒に薬を入れた事を確信する。
『God』と話していると今までの謎がどんどん明確になる。やはり隼人がいた特殊な世界は一般人の綾子にとっては異常な世界なのだという事がわかった。
『God』と話しているとどんどん心が軽くなるのを感じた。
『God』はどんな有能なカウンセラーよりも綾子を元気にしてくれた。
『God』の持つ傾聴力と共感力により綾子は昨夜の電話ですっかり勇気づけられ身体中に力が漲るのを感じていた。
(彼はかなり想像力が豊かなのかもしれない)
綾子はそんな風に思う。そして『God』の事が少しずつ気になり始めている自分に気付いた。
電話を切る前に『God』は綾子に言った。
「君が二人に制裁を加えたいというのなら全てを僕に任せてくれないか? いい案があるんだ。決して悪いようにはしないから」
「わかりました。すみません、変な事に巻き込んでしまって」
「いや、そんな事は気にしなくていいよ。あ、あと勝手に一人で行動しない事! 相手のバックには悪い奴らがついているかもしれないからね、女性一人だと危険だ」
「わかりました」
その言葉に綾子は華やかな世界の裏の恐ろしさを感じ取っていた。
そしていつの間にか『God』に導かれ話が思わぬ方向に進みつつある事に驚く。
『God』はおそらくテレビや本等何かの媒体を使うのではないかと綾子は密かに思っていた。
(本当に神様みたい)
綾子はまるで魔法にかかったみたいな感覚に陥っていた。
昨夜の出来事を思い出し笑みを浮かべていた綾子の元へ光江が近付いて来て言った。
「何を楽しそうに笑ってるんだい?」
「あ、お疲れ様です。いえ……」
「メル友の事を考えてたんだろう? 顔に書いてあるよ」
光江にそう言われた綾子は思わず頬を染める。
「ハハハ図星だね。そんなにいい男なのかい?」
「いえ、顔は知りません」
「写真交換くらいしたらどうだい? もう長い事やり取りしてるんだろう?」
「まあ……あ、でも電話では話しました」
「ほー、そりゃあ一歩進展したねぇ。どんな声だった?」
光江は煙草に火をつけながら聞く。そこで綾子は『God』どんな声だったかを思い出す。
「低くて落ち着いた声でした。なんか聞いていると安心するような?」
「ふーん、それはいい兆候だねぇ」
「いい兆候?」
「安心する声っていうのは一番相性がいいんじゃないの?」
「そうなんですか?」
「そう。人間の五感は嘘をつかないからねぇ。生理的に合わなければもうどうしようもないけれど『安心するような声』っていうのは最高に相性がいいんじゃないかな?」
「なるほど……あ、でもそれはこちらの一方的な判断で向こうはどう思っているかわかりませんし」
「そりゃそうだけどやり取りは続いているんだろう?」
「はい」
「だったら向こうもそう思ってんじゃないの? 少なくとも不快感はないからやり取りが続いているんだろうし」
「そうですか?」
「そうに決まってるよ。それにさ、最近内野さんいい顔になってきてるし」
「いい顔?」
「喜怒哀楽が戻ったって事!」
そこで綾子はハッとする。
「そ、そうですか?」
「なんだよやだねー、自分で気づいてないんだ? 工場のみんなも言ってるよ。内野さんが人間らしくなってきたって」
「…………」
「褒めてるんだよ。前はあんたとっつきにくかったからねー」
「やっぱりそうでした?」
「そうだよー、誰も私に話しかけないで! 誰も目を合わせないで! っていつもバリヤを張っててさー、でも今はすっかりそれがなくなっちまったよね」
「私、そんなに酷かったんだ」
「そうそう酷かったよー。良かったねーやっと人間に戻れて」
光江が声を出して笑う。
「え? じゃあ人間に戻る前の私はなんだったんですか?」
「うーん、例えるなら能面? いや、それともロボットか? アハハッ」
「ひ、ひどーい、フフッフフフフッ」
そこで二人は声を出して笑った。
仕事を終えた綾子はルンルンした気持ちでスーパーへ寄った。
(今日は理人が好きだったポテトグラタンでも作ろうかな? 理人は本当にジャガイモが好きだったわ)
綾子は最近理人の事を思い出しても以前のように悲しみに暮れる事はなくなった。むしろ今はあえて息子の事を積極的に思い出すようにしている。その方が理人も喜んでくれるのではと思ったからだ。
綾子は自分が確実に強くなっているのを感じていた。
その夜綾子はポテトグラタンを作ると小さな器に少し取り分け理人の写真の前に置いた。
そして理人の写真にニッコリ微笑みかけるとこう呟いた。
(ママはあなたの事をとても愛していたわ。そしてその気持ちはこれからもずっと変わらない。だから理人、ママの事を見守っててね)
綾子はテーブルに戻るとほくほくのポテトグラタンを美味しそうに食べ始めた。
コメント
7件
Godさんを思い出し笑顔になり、声を聞いて安心する綾子さん✨👼✨ 理人くん、ママが幸せそうで キミを思い出す時 笑ってくれるようになって....良かったね🥺🍀✨
理人くんが生きた証✨…優しい思い出となって良かった🥹
それにしても綾子さんと元夫はは結婚前から破綻はしてたけど理人君がいる時は建前だけでいい顔した父親のふりしてた元夫💢😡 本当に腹が立つ😡🗯️ 仁さんが言う通り理人君と別荘に行ったのだって家族サービスでもなく愛人とイチャコラするため⁉️💢o(`ω´ )o💢 こんな奴社会から抹⭕️されて欲しいわo(`ω´ )o