放課後の相談室。
窓の外には、傾いた陽の光がゆっくりと沈みかけていた。
机に肘をついていた遥の前で、ひとりの少年が言葉を探すように口を開いた。
「……俺、人と距離を取っちゃうんです」
小さく俯いたまま、彼は続けた。
「話しかけられても、どう返せばいいかわからなくて。
嫌われたくないのに、気づくと壁をつくってる。
仲良くなりたいのに、近づかれると怖いんです」
遥は黙っていた。
その沈黙が、否定でも同情でもないことを、少年は少ししてから理解した。
彼の目は、ただ「聞く」ためにそこにあった。
「怖いのは、裏切られるから?」
「……たぶん、そうです。
昔、すごく仲良かった友達がいて。
でも、ある日突然、俺の悪口を言ってるのを聞いちゃって……それから、誰を信じればいいのかわからなくなって」
少年の声が揺れた。
遥は指先でペンを転がしながら、低く呟いた。
「わかるよ。
俺も、誰かに近づかれるとき、つい“次はいつ離れられるか”って考える」
目の奥に、一瞬、影が差す。
「優しくされても、それがいつまで続くのか怖くてさ。
本気で関わるのが、怖い。……だから、先に距離を取って、自分を守る」
少年は顔を上げた。
「でも、それじゃずっとひとりじゃないですか」
「そうだな」
遥は淡く笑った。
「でも、“ひとりでいる自分”を責めなくていいと思う。
離れてしまうのは、臆病なんじゃなくて、痛みを知ってるからだ。
裏切られる苦しみを覚えてる人ほど、人を大事にしたい気持ちも本当は強いんだよ」
その言葉に、少年は小さく息を吐いた。
机の上の光が、二人の影を長く伸ばしていた。
「……俺、誰かとちゃんと話したの、久しぶりです」
「話すだけでも、少し楽になるだろ」
「はい。でも、また怖くなるかもしれません」
「それでいいよ」
遥は静かに言った。
「無理に変わらなくていい。人を信じるってのは、一瞬でできることじゃないから。
ただ、誰かが差し出した言葉を、ほんの少し受け取るだけでも十分なんだ」
少年はうなずいた。
窓の外で風が吹き、夕陽の色が淡く滲んでいく。
帰り際、彼は小さく笑った。
「……また来てもいいですか」
「ああ」
遥は目を細めた。
「ここは、“怖いまま来ていい場所”だから」
ドアが閉まったあと、静かな空気が残った。
遥は椅子に背を預け、ひとつ息を吐いた。
人との距離を測ることが、今も怖い。
けれど――それでも、今日も誰かの声を聞く。
その“距離”の向こうで、確かに息づいている孤独に、少しでも触れようとするために。
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