テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
翌々日、水鐘町の小さな情報誌に、新しい連載が載った。
題は『ランブリング』。
歩きながら拾った町の声を、そのまま少しだけ磨いて並べる短い記事だった。
駅前のパン屋の前では、「甘い匂いがすると、人は少しだけ怒り方を忘れる」と書かれている。川沿いのベンチの項には、「誰かを待つ人は、だいたい時計を見ない」とある。
大きな事件も派手な言葉もない。けれど、読み終わると自分の町を少しだけ違う目で見てしまう文章だった。
その回の後半に、橋の話が出た。
――一枚の写真は、会話の前後を置き去りにする。橋の上で二人が向き合っていたという事実と、何を話していたかという真実は、同じではない。
――噂は走る。でも、走りきったあとに息切れするのは、たいてい真実の方ではなく、勝手な想像だ。
最後には、短くこう結ばれていた。
――真実は、まだ別にある。
ロヴィーサの署名が入っている。
シェルターでは、ヌバーが雑誌を高々と掲げた。
「見た!? 見た!? 文章で殴ってる!」
「殴ってはない」
ホレが訂正する。
「でもかなり効くやつ」
モルリは何度もその一節を読み返していた。デシアは少し離れた場所で黙って聞いている。
サベリオも記事を読んだ。
たった数行なのに、自分の胸へ直接触れてくる感じがあった。決定的なことは何も書かれていない。それでも、誰かが雑に切り取られたものへ「待て」と言ってくれている。
それだけで、呼吸が少し楽になる。
「ロヴィーサさん、来ないかな」
ハルティナが言う。
「来るかも。あの人、橋の下の湿気たぶん好きだし」
ヌバーの雑な推測に、珍しくデシアが小さく笑った。
その笑顔はすぐ消えたが、消える前にサベリオは見てしまった。
笑えるなら、ちゃんと話せるんじゃないか。
そう思うのに、まだ自分からは近づけない。
夕方、ロヴィーサは本当に現れた。
「湿気の確認に来た」
開口一番そう言って、モルリに「何それ」と笑われる。
彼女は橋の下を見回し、壁の染みも床の傷も、裸電球の明るさまで観察したあと、雑誌の予備を机へ置いた。
「誤解が全部消える記事じゃない。でも、切り取られたままよりはまし」
「十分まし」
モルリが即答する。
ロヴィーサはうなずいてから、デシアへ向き直った。
「写真、ごめん。撮ったのは私」
場が一瞬、固まる。
サベリオの肩も強くこわばった。
だがロヴィーサは目を逸らさない。
「記事にはしなかった。でも、私の管理が甘くて外へ出た。だから止める責任もある」
デシアは驚いたように目を見開き、それから細く息を吐いた。
「……ちゃんと来て言うの、えらい」
「褒められたいわけじゃない」
「知ってる」
短いやり取りのあと、空気は完全にはほどけないまでも、少しだけまっすぐになった。
ロヴィーサは帰り際、サベリオの前で足を止める。
「歩いてると見えるものがある」
「急に何」
「止まってると、見えないものもある」
それだけ言って、彼女は橋の上へ去った。
意味は分かるようで分からない。けれど、分からないまま残る言葉ほど、あとから効く。
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!