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その日の夜、ようやくサベリオはデシアと二人きりになった。
皆が帰ったあとだった。橋の下には椅子を片づけたあとの空間だけが残り、しずくの音がぽつりぽつりと響いている。
ホレが置いていった連絡ノートは閉じられ、裸電球の光が長机の端だけを照らしていた。
デシアは原稿を鞄へしまいながら言う。
「昨日まで、ちゃんと説明できなくてごめん」
サベリオは入口近くの手すりにもたれている。近づけばいいのに、その距離の取り方しかできない。
「何を話してた」
やっと出た問いは、ぶっきらぼうだった。
デシアは少しだけ目を伏せる。
「アルヴェが持ってきたのは、事故の夜の記録」
「記録?」
「当時の進行メモと、機材搬入の写し。表に出てないもの」
サベリオは息を詰めた。
数年前の夜。装置が落ち、上演が止まり、自分だけが悪者として町に残った夜。
「なんで今さら」
「向こうも今まで持ってたわけじゃないらしい。古い書類の整理で出てきたって」
「それを、橋の真ん中で?」
言い方に棘が混じる。
デシアはその棘を受け止めたまま、少しだけ眉を下げた。
「ここじゃ人が多いから」
「だから余計ややこしくなる」
「分かってる」
「分かってたなら――」
そこでサベリオは口をつぐんだ。
責めたいのは確かだ。けれど、本当に責めたい点がどこなのか、自分でも整理できていない。橋で会ったことか、先に相談されなかったことか、アルヴェがまだデシアの近くへ来られることか。
デシアが静かに言う。
「中身はまだ全部読めてない」
「じゃあ見せて」
「今は無理」
「なんで」
彼女は返事に詰まった。
その間が、サベリオにはいちばんきつい。
「まだ裏取りがいるの。写しだけじゃ足りないし、名前も伏せないといけない部分がある」
「また足りない説明だな」
自分でも嫌になるほど冷たい声が出た。
デシアは何も言い返さない。ただ、まっすぐこちらを見る。
「足りないのは分かってる。でも、今ここで全部言うと、別の誰かを傷つける」
その言い方に、余計に胸がざわついた。
またそれだ。
誰かを守るために黙る。黙られる側は、置いていかれる。
サベリオは手すりから離れた。
「なら、俺は最後でいいんだろ」
言ってすぐ後悔した。幼い言い方だった。
だが取り消せない。
デシアの肩が小さく揺れる。
「そういう意味じゃない」
「今はそう聞こえる」
外の川風が、一気に橋の下へ流れ込んできた。裸電球がわずかに揺れ、二人の影も揺れる。
デシアは鞄の中から封筒を半分だけ取り出し、またしまった。
「時間をちょうだい」
「どれくらい」
「……すぐ」
曖昧だった。
その曖昧さが、今のサベリオには何よりきつい。
彼はうなずきもしないまま工具袋を肩にかけた。
「帰る」
「サベリオ」
呼ばれたが、振り向かなかった。
橋の下から外へ出ると、夜風が思っていたより冷たくて、喉の奥だけがひどく熱かった。