夜になると冷え込んできた。
アパートへ戻った美宇は、体を温めようと鮭とホタテのクリームシチューを作った。
茹でたじゃがいもとハムをマヨネーズで和えただけの簡単なサラダも添えた。
さらに、昨日スーパーで買っておいたバターロールもテーブルに並べた。
(美味しそう。熱いうちに食べよう)
そう思って椅子に腰かけたとき、玄関のインターホンが鳴ったので、美宇は驚いた。
(こんな時間に誰だろう?)
時刻は午後七時を過ぎていた。
もしかしたら隣人の関谷絵美かもしれないと思った美宇は、インターホンを確認せず玄関のドアを開けた。
そこに立っていたのは、朔也だった。
「青野さん!」
思いがけない人物に、美宇は驚いた。
その瞬間、外から冷たい風が吹き込んだ。
「玄関に入ってもいい?」
冷たい風が入るのを気にした朔也の言葉に、美宇は頷いた。
朔也が玄関に入りドアを閉めると、冷たい空気の流れが止まった。
「どうしたんですか?」
「お土産を渡そうと思ってね。はい、これ」
朔也は手にしていた袋を美宇に差し出した。
「え? いいんですか?」
「うん。お留守番代の代わり」
「ふふっ、留守を守るのは当然です。雇われているんですから」
「まあ、いいじゃないか。見てごらん」
美宇が袋の中を覗くと、ケーキの箱が入っていた。
「え? これって、もしかして……」
「前に陶芸教室のみんなと話してただろう? あそこのチーズケーキだよ」
「わあ、本当ですか?」
美宇が笑顔で箱に顔を近づけると、濃厚なチーズの香りが鼻をくすぐった。
「ありがとうございます。これ、一度食べてみたかったんです」
「喜んでもらえてよかったよ。それより、いい匂いがするな……」
朔也はシチューの香りに気づき、鼻をくんくんさせた。
その姿が子犬のように可愛らしく、美宇は思わず笑顔になった。
「今、ちょうど夕食を食べようと思っていたんです。たくさん作ったので、よかったら一緒にどうですか?」
自分でも大胆なことを言ってしまったと、美宇はすぐに後悔する。
だが、朔也は気にする様子もなく、嬉しそうに笑って答えた。
「じゃあ、お言葉に甘えようかな……お腹ペコペコなんだ」
「だったらぜひ」
美宇はスリッパを出し、朔也を部屋へ招き入れた。
「おじゃまします」
部屋に入った朔也は、物珍しそうに室内を見回した。
「へえ……ワンルームでも、けっこう広いね」
「はい。東京でこの広さはないですよね」
「たしかに」
「あ、上着掛けます」
美宇はそう言って朔也のダウンを受け取り、ハンガーに掛けた。
そして、椅子に座るように促した。
「すぐにもう一人分用意しますので、少しお待ちください」
「うん、食べようとしていたところにごめんね……」
朔也はそう言ってダイニングチェアに腰を下ろした。
美宇は急いで支度を整え、料理を運んだ。
それから二人は向い合って席につき、食事を始める。
「「いただきます」」
食べ始めてすぐ、朔也が口を開いた。
「美味しい! 鮭とホタテのシチュー、最高だな」
「ありがとうございます。ここは魚介類が東京より安いので、本当に助かります」
「うん……魚介の出汁が出てて美味いよ。七瀬さんは料理が上手なんだね」
「そんなことないです。シチューなら、ルーの箱の裏を見れば誰でも作れますから」
「いや、そうは思わないな。ちなみに僕が初めてカレーを作ったときは、水の分量を間違えてすごく濃くなっちゃって参ったよ」
「そうなんですか?」
「うん。カレーの説明書って、ルーを全部を使う場合と半分使う場合で水の量が違うだろ? それを知らなくて、先に目についた分量でやったら、ドロドロになっちゃってさ」
その言い方があまりにも可笑しくて、美宇は思わずクスクスと笑った。
「そんなに笑うことないだろう? まあ、僕がドジなんだけどね」
「ふふ……で、その濃いカレー、どうしたんですか?」
「もちろん薄めたよ。でも今度は水を入れすぎちゃって、さらさらのスープカレーみたいになっちゃった」
そこでまた、美宇はクスクスと笑った。
「スープカレーっていっても、コクも深みもない、ただのさらっとした薄いカレーね」
自分でそう言いながら朔也も笑い出し、美宇もつられて声を上げて笑った。
やがて笑い声が落ち着くと、美宇は前から気になっていたことを朔也に尋ねた。
「ひとつ聞いてもいいですか?」
「ん、何?」
「青野さんの経歴には陶芸歴35年って書いてありましたが、あれは……?」
「ああ、あれ? 実は親父も陶芸家なんだ。だから、僕は5歳から陶芸を始めたので、陶芸歴35年ってこと!」
その言葉に、美宇はようやく納得した。
「ああ、だから……」
「もしかして、僕がもっとよぼよぼのおじいさんだと思って応募した?」
「はい」
「ははっ、そうだよね、普通はそう思うよね」
「すみません……で、お父様は今は?」
「あの工房を僕に譲った後、あっさりと引退した。今は札幌のマンションで母と暮らしてるよ」
「札幌で?」
「老後は雪かきのない街に住みたいんだってさ」
「あ、なるほど……」
二人はまた同時に笑った。
そして笑いながら、美宇はふと心の中で思った。
(どうしたんだろう。青野さん……なんだかいつもと違う……)
明るく饒舌な朔也を見つめながら、美宇はそう感じていた。
今夜の朔也は、何かから吹っ切れたような、清々しい雰囲気に包まれていた。
コメント
17件
高校生の時朔也様の個展で香織さんに会った時から美宇ちゃんと朔也様は赤い糸で結ばれる運命だったのね きっと空の上の香織さんが赤い糸を手繰り寄せて二人を近づけたのかも(*'▽'*) 食後ケーキを食べながら二人はもっと親交をふかめていく…明日が楽しみです😊

吹っ切れたのならよかった。次の恋へいけますね。
2人で晩御飯とてもいい雰囲気😍 朔也さん、気持ちに整理がついて、真っ直ぐ美宇ちゃんに向かってるんでしょうね💕わぁーこれからの展開ドキドキ💓 陶芸歴35年 5歳から陶芸してたなんで凄い‼️よぼよぼのおじいさん😂 じゃなくて良かった🤭