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部屋の中は、静かすぎて妙だった。暖房の音もテレビもなく、ただ呼吸と、皮膚が擦れる音だけが残る。
シャツのボタンを外す指に、蓮司の目線がぴたりと貼りついていた。
「えらいえらい。……今日もよくできました、って言ってほしい?」
その声音は優しかった。まるで飼い主が犬に言うような、調子のよさだった。
遥は無言のまま、ベッドの上で膝をついた。すでに順序は覚えている。
「ほんと、助かるわ。言われなくても脱いでくれるんだもん。
さすが、“自発的にやってます”って顔だけはプロ級だよな」
蓮司はソファに座りながら、軽口だけで空気を撹乱する。
視線の動き一つ、指の角度一つで、遥の身体が反応することを知っている。
沙耶香はそれを黙って見ていた。
そしてゆっくりと近づき、遥の髪をつまむように持ち上げる。
「ねぇ……ほんとに、そうやって“楽しそうな顔”してくれると、安心するよ」
その声は、母性のふりをした支配だった。
嘲笑でも蔑みでもない、「私の下にあるもの」への満足感だった。
「ねえ、蓮司。こいつ、“わかってて”やってるんだよね。
“されるほうが悪い”って、……ちゃんと自覚してる子、助かるよね」
「うん。“わからないふり”する奴より全然いい。
あと、“泣くやつ”とか、“許してくれ”とか“愛して”とか。あれ、面倒くさくてさ」
蓮司の言葉に、沙耶香は笑った。
遥は黙ったまま、自分のシャツを脱ぎかけていた。
ふいに蓮司が立ち上がり、遥のあごに指を当てて、無理に顔を上げさせた。
「なに考えてんの?」
低く、囁くような声。
「……“殺してくれ”とか思ってないよね?」
遥の目が細くなった。
「思ってるって言ったら、やってくれんの?」
蓮司は笑う。優しく、飄々と。
「まさか。“生かしておく”のが楽しいのに、殺すわけないじゃん」
「──そう。だったら、今日も、ちゃんと“使って”よ」
その言葉は、甘さも皮肉もなかった。
ただの機能の確認のように、遥は自分を差し出した。
沙耶香が、その様子に目を細めた。
「ほんと、よく調教できたよね。
最初は無口で反応もなかったくせに、今じゃ、ほら……ちゃんと腰、動かすんだもん」
蓮司が肩越しに笑いながら言う。
「おまえ、壊れたっていうより……なんか、“育った”って感じ。
だいぶ“いい顔”するようになったよ」
「……見せてやってるだけだよ」
遥の声は、低く乾いていた。
「壊れたふりも、笑うふりも。……だって、そうすりゃ、おまえら満足するんだろ」
蓮司は少し首をかしげた。
「ほんとに“ふり”かな?」
その言葉に、遥の指が一瞬止まった。
沙耶香は、そんな遥を見て、唇を歪ませた。
「どっちでもいいんじゃない?
“自分がどう思ってるか”なんて、どうせもう、自分でもわかってないでしょ?」
「……わかってるよ。
“何もない”ってことは、ちゃんと、わかってる」
その言葉だけは、嘘じゃなかった。
蓮司の指が、遥の喉元に沿って滑る。
だがそれは欲望というよりも、感情の変化を探る医師の手つきに近かった。
「ねぇ、今どんな顔してると思う? 俺の目、ちゃんと見えてる?」
遥は黙っていた。見上げることも、拒むこともせず、ただ目を伏せる。
蓮司は飄々と続ける。
「ほんとはさ、怒ってる? 哀しい? それとも……もう、どうでもいいって?」
沙耶香が横で笑った。
「ねえ、どれが一番いいと思う? “壊れてるふり”なのか、“本気で壊れちゃってる”のか」
蓮司は一瞬だけ遥を見下ろし、無邪気に言った。
「“本気で壊れた”方が、やりやすいよね。反応、素直になるし」
その言葉に、遥はかすかに肩を揺らした。
それが怒りなのか、恥なのか、屈辱なのか。──もはや、誰にも判断できない。
沙耶香が呟いた。
「ほんとに、こっちが正しい世界なのかもね。
だって、“まとも”でいようとするほうが、壊れて見えるもん」