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展示会の熱気がまだ残る控室に、ヴァルボンが一つの木箱を抱えて入ってきた。
古いが、よく手入れされている。
角に小さな擦れがあり、金具は何度も開け閉めされた跡で少し曇っていた。
クリストルンはその箱を見た瞬間、息を止める。
「それ……」
モンジェが低くつぶやいた。
ヴァルボンは二人の前で立ち止まる。
「二十年前、会社が補償の一部として預かったまま、正式な整理ができていなかった品です」
声は落ち着いているのに、指先だけがわずかに強ばっていた。
「返すべきものを、返すのが遅くなった」
箱の蓋を開けると、中には婚礼家具の飾り布と、小さな鏡台の引き出し板、そして椿模様の金具が丁寧に包まれていた。
母の嫁入り道具の一部だ。
取り戻したと思っていた箱の、さらに向こう側にあったもの。
暮らしをつなぐために手放し、会社の不始末の影に取り残されていたものだった。
クリストルンは手を伸ばしかけて、ためらう。
それは物だった。
けれど、ただの物ではない。母が持ってきた時間であり、父が守りきれなかったものでもあり、自分の知らない二十年でもあった。
モンジェが横から静かに言う。
「受け取れ」
「でも……」
「これは、おまえのところへ戻るべきものだ」
ヴァルボンは深く頭を下げた。
「すまなかった」
社長としてではなく、一人の父親として頭を下げているのが分かった。
クリストルンはゆっくり箱を抱えた。
ずしりと重い。大きくないのに、腕の中で二十年ぶんの沈黙が重みになって返ってきたようだった。
モンジェがその箱を見つめたまま、ぽつりと言う。
「おまえの人生は、もう誰にも質に入れさせない」
その言葉に、クリストルンは顔を上げた。
父の目は少し赤いのに、声は不思議なくらいまっすぐだった。
「お父さん……」
「俺が一回やっちまった分まで、これからは守る」
「一回どころじゃなく、だいぶ遠回りだったよ」
「分かってる」
「遅い」
「それも分かってる」
泣きたいのに、最後のやり取りがあまりに父らしくて、笑いが混じる。
クリストルンは涙をぬぐいながら笑った。
ヴァルボンはその様子を見て、少しだけ肩の力を抜いた。
返しただけでは足りない。
それでも、返さなければ始まらない。
そんな顔だった。
箱の中の椿模様の金具が、会場の灯りを受けてかすかに光る。
失われたと思っていたものは、まったく同じ形では戻らない。
けれど、戻ってくるものはある。
クリストルンは箱を抱きしめたまま、そっとうなずいた。
今日という日は、玩具の発表の日であると同時に、家族の時間が少しずつ返ってくる日でもあった。
空乃 美晴
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雨晒しの原稿用紙