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展示会の締めくくりとして開かれた役員会は、いつもより静かだった。
大きなスクリーンに、来場者アンケートの速報値が映し出される。
滞在時間、体験率、反応、予約希望、自由記述。
レリヤがまとめた数字は、感情に流されないように整えられているのに、それでも会場で何が起きたのかがはっきり見える内容だった。
「体験後の評価、非常に高いです」
レリヤが淡々と告げる。
「特に“家族に持たせたい”“自分の親にも勧めたい”という記述が多い。年齢層も想定より広い」
ディトが資料を置く。
「安全面の最終確認も問題なし。量産条件を守れば、品質は安定する」
ヒューバートは腕を組んだまま言った。
「感触も十分戦える。あとは宣伝文句より、実際に触れてもらう導線」
ペトロニオがすかさずうなずく。
「そこは任せてください。今回は盛りすぎない方が強い」
役員たちが資料をめくる音の中で、クリストルンは膝の上の手をそっと握った。
隣ではルチノが前を向いたまま座っている。少しも楽な顔はしていないが、逃げる顔でもなかった。
ヴァルボンが口を開く。
「では、採決に入ります」
短い沈黙。
それから、一人、また一人と賛成が上がっていく。
最後の賛成が示された瞬間、クリストルンは息を吐いた。
肩から力が抜け、視界が少しだけにじむ。
「新商品“椿のリボン”の製品化を決定します」
その宣言が落ちたあと、ヴァルボンは資料を閉じずに続けた。
「併せて、二十年前の安全性問題に関する社内処分の見直しを公表します。現場責任者モンジェ氏への単独責任とした判断は不当であり、会社側の管理責任があったことを認めます」
ざわめきが走る。
だが今さら覆らないことを、誰もが分かっていた。
モンジェは後方の席で腕を組んだまま聞いていた。
呼吸は少し深い。
それでも目はそらしていない。
ヴァルボンは真正面から言った。
「長い時間を要したことを、会社として詫びます」
クリストルンは隣を見た。
ルチノはゆっくりと息を吐き、ようやく肩のこわばりを解いていた。
エドワインは席を外れていて、そこにいない。けれど、その不在さえも今日の結果の一部だった。
会議が終わると同時に、ペトロニオが小さく拳を握る。
「よし……」
レリヤは眼鏡を押し上げた。
「泣くのはまだ早い。量産はこれから」
「でも少しは浸っていいだろ」
「五分だけ」
ディトがクリストルンの横を通り過ぎざま、ぶっきらぼうに言う。
「やっと現場が報われた」
それだけ言って、すぐ前を向く。
けれどその一言は、誰より重かった。
クリストルンは立ち上がり、後方の父のところへ向かった。
モンジェはいつものように豪快な顔をしようとして、うまくできていない。
「どうだ」
「どうだ、じゃないよ」
「じゃあ、なんだ」
「おめでとう」
そう言うと、モンジェは一度だけ目を閉じた。
商品化。
名誉回復。
たったそれだけの言葉にたどり着くまで、あまりにも遠かった。
けれど今、ようやく現実の言葉としてそこに置かれた。
空乃 美晴
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雨晒しの原稿用紙