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ネックレスを返してもらっていないことに気づいたのは、マンションでシャワーを浴びようと服を脱いだ時。
いつもの習慣でうなじに手を回し、外すものがないことに気づいた。
あーあ……。
昼休みにでもホテルに忘れ物として保管されていないか聞いてみよう。
肩を落としながらシャワーを浴びた私は、長く放置していたスマホをバッグから取り出した。
その時、クシャッと丸まった真っ白な紙が目に入った。
手に取り、広げる。
Empire HOTELのメモ用紙だった。
『次の満月の夜、十九時にあの公園で待ってる』
いつ書いたのか殴り書き。
ネックレスは彼が持っているのだろうと、思った。
行けないわよ……。
言葉を交わしたことが間違いだったのだ。
ネックレスは残念だけれど、諦めよう。
私の目的は果たした。
あのお金を、彼に返せたから。
絶対、行っちゃダメ。
その言葉を、私は一カ月繰り返した。
*****
彼の前に姿を現すつもりはない。
ただ、彼の元気な姿を確認したかった。
一か月前の私はトレンチコートだったが、今夜は大きな襟のラップコート。
晩秋は終わり、初冬だ。
彼はベンチに座っていた。
時間はまだ、十八時半。
だが、一か月前のように肩は落としておらず、足を組み、電話をしている。
声は聞こえないが、雰囲気から察するに、仕事のようだ。
あのお金で、仕事は順調に進んだろうか。
あの夜同様に強い風が吹き、私は乱れる髪を抱えるように手で押さえた。
寒い。
この寒さならば、きっと彼もいくらもせずに帰るだろう。
そう思って背を向けようとしたが、なぜか身体が動かなかった。
十分ほどで彼が電話を終え、空を見上げた。
今夜は雲が多く、満月が見えない。
「来るまで諦めないからな」
突然、彼の声が聞こえた。
「絶対、諦めないからな!」
この場に私がいなかったら、相当イタイ独り言だ。
彼との距離は百メートルほどで、私は滑り台の影に立っている。
通りすがりの人が見たら、ホラーだ。
だから、早くこの場を立ち去らなければ。
元気そうで、良かったじゃない。
私は自分に言い聞かせ、彼に背を向けた。その時、背後で盛大なくしゃみが聞こえた。
振り返ると、彼が手で口を押え、それから両手をコートのポケットに押し込む。
貧乏ゆすりまで始める。
私はため息をつき、滑り台から顔を出した。
コツコツとヒールでアスファルトを叩き、彼に近づいていく。
その音が届いたのか、彼がゆっくりと首を回した。
私を見て、勢いよく立ち上がる。
反対に、私は立ち止まった。
彼が駆け寄ってくる。
私は、半歩、後退った。
が、もう半歩後退る前に、彼に抱き締められた。
「良かった――!」
彼の吐く息が耳元に触れ、その冷たさに驚いた。
「いつからいたの?」
「……」
私は彼の胸を押し離し、その手で彼の頬に触れた。
とても、とても冷たい。
「いつからいたの?」
「三……四十分前?」
「十九時じゃなかったの?」
「そうだけど――」
「――っ!」
彼の言葉を待っていたら、唇が重なった。
唇もまた、冷たい。
腰を抱かれ、逃げられない。
そうでなくても、逃げたのかはわからない。
とにかく、私は彼の背中に腕を回した。
それから、私の下唇を食む、彼の下唇を食んだ。
寒さを忘れるような、熱いキスだった。
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