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街頭ビジョンの光が、濡れたアスファルトに反射して不気味に揺れている。
画面の中では、女子アナウンサーが神妙な面持ちで原稿を読み上げていた。
『――逃走中の容疑者の身元が判明しました。名前は、レイ。かつて……』
「レイ」という名前がスピーカーから響くたびに、自分の輪郭が削り取られていくような感覚に襲われた。
「……レイ。あぁ、それが僕の「名前」だったか」
この間までの僕は、その名前を呼ばれれば当たり前に返事をして、平凡な、退屈な日常を生きていた。
けれど今はどうだ。
その二文字は、ただの「危険な怪物の識別番号」に成り下がっている。
「あの時の僕は何故かハイになっていた…。」
僕は震える自分の両手を見つめた。
雨に濡れた手のひらを握り込むと、指の間から「ありえないはずの熱」が立ち上る。
脳が、まだ沸騰している。
「なんだ、この力は。……何なんだ、僕は」
意識を向けると、視界の端に「影」が揺れる。
一歩踏み出そうとすれば、数秒後の僕が既にそこに立っている。
背後を振り返れば、さっきまでそこにいた僕の影が、じっとこちらを見つめている。
「……気持ち悪い」
自分の肉体なのに、自分のものではない感覚。
誰かが僕の中に、巨大で凶暴な「何か」を無理やり詰め込んだような違和感。
ふと横の路地に並んだ空き缶を、苛立ちに任せて蹴り飛ばした。
――ドォォォンッ!
重金属が爆発したような音が響いた。
空き缶はひしゃげるどころか、一瞬で鉄の塵となって、背後のコンクリート壁ごと粉砕されていた。
「……っ!」
ただ、軽く足を振っただけだ。
それなのに、壁には大型トラックが突っ込んだような大穴が開いている。
「人間の十倍……いや、もっとか? もし、今の僕が誰かに触れたら……」
その瞬間、脳裏にあの処刑台で弾け飛んだ「お偉いさん」の顔がよぎった。
一度手に入れた暴力は、もう元には戻らない。
自分が「昨日までのレイ」という人間ではなく、この世界に牙を剥く「何か」に変貌してしまった事実。
その恐怖に押し潰されそうになった、その時だった。
――ヒュンッ。
鼓膜を突き刺すような、空気を切り裂く高周波。
雨粒が、一瞬だけ不自然な方向に弾け飛んだ。
「……ッ、誰だ!」
僕は反射的に影を飛ばし、数メートル後方へと跳躍する。
さっきまで僕がいた場所には、雨を切り裂くような鋭い「線」が残っていた。
「……見つけたぞ。やっと、見つけた…。名前はレイ…だっけ?」
暗闇の奥から、僕を呼ぶ声がした。
一人は、どこまでも傲慢で、すべてを見下すような声
そしてもう一人は、歯の根が合わないほどガタガタと震えている、情けない男の声。
僕の目の前に、二人の「影」がゆっくりと姿を現した。
◆
数時間前。国家防衛局、地下研究所。
無機質な電子音が響く部屋に、二つの手術台が並んでいた。
片方には、自ら志願し、不敵な笑みすら浮かべているアレン。
そしてもう片方には、拘束具に縛られ、小刻みに震えているカケルという少年。
「早速だが、改造人間手術を始めようか。」
研究者のリーダーが冷ややかな目で二人を見つめる。
「ひっ、あ、ああ……っ。嫌だ、帰らせて……。僕、こんなの……っ」
「うるせぇぞ、カケル。……光栄に思え。僕と一緒に『最強』になれるんだからよ」
アレンの冷たい視線がカケルを射抜く。
「ボ、ボクとアナタはしょ、初対面なんですよ……。光栄にってお、おおかしいですよ…。」
「さぁ、無駄話は終わりだ。……人為的覚醒、最終プロセスを開始。……リミッター、解除」
研究員の冷徹な声と共に、二人の脳に直接、未知の遺伝子情報が叩き込まれた。
「ぎ、いあぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ痛い! 痛い! 痛い! 」
カケルが絶叫し、体が弓なりに跳ねる。
対照的にアレンは、歯を食いしばり、脳が焼き切れるような苦痛を、歓喜の表情で受け入れていた。
――五分後。
静寂が戻った部屋で、アレンがゆっくりと身を起こす。
その瞳には、人間を捨てた者特有の、底知れない光が宿っていた。
「……これで俺は奴を、殺せるんだな。」
「……あ、う……あ……は、吐きそう…。」
隣では、カケルが涙を流しながら、自分の足を見つめていた。
「成功したな…。おめでとう。君たちは今日からナンバーズだ。」
研究所のリーダーの声が、無機質な部屋に響く。
彼は手元のタブレットを操作し、二人の胸元のモニターに赤い数字を点灯させた。
「アレン、君はNo.1。カケル、君はNo.2だ。……これからはその『番号』こそが、君たちの存在意義だ」
アレンは自分の胸の『1』という数字を、誇らしげに、しかしどこか飢えたような目で見つめた。
対照的に、カケルは『2』という数字を震える手で隠すように抱きしめる。
「……あ、あの名前で、呼んでくれないんですか?」
カケルの小さな掠れ声は、即座に否定された。
「兵器に名前は不要だ。……さて、感傷に浸る時間は与えん。調整は後回しだ。今すぐ実戦に投入する」
「え……調整なしで、ですか?」
研究員が驚きに声を上げるが、リーダーは冷酷にモニターを指し示した。
そこには、雨の路地裏で自分の手を見つめて震えるレイの姿が映っている。
「No.1.2…仕事だ。この私のためバグを削除してこい。」
◆
――現在。
「……見つけたぞ。やっと、見つけた…。名前はレイ…だっけ?」
「ご、ごめんなさい……っ! でも、君を殺さないと、僕が……」
なんだ、この人たちは。
そう思った瞬間、世界から音が消えた。
瞬きをした刹那、目の前の雨粒が、まるで静止画のように空中で止まって見えた。
次の瞬間、視界から謝っていたはずの少年の姿がかき消え、真横から凄まじい衝撃が走った。
「が、はっ……!?」
回避する暇すらない。
肺の空気をすべて引きずり出されるような暴力的な衝撃。
僕は、濡れたアスファルトの上を数十メートルも転がり、コンクリートの壁に叩きつけられた。
「あ、う……あ……」
痛い。視界が、赤く明滅する。
壁が粉々に砕け、背中の骨が悲鳴を上げているのがわかった。
「……あは。アレン君、当たった。僕の攻撃、当たったよ……!」
煙の向こうで、カケルが泣きそうな顔のまま、狂ったように笑っていた。
「俺の名前はNo.1だ……。すごいな。よく当てたよ、No.2」
アレンの冷徹な声が、雨音を切り裂く。
僕は、崩れた壁の瓦礫の中で、自分の折れ曲がった腕を見つめていた。
「……痛い。熱い。死ぬ。……何も分からず、何も変えられてない。いやだ」
ドクン、と心臓が跳ねた。
脳の120%が、生存のために最適解を弾き出す。
またこれだ。
瓦礫を跳ね除け、僕はゆっくりと立ち上がった。
歪んでいた腕は、陽炎のような蒸気を上げながら、既に元の形を取り戻している。
「……あは! まだ動けるんだ! じゃあ、もう一回吹き飛ばす……」
調子に乗ったカケルが再び、音を置き去りにして消失した。
死角。
真後ろから、音速の蹴りが僕の後頭部を狙って振り抜かれる。
――だが。
「…まだ死ねないよな…。こんなとこで、こんな奴らに……」
蹴りが僕の頭を捉える寸前、僕の体は水面に映る月のように揺らぎ、透過した。
数秒後の『僕』に、今を重ねる。
空振りしたカケルの目の前に、僕は一瞬で「実体化」した。
「ひっ……!?」
僕は、逃げようとするカケルの顔面に、人間の10倍の筋力を乗せた拳を叩き込む。
――ドォォォォンッ!!
拳圧だけで雨が吹き飛ぶ。
カケルは間一髪で首を捻って回避したが、僕の拳がかすめただけで、彼の頬の肉が弾け飛び、背後のビルに巨大なクレーターが穿たれた。
「……ひ、ひいいいぃぃッ! 無理だ、死ぬ! あんなの人間じゃないッ!」
カケルは戦意を完全に喪失し、涙と鼻水を撒き散らしながら、夜の闇へと音速で逃げ出した。
あとに残されたのは、降りしきる雨の音と。
拳を固めて立ち尽くす僕と、驚愕に顔を歪めるアレンの二人だけだった。