鈴木栞(すずきしおり)・高校三年生。
栞は午後の授業を終え、少し早めに帰路へ着いた。
電車の中で扉にもたれかかっていると、数ヶ月前から時折起きる症状がまた現れた。
これまでは自分の部屋で起きていたので問題なかったが、この日は初めて電車内で発生してしまった。
(うっ…く、苦しい…….どうしよう……)
額や手に脂汗が滲み、顔はみるみる青ざめていった。
周りに異変を気付かれるのが怖くて、緊張すると余計に症状を悪化させた。
呼吸は乱れ、息を吸うこともままならない。
次第に、視界がチカチカと曖昧になっていく。
その時、電車がホームへ滑り込んだ。栞が降りる駅の、3つ手前だった。
栞は急いで下車し、初めて降りるホームのベンチに、崩れ落ちるように座り込む。
目の前に停まっている電車の乗客たちが、不思議そうに栞のことを見つめている。
その視線を感じ、さらに呼吸が乱れていく。
(どうしよう……)
その時、発車ベルの音がホームに響き、やがて電車は走り去っていった。
少し安堵した栞は、この状況をなんとかしようと、意識を呼吸に集中した。
自宅で発作が起きた時は、落ち着いて呼吸に集中することで発作は収まっていた。
以前調べたネットの情報では、リラックスして深い呼吸を続けるのが良いと書かれていた。
栞は呼吸に集中しながら、ぼんやりと向かいのホームにある看板に目を留めた。
『貝塚こころのクリニック・当駅から徒歩1分 ・予約なしOK! ・1人で悩まないで!』
ボーッとする頭で、栞は必死に考える。
今、自分に必要なのは、こういった病院ではないだろうか?
そう思った栞は、ふらつく身体をなんとか支えながらベンチから立ち上がると、意を決して改札へと向かった。
自動改札を通り抜け、駅を出た目の前にそのクリニックはあった。
(助かった……)
栞は血の気の失せた顔のまま、よろよろとクリニックへ歩み寄ると、精一杯の力でドアを押し開ける。
そして、クリニックの中に一歩足を踏み入れた瞬間、力尽きてその場に倒れ込んでしまった。
その瞬間、待合室にいた患者達から驚きの声が上がった。
「「「キャーッ!」」」
受付にいた女性の一人が、栞めがけて走ってきた。
もう一人はクリニックの奥へ向かい、医師を呼びに行ったようだ。
ぼんやりとした視界の隅でその光景を捉えながら、栞の意識は徐々に薄れていく。
(助けて!)
栞はぽろぽろと涙をこぼしながら、心の中で無言の叫びを上げた。
その時、駆け寄ってきた女性が栞をしっかりと抱きかかえ、優しく声をかける。
「大丈夫よ、もう大丈夫だから」
その声は、栞が幼い頃に亡くした母の声にとてもよく似ていた。
(お母さん……)
栞は苦しい表情を浮かべながらも、口元にはかすかな笑みが広がっていた。
意識が遠のく中、栞は亡き母が自分の元に来てくれたのだと思っていた。
その時、栞の耳元で、突然力強い声が響いた。
「もう大丈夫だ、安心して! 呼吸に集中しようか。深く息を吸ったら、ゆっくり吐き出すんだよ。ふかーく吸って、そうそう、次はゆっくり吐いてみようか。吐くときは長めにね。吸ったときの二倍くらいの長さで吐き出すんだ。そう、その調子! 吸ってー、吐いてー、もう一度吸ってー、吐いて―……いいよ、上手だ、その調子、そのまま続けよう。はい、吸って―、吐いて―……」
待合室の患者たちは、二人の様子を固唾を飲んで見守っていた。
医師は栞を抱えながら、力強く語りかける。
その声に、栞はなぜかホッとするような安心感を覚えていた。
医師の言葉に耳を傾けているうちに、栞は少しずつ呼吸が楽になってくるのを感じた。
苦しさは、確実に和らいでいる。
医師は根気よく言葉をかけながら、栞の背中に手を当てて力を込めて押す。
そのあと、優しくトントンと叩いてから、再びグッと背中を押した。
その動作は、栞の呼吸に合わせ繰り返されているようだ。
しばらくその動作を続けていると、青ざめていた栞の顔に血の気が戻り始めた。
しかし、栞はまだ身体に力が入らず、立ち上がることもできなかった。
「よく頑張ったね、偉いぞ! 少し奥で休もうか」
医師はそう言うと、栞を抱き上げて奥の処置室へ向かった。
その後ろを、栞の鞄を持った受付の女性が静かについて行く。
患者たちは、栞と医師の様子を見守りながら、息を呑んで顔を見合わせる。
それから、互いに頷き合い、ほっとした表情を浮かべた。
一方、医師に抱き抱えられながら運ばれていく途中、栞はかすかに爽やかな柑橘系の香りを感じた。
その香りは、なぜか安心感を与えてくれるような気がした。
(いい香り……)
その香りを胸いっぱいに吸い込みながら、栞はゆっくりと眠りに落ちていった。
その時、栞の頬には一筋に涙が伝っていた。
コメント
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私も思い出しながら読み進めたいと思います。
なんかもう良い🆗瑠璃マリ作品ラベンダーに続く第二推し作品👏👏👏
マリコ様 ありがとうございます😊 待ってました❤️ 運命の出会い 二人だと思ってましたが三人 の運命の出会いでしたね みんな優しい人^_^ これからが楽しみです