そして週明けの月曜日になった。
朝はいつも簡単な朝食をとってから、
良輔が先に出て凪子は30分ほど遅れて家を出る。
良輔が家を出た後、凪子は急いで食器類を片付けると、
身支度を整えてから家を出た。
マンションを出る前に、一階のポストをチェックする。
土日にチェックするのをすっかり忘れていたからだ。
ポストには、三通の郵便物が入っていた。
凪子は駅へ向かいながら郵便物をチェックする。
一通はクレジットカードの引き落とし明細、
そしてもう一通は不動産関連のセールスハガキ。
そして最後の一通を見た凪子は、思わず立ち止まる。
それは、見た事のない温泉旅館からのハガキだった。
【以前ご利用いただいたお客様へお得なご案内です!
このハガキをお持ちいただくと、今なら20%割引でご宿泊いただけます。是非またのお越しをお待ちしております】
ハガキにはこう書いてあった。
旅館の住所は、山梨県に古くからある温泉地だった。
凪子は過去の記憶を辿る。
良輔と富士五湖へドライブに行った事は何度かあったが、いつも日帰りだった。
その温泉旅館には泊まった事がない。
凪子がいぶかし気に思っていと、ふと腕時計が目に入る。
(いけない! 遅刻しちゃう!)
凪子はハガキを一旦バッグの中へしまうと急いで駅へ向かった。
会社に着いて仕事を始めた凪子の頭からは、
先ほどの事は全て消え去っていた。
今、凪子は新しいプロジェクトに取り掛かっている。
凪子が主任を務めるチームが、新しいブランドを立ち上げる事になったからだ。
新しいブランド名は『fierte(フィエルテ)』。
フランス語で『誇り』という意味だ。
このブランドは30代~40代の女性をターゲットにしている。
ブランドのコンセプトは『誇り高い女性』を意識し、
それに女性らしいしなやかさや色香をプラスしたイメージだ。
女性として生まれたからには、女性としての悦びを味わってほしい。
そんな願いを込めて、このfierte(フィエルテ)は立ち上げられたのだ。
長く続いた感染症の影響で、このところアパレル業界も売り上げが低迷している。
しかし最近は、株価もバブル以来の最高値の更新、そして企業の賃金アップ等、
明るいニュースも耳にするようになってきた。
長い間息をひそめていたアパレル業界に、
Magnifique(マニフィーク)が先陣を切って起爆剤となる新ブランドを立ち上げるのだ。
なんとしても成功させたい。
凪子は今、気力もやる気も充分にみなぎっていた。
スタートしたばかりのこの仕事に全力で集中しているので、
凪子の頭からは、良輔の浮気疑惑の事などはすっかり消え去っていた。
この日は、フロアの隅にあるミーティングルームで、
凪子のチームの企画会議が行われていた。
「じゃあ、新ブランド『fierte(フィエルテ)』のコンセプトは、そういう方向で決定ね!
今回このブランドの監修をしていただくデザイナーの戸崎さんには、明日私がご挨拶に行って来ます。
で、デザイン画を何点か見てもらってくるわ! あとは店舗のデザインをKスタジオさんに依頼しなくちゃね!
それは真野ちゃんお願いしてもいい?」
「承知しました」
凪子の第一アシスタントの真野京子が返事をした。
「じゃあ以上! お疲れ!」
そこでチームのスタッフ達は、
ミーティングルームを出てぞろぞろと席へ戻って行く。
「ああ、真野ちゃん、戸崎さんへの手土産の手配は?」
「ばっちりです! 明日朝イチで受け取ってから持ってきます!
それにしても今を時めくイケメンデザイナーが甘党だなんて、なんだか可愛いですよね!」
「本当よね! イメージが違い過ぎるわ!」
凪子はフフッと笑う。
そこで真野が聞いた。
「凪子さんは、戸崎さんとのお付き合いは長いんですか?」
「うん、私がまだ新人だった頃に初めて会ったから、もう8年くらいになるかしら?」
「へぇ…それにしても凄いですよね。今世界で引っ張りだこのデザイナーとお友達だなんて!
その縁もあって今回うちの監修を引き受けてくれる事になったんですよね?」
「うん…正直、今回この仕事は受けてくれないんじゃないかって思ってたの。
だって普通に考えたら、パリコレに行くような人がただの婦人服の監修なんて受けてくれるはずないって思うじゃない?
でもあっさりと引き受けてくれたから、逆に拍子抜けしちゃったわ」
「そうだったんですねー! でも長年の友達である凪子さんの頼みだから断れなかったっていうのもあるんじゃないですか?」
「フフッ、そんな気遣いなんてしてくれる人じゃないわよ! だって、普段はバシバシとダメ出しばっかりだもの!
それこそ新人の頃は、何度泣かされたか…」
「えーっ? 凪子さんが? 意外!」
「まあ厳しく育ててもらったからこそ、私も辞めずにまだここにいるのかもしれないけれどね」
凪子はそう言って笑った。
「へぇ…なんか同志って感じでいいですねー! 私も信頼できる男友達が欲しいなぁ…あ、えっと、じゃあ早速Kスタジオさんに依頼かけてきますね」
「お願いね」
凪子は部屋を出ていく真野に声をかけた。
コメント
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温泉旅館からの…手紙…🥺 宿泊時には書きますからね…台帳に…住所を…