テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
2026年7月23日午後5時05分/■■県童ノ宮市湯湯山町東新大群■■―■■童ノ宮神社・祈祷所/鳥羽リョウ
南無 大天狗小天狗十二天狗有摩那。
南無 秋葉大権現。南無 三尺坊大権現。南無 火之加具土神。
童ノ宮の由縁を申し上げる。
その昔、湯山の里に天の遣わした御子あり。
燃え盛る御姿でご慈愛を与え給う。
ふるふると震ふ亡者。
荒ぶる神。
隔てるたゆたう水面。
くるくると独楽のごとくに回りしは人の心と世のことわりの物語。
諸々の禍事・罪・穢・物の怪有らむをば焼き祓い給え。
燃やし清め給えとかしこみかしこみ申す。
オン アロマヤ テング スマンキ ソワカ。
オン ヒラヒラ ケン ヒラケンノウ ソワカ。
祭壇に向かって恭しく頭をさげ、天狗の羽団扇を模した御幣を左右に振りながら神職姿の塚森レイジが童ノ宮心経を繰り返し奏上している。
俗な物言いだがレイジの祈りは本物、いやそれ以上だ。神聖な句が一つ一つ紡がれるたび、言の葉は詞となり、詞は言霊と昇華されてゆく。
言霊は此岸から打ち上げられた花火のように彼岸、童ノ宮の神がおわす天狗道へと届けられる。
その証拠にここ、祈祷所の雰囲気はほんの数分前とは空気が一変している。霊的な力に不感症な人間でも思わず背筋を正してしまうような、張り詰めた、だが清浄な神気に満たされて。
ふと、俺はレイジの背後――、床に描かれた魔除けの八角紋の中心で座っている栗原ミサキン視点を転換。小柄で童顔、まだ若いせいもあるだろうが、いかにも頼りなさそうな女だ。その横顔には酷く憔悴した様子が見受けられ、感情の失せた瞳は祈祷を続けるレイジの背中で固定。
そして、俺はと言うと部屋の壁際に置かれた椅子に腰を掛けて、その様子を見守っていた。
結局、俺はまだ栗原ミサキと直接言葉を交わしていない。儀式の準備で忙しくそれどころじゃなかったということもある。だがそれ以上に面と向かえば辛辣なことを言ってしまいそうで、こっちから話しかけるのに躊躇いを覚えたからだ。
もちろん、理解はしている。キミカに向けられた一連の凶行は怪異に憑依されていたせいだと。本来の栗原ミサキはごく普通の女であり、決してそんな狂暴な人格の持ち主ではないと。
それは分かっているのだが、それでもモヤッとしたものは残る。
確かに本当に悪いのは怪異だが、付け込まれる弱さがあったことは本人の責任ではないのか……。
いや、もうやめておこう。
この期に及んで不平不満を垂れたとて、何の意味もないし、俺一人が集中を欠かすだけでこの場にいる全員が危険に晒される。
それに栗原ミサキはこの場を生き延びようがどうしようが、子供を失うことになる。
今のマキオは稚児天狗がその残滓をかき集めて再現した、謂わば紛い物のマキオだが――、それでもミサキにとっては一年以上、ともに暮らして来た大切な我が子であることに違いはない。そして、子供を失った後もこの世に留まり続けねばならない絶望は俺にも理解はできる。
キミカほどではないにせよ、小柄な栗原ミサキの背中を見ているうちに俺は胸が詰まり、小さく嘆息していた。
と、隣から特殊スチール製の手が伸び、俺の腕をつかむ。思いのほか痛くて、思わず義手の主である女――、柴崎ゼナに視線を向ける。
深く頭を俯かせていた柴崎ゼナの表情はこれまで見たことがないほど緊張に強張っていた。もう片方の手は自らの下腹部に当てられている。
女のこめかみの辺りから冷や汗が一筋のしずくとなって滴り落ちるのが見えた。
「おい、ゼナ博士。あんた――」
「警戒しろ鳥羽リョウ」
極度に緊張しているせいだろう。俺に応えた女の声は低く、かすれていた。臨戦態勢の獣が威嚇の唸り声を発しているかのようだった。
「始まるぞ。……怪異が栗原ミサキから引きはがされ、こちら側に来る」
「そうか。一応聞くがそれって後、どれくらい掛かりそうなんだ?」
「今――、だね」
柴崎ゼナの言葉が言い終わならないうちに床に描かれた八角紋の中にいた栗原ミサキが絶叫した。背骨が折れてしまうのではないかと思わず危惧してしまうほど身体を海老反りにして。
しかし、ほとばしったのは栗原ミサキの声じゃない。人間の女のものですらない。それはこの世ならざる獣の絶叫だった。
絶叫が止み、一瞬空恐ろしくなるほどの静寂がその場を支配した後――。
バッタリとその場に倒れ伏した栗原ミサキの身体からヌルリ、と何か黒くて大きなものが抜け出すのが見えた。いや、見えたような気がした。
何しろ、それは俺が片手を腰のツールポーチに伸ばすよりも素早くて、よく視認できなかったから。冷たく生臭い一陣の風が俺と柴崎ゼナの間を吹き抜けていった。
「な、なぁ今のって……。ひょっとしたら敵さん、退散したのか?」
「そんな簡単に事がすむはずないだろ」
苛立ちを隠しきれない声で柴崎ゼナが俺に応える。
「ああやって剥がれた以上、儀式に効果はあったのだろうが――、恐らくは実体化するため時間稼ぎだろうさ」
「そして――、地獄道に棲まう悪しき者は必ず鬼門から攻めてくる」
いつの間にか御幣から持ち替えた錫杖の先端を鬼門、北東の方角に向けながらレイジが告げた。その声は緊張に乾ききっていて……。
次の瞬間、ギシッと言う軋んだ音が響いた次の瞬間、錫杖の先が向けられた壁一面に亀裂が走っていた。
あぁ、このクソッたれめ……。
キミカがこの場にいたら口にはできなかった悪態を俺はついていた。
腰のツールポーチから柴崎ゼナが鬼玄翁と名付けたネイルハンマーを引き抜きながら。
それと同時、亀裂の入った北東の方角の壁が砕け散っていた。粉々になったブロックや建材が雨あられと祈祷所の畳の上に散らばる。
ポッカリと大きな穴のできた壁の向こう側に覗いたのは、白い陶磁器のような質感を持つ、面長な顔だった。ニヤニヤと胸の悪くなるような笑みを浮かべたそれが仮面であることは一瞬で分かった。
うねるような黒い剛毛で全身を覆われ、虫を思わせる節くれ立った四肢。ノソリと鈍重な動作で祈祷所に足を踏み入れて来たのは、巨大な怪異だった。
聞いていたのと話が違うぞ、と俺は思った。栗原ミサキに憑いていたのは浮足坊主とか言う種類の水の属性を持つ雑鬼だったはず。
この手の怪異なら俺も何度か目にしているが、個別に名のある鬼や鬼神とは違い、その力や姿は矮小で大きさも三十センチからせいぜい一メートルぐらいしかない。
それが――、何なんだこいつは? 頭のてっぺんから爪先まで少なく見積もっても、三メートル以上はある。まるでヒグマだ。
宿主である栗原ミサキを精神的に追い詰め、そのストレスを喰らってここまで成長したのか。
と、立ち尽くす俺達を睥睨し
「――あぴゃぴゃぴゃぴゃ! あぴゃぴゃぴゃぴゃ!」
雑鬼が高い声を張りあげる。その巨躯を小刻みに痙攣させながら。どうやらこっちを取るに足らない相手と見て、侮り、嗤っているらしい。
その様子に俺は交渉は不可能と判断。ちらりとレイジに視線を送る。
心得た、と言わんばかりに錫杖を構えレイジが前へと駆け出す。俺も血の気が引き冷たくなった手で鬼玄翁を握りしめ、その後に続いた。
左右同時に接近され――、怒りに満ちた唸り声をあげる雑鬼。しかし、やつがその手を伸ばしたのは、俺でもレイジでもなかった。
雑鬼が頭を握り潰そうと狙いを定めているのは、床で意識を失っている若い女。栗原ミサキ。
ちなみに栗原ミサキを囲うよう描かれた八角紋は、ほぼ無意味だった。純然たる霊体が相手ならともかく、実体を持ち殺意に満ちた巨獣相手に魔よけなど威嚇程度の効き目があるかさえ怪しい。
ガッと鋼鉄が鋼鉄を打ちすえるような音。微かに火花が飛び散る。レイジが錫杖を上へと跳ね上げ、雑鬼の爪を指ごと弾いたのだ。
「あー! じゃ、邪魔しないでくださぁーい! あー! あー!」
文字通り、お預けを喰らった犬のように雑記が喚き声をあげる。
「そ、その肉は私が時間をかけて熟成させたのですよ!? 誰にも邪魔させません!」
「女性を、いや、人間を肉呼ばわりするな」
雑鬼に言葉を返すレイジの声には、心の底からの嫌悪感が滲み出ていた。
胸の前で錫杖を一回転させると先端の鈴鐶がこすれ合い、冷たく澄んだ音を立てる。鋭く光る眼で雑鬼を睨みつけ、それに、とレイジは付け加えた。
「……貴様は育ち過ぎだ。少しダイエットしたほうがいい」
その隙に、と俺は左から大きく回り込み――、雑鬼の足元に身体を滑り込ませる。そして、スライディングで駆け抜け様に手にした鬼玄翁を大きく振り抜け、雑鬼の膝を強かに殴りつけていた。
ボキッと言うくぐもった鈍い音が響き、雑鬼が苦悶の呻き声をあげながらグラリと身体をよろめかせる。
怪異はもちろん、生物の身体構造などまるで疎い俺だが掌に伝わって来た確かな手応えが俺に敵の骨を砕いたことを伝えてくる。
同時に俺の頭のなかで響いたのは、大勢の男や女、年寄り、そして子供のやんやと言う喝采の声。彼らはかつて殺人鬼の手にかかり、無残にそして無意味に殺された人々の声だ。
ありがとな。そんなに喜んでくれるなんて、俺も嬉しいよ。
事が終わればあんたらの憑代――鬼玄翁にもたっぷり供え物をして報いてやるからな……。
「よ、よくもやったなぁああああああ! 許さないぞぉおおお!」
絶叫する雑鬼の膝が瞬時にして修復される。ブンッと大きく振りかぶられた拳が城槌のように肥大化。だが、それが俺を目がけ打ち下ろされるよりも早く、風車のように錫杖を振り回しながら――、レイジが間に割って入って来る。
「よくもやったな許さないぞ、か。……それは私の台詞だね」
雑鬼の拳を滑らせ受け流しながら、レイジが低く渇いた声を発する。それはこれまで俺が聞いたこともないような冷たい声。
「もっとも、私が許せないのは貴様じゃないんだなこれが」
レイジの口元に皮肉めいた笑み。錫杖を短槍のように半身に構え、鋭い突きを連続で繰り出してゆく。
「私が許せないのは、塚森家当主だの童ノ宮氏子総代だの、大層な肩書きを幾つももらって今日まで生かしてもらってるのに娘には、キミカにはいつも死ぬより辛い思いをさせている男。……つまり、私自身だ」
宝塔を模した錫杖の先端――、宝珠が黒々とした剛毛に覆われた胸部に深く、鋭い角度で次々と打ち込まれてゆく。白い仮面の奥で肺を破られ、雑鬼はガハッと息を吐きだすような声を立てる。
レイジが駆使しているのは外法流無双杖術。童ノ宮に古くから伝わる武術で、戦国の世など在れた時代に蔓延っていた盗賊対策のため、当時の墓守家当主が自ら編み出した護身術だ。
子供の頃からレイジはこの杖術と相性がよく、中・高校生の頃は全国大会に出場できるほどの腕前と評されていたと思う。
一方、娘のキミカは武術どころかスポーツ全般が苦手な大の運動音痴。それでも体を動かすのは健康にいいから、とレイジはキミカに杖術の基本の型を教えようと試みたこともあったが……。
何があったのか、親子そろってすっかり落ち込んで道場から帰って来たことは記憶に新しい。
だが、自信を持って言えることだが、そんな不器用な養女であるキミカをレイジは心の底から大事に思っている。だから、今のレイジの想いを乗せた一打は、他のどんな外法よりも重い。
「――うーん。なかなか、どうして手強いね」
どうにか身体を起こし体勢を立て直した俺のもとに床を擦るような特殊な足運びで、後ずさりしながらレイジが踊ってくる。微かだが、その呼吸が乱れている。
「正直、雑鬼を相手にここまで苦労するとは思わなかったな。……さすがにアレだけデカいと何度錫杖で打っても大して効いていない気がするよ」
「ゴブリン討伐のつもりでダンジョンに来たら待ち構えていたのはオークやオーガーだった、みたいな感じか」
「何、そのたとえ話?リョウ君ってたまによく分からないことを言うよね?」
「お前なぁ……。お務めもいいけど、たまには現世の出来事にも目を向けろよ。これぐらいの話、その辺の小学生にだって通じるぞ」
俺もレイジもお互いに軽口を叩き合っている場合じゃないことは、重々承知している。
現に俺達の目と鼻の先には、殺意を煮えたぎらせた巨大な雑鬼が地響きのような唸り声を発している。ノシノシとこちらに向かって近づき、致命的な拳の一撃を繰り出そうとしている。
それでも下らないお喋りがやめられないのは恐怖と緊張のあまり、軽いパニック状態に陥っているからだと思う。陳腐なイメージで語られる、アメコミヒーローあるあるだ。
「最近のエンタメ作品の一つや二つ、またはその傾向をある程度把握しておかないと……。その内、娘とも話が合わなくなるぞ」
「ちょ、ちょっと――。何で、ここでキミカを? 怪異と相対中なのにやめてくれよ、集中が途切れるじゃないか」
「泣き言はやめろ。そんな脆弱なメンタルじゃ勝てる相手にも」
勝てないぞ、と俺はこの下らない会話を締めくくろうとした。
だけど、それよりも早く、グンッと鞭がしなるような動きを見せて雑鬼の首が俺達に向かって伸びる方が早かった。
スッポンなど亀の類が獲物を襲う時、甲羅に縮めた首を素早く、そして長く伸ばして噛みつくのだが、その様によく似ていた。
「――ほら、見ろ言わんこっちゃない!」
舌打ちしながら、俺は両手でレイジの肩を突き飛ばす。
予想外の衝撃だったらしく、驚きに目を丸くしたままレイジは身体を後ろにのけ反らせてゆく。
正直に言おう。今回はひょっとしたら大した怪我は負わずに済むかもしれないと思っていた。たちが悪いとはいえ、所詮相手は雑鬼だと。俺とレイジなら三十分もあれば始末できると踏んでいた。結論から言えば甘い、甘すぎる考えだったわけだが。
「ぎぇええええええええ!」
俺の目と鼻の先にまで肉薄しながら雑鬼が化鳥のような雄叫びをあげている。あのニヤニヤとした薄笑いを浮かべた仮面を少し上にあげ、耳元まで裂けたケダモノそのもの大口を露わにして。
あぁ厭だなぁ、と俺は思う。
今からあれに噛みつかれるのか。歯茎がボロボロに腐っていることは一目でわかったし、隙間だらけの乱杭歯はどれも黄ばんでいて酷く不潔だ。あんなものに食いつかれたら、いくら不死者の俺でもただでは済まない。
だけど、と俺は思い直す。痛い思いをするのは嫌だけれど、キミカやレイジ、それに今は東京にいるコウが痛い目に遭うのはもっと嫌だ。
ついでに言えば、柴崎ゼナや秘書の姫宮って娘にもできれば酷い目には遭って欲しくない。
となると、残る手段は後一つぐらいしか思い当たらない。
「……すまん、キミカ。こんな様じゃお前にもう偉そうなことは言えないよな」
思わず俺は失笑していた。
そんな俺の喉元に雑鬼の汚れ切った乱杭歯がズブリと突き立ち――、次の瞬間、自分でもギョッとするほど大量の鮮血をビシャビシャとまき散らしながら俺は身体と泣き別れになった首を宙に舞わせていた。
コメント
1件
みぅ🤍🥀です。 今回も重かった……。特にリョウがミサキを責めそうになる自分を抑えるところ、すごく生々しかったです。人間の弱さって簡単に割り切れないんだなって。 それと、雑鬼のデカさと強さにビビりました。明らかに情報と違う展開、リョウとレイジの軽口で誤魔化す心理描写もリアルで、最後の首飛ばしはマジで「えっ!」って声出ました……! 次が気になりすぎます。更新、ゆっくりでいいので待ってますね🖤
wadaken1
115
wadaken1
162
#ホラー
wadaken1
851
#都市伝説
wadaken1
245