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戸籍の上では、
篠宮ひかりは、
私と同い年だった。
二十九歳。
でも十五年前、
赤いランドセルを背負っていた少女は七歳だった。
なら今は二十二歳。
七年。
年齢がずれている。
「どういうこと?」
私は父を見た。
「この生年月日、誰のものなの」
父は答えない。
真壁刑事が画面を確認する。
「認知届に記載された生年月日は、五月十七日」
「私と同じです」
「出生年も同じ」
「それも私と同じ」
私はもう一度父を見る。
「偶然じゃないよね」
父は目を閉じた。
「違う」
「じゃあ何」
「その戸籍は、ひかりのために作られたものじゃない」
真壁が眉を動かす。
「どういう意味ですか」
父はしばらく黙っていた。
そして、
「澪の戸籍を使った」
と言った。
私は聞き間違えたと思った。
「何?」
「ひかりに身分を作るために」
「私の戸籍を?」
「そのままじゃない」
「同じじゃない!」
声が出た。
「名前だけ変えて、生年月日は私と同じにしたってこと?」
「俺がやったんじゃない」
「じゃあ誰!」
「千佳だ」
部屋が静まった。
母。
また母。
「母が、私の戸籍を使ってその子の身分を作った?」
父は首を振る。
「正確には、作ろうとした」
「何のために」
「ひかりを消すためだ」
「逆でしょ」
「違う」
父が私を見る。
「篠宮ひかりという名前を残して、水城として生きていた子を消そうとした」
意味が分からない。
「その子、本当は何て名前なの」
父は答えない。
「ひかりじゃないの?」
「ひかりは、奈緒が呼んでいた名前だ」
「戸籍上の名前?」
「違う」
「じゃあ」
「仮の名前だった」
私は頭を押さえた。
赤いランドセルには、
水城。
認知届には、
篠宮ひかり。
でも、
どちらも本当の名前ではない。
「その子、自分の名前を知らなかったの?」
父の顔が歪んだ。
「知らなかった」
「七歳まで?」
「ああ」
「母親の奈緒さんは?」
「言わなかった」
「どうして」
「守るためだ」
またそれ。
私は笑った。
「この家の人って、誰かを守るためなら何でもするんだね」
父は何も言わなかった。
「名前を消す。戸籍をいじる。人を選ぶ。子どもを隠す」
私は父を見る。
「それで、本当に誰か守れた?」
答えはない。
高瀬は死んだ。
久我も死んだ。
奈緒も死んだ。
母も死んだ。
佐伯の息子も死んだ。
守られた人間なんて、
一人もいない。
真壁が父に訊いた。
「水城雅彦さん。篠宮ひかりさんと十二年間、親子として暮らしていたんですね」
父は少し考えてから頷いた。
「戸籍上は違う」
「生活上は?」
「娘だった」
その言葉が胸に刺さった。
「娘だったんだ」
私は言った。
父がこちらを見る。
「私には一度も連絡しなかった九年間」
「澪」
「でも、その子とは毎日一緒にいた」
「……ああ」
「学校行事も?」
父は答えない。
「誕生日も?」
「……」
「五月十七日?」
父が顔を上げた。
「違う」
「え?」
「ひかりの誕生日は五月十七日じゃない」
「じゃあいつ?」
「六月二十一日」
私は息を止めた。
六月二十一日。
佐伯の息子が死んだ日。
母の手帳に、
あの人が死んだ。
と書かれていた日。
「それ、本当の誕生日?」
「本人はそう言ってた」
「誰から聞いたの」
「奈緒からだ」
「父さんが?」
「ああ」
父は目を伏せた。
「奈緒がまだ生きていた頃に」
「父さんと奈緒さん、どこまでの関係だったの」
「恋人だった」
「それは聞いた」
「それ以上はない」
「子どもの父親ではない?」
父はまっすぐ私を見る。
「違う」
今度は迷わなかった。
「じゃあ、なぜ奈緒さんは娘の誕生日を父さんに教えたの」
「預かってほしいと言われたからだ」
「いつ」
「死ぬ前」
空気が変わった。
「奈緒さん、自分が死ぬと思ってたの?」
「ああ」
「死亡通知が届いてた?」
父は頷く。
「誰の名前が?」
「奈緒じゃない」
「じゃあ誰」
父の口が止まる。
真壁が低い声で言う。
「ここまで話して、まだ隠しますか」
父は苦しそうに息を吐いた。
「千佳だ」
私は瞬きをした。
「母?」
「奈緒のところに届いた死亡通知には、千佳の名前が書いてあった」
「死ぬのは母だった?」
「そう見えた」
「でも死んだのは奈緒さん」
「ああ」
また、
名前と死ぬ人間が違う。
「通知が届いたあと、奈緒さんは父さんに娘を頼んだ」
「そうだ」
「なのに結局、母が引き取った」
「俺は警察に拘束されてた」
久我を殴った件。
「その間に奈緒が死んだ」
「母がひかりを連れていった?」
「ああ」
「父さんは知らなかった?」
「数年後まで」
「何年?」
「三年」
私は計算する。
奈緒の娘が十歳になったころ。
ちょうど父が家を出た十二年前。
「そのとき、ひかりが父さんのところへ来た」
「そうだ」
「母から逃げて」
父は頷く。
「千佳に人殺しを見たと言って」
「そうだ」
「それで父さんは私と母を残して、その子を連れて逃げた」
「……ああ」
私は目を閉じた。
やっぱり事実は変わらない。
理由が増えても、
父は私より、
その子を選んだ。
「ひかりは父さんを何て呼んでたの」
父が私を見る。
答えにくそうだった。
「お父さん?」
私は先に言った。
父は黙った。
それが答えだった。
胸の奥に、
鈍い痛みが走る。
「そう」
私は笑った。
「もう一人、娘がいたんだ」
「澪」
「血が繋がってなくても、娘なんでしょ」
「……ああ」
「じゃあ私は?」
父の顔が歪んだ。
「お前も娘だ」
「十二年間会わなくても?」
「娘だ」
「誕生日に電話一本なくても?」
「娘だ」
「母が死んでも姿を見せなくても?」
「それでもだ」
私は顔を逸らした。
そんな言葉、
今さら欲しくなかった。
真壁が話を戻す。
「篠宮ひかりさんの現在の所在は?」
「分からない」
「三年前に失踪して以降、連絡なし?」
「一度だけ」
私は父を見る。
「いつ」
「千佳が死ぬ一週間前」
心臓が強く打った。
「最近じゃない」
「ああ」
「何て?」
父はスマートフォンを取り出した。
古いメッセージ。
送信者は、
知らない番号。
本文。
もうすぐ全部終わります。
その下。
千佳さんには私から会いに行きます。
「母に会った?」
「分からない」
「母が死ぬ前に?」
「ああ」
「どうして警察に言わなかったの!」
「今初めて、ひかりが関わってるかもしれないと思った」
「死亡通知を送ってる可能性は?」
父は首を振る。
「俺は違うと思う」
「どうして」
「ひかりは千佳を恨んでた。でも」
父は画面を見つめた。
「殺したいほどじゃない」
「父さんがそう思ってるだけでしょ」
「違う」
「何が」
「ひかりは千佳に会いたがってた」
「復讐のために?」
「謝るために」
私は眉を寄せた。
「何を?」
父は答えなかった。
またかと思ったとき、
真壁の電話が鳴った。
「真壁です」
少し話したあと、
私を見る。
「何ですか」
「篠宮ひかりという名前で照会をかけていました」
「見つかった?」
「一件あります」
「住所は?」
「それが」
真壁が画面を見る。
「三年前に死亡届が出ています」
私は言葉を失った。
「死んでる?」
父が立ち上がった。
「そんなはずない!」
「届出上は死亡しています」
「いつ」
「三年前の九月三日」
父の顔色が変わる。
三年前。
ひかりが父のもとから消えた年。
「死亡時刻は?」
私は訊いた。
真壁が答える。
「午後十一時四十分」
まただ。
「死因は?」
「転落死」
高瀬と同じ。
「死亡場所は?」
真壁の目が止まった。
「岸本総合病院」
柿崎の病院。
母が十五年前に一度死んだ場所。
奈緒が隠された場所。
父が三年前に電話してきた場所。
私は息を整えた。
「死亡届を出した人は?」
真壁は答えない。
「誰ですか」
「水城雅彦さんです」
私は父を見る。
父は、
本当に何も知らない顔をしていた。
「俺じゃない」
「でも父さんの名前で出てる」
「俺は出してない!」
「じゃあ誰が」
誰かが、
十五年前は母の名前を使い、
今は私の名前を使い、
三年前には父の名前を使って、
人を死なせている。
あるいは、
死んだことにしている。
「遺体は?」
父が真壁へ詰め寄る。
「ひかりの遺体は確認されたのか!」
真壁が資料を確認する。
そして、
表情が変わった。
「……ありません」
「え?」
「死亡診断書はあります」
「遺体は?」
「記録上、火葬済み」
「誰が確認した」
「死亡診断書を書いた医師です」
嫌な予感がした。
「医師名は?」
真壁が答える。
柿崎修一。
部屋が静まり返った。
柿崎は以前、
自分の名前が書かれた紙について言った。
それは患者名じゃない。医師名だ。
私はようやく、
意味が繋がった。
「柿崎先生は」
私は呟いた。
「ひかりさんを三年前に死んだことにした?」
父が首を振る。
「違う」
「何で分かるの」
「ひかりは生きてる」
「証拠は?」
父は私を見る。
「昨日、俺に電話してきた」
私は息を止めた。
「昨日?」
「ああ」
「何て言ったの」
父の声が震えた。
「澪を助けてって」
私は動けなくなった。
「私を?」
「それから」
父が続ける。
「自分はもう、ひかりじゃないって」
「じゃあ今の名前は?」
父は答えようとした。
その瞬間、
私のスマートフォンが震えた。
知らない番号。
メッセージが一通。
お父さんから聞きました?
続いて、
二通目。
私は、あなたの妹ではありません。
そして三通目。
でも十五年前から、あなたの家族でした。
最後に、
一枚の写真が届いた。
二人の女の子。
十四歳の私。
その隣に、
七歳の少女。
赤いランドセル。
私は写真を見た覚えがなかった。
でも、
場所は分かった。
母の家。
この家だった。
写真の裏側まで撮影されている。
母の字。
澪とひかり。
その下に、
もう一行。
どちらか一人だけを、娘として残す。
コメント
1件
**美月ゆめか🌸** うわああマジで重い!!でもめっちゃ引き込まれた…😭💦 「娘だった」って父が言ったとき、澪ちゃんの気持ち考えるだけで胸がギュッてなったよ…。九年間の空白と、その間ずっと一緒にいた"もう一人の娘"。そりゃ苦しいよね。 それにしても、柿崎先生が関わってるってことはやっぱり全部繋がってるんだ…死亡届出てるのに生きてるって父が言うひかりちゃん。最後の「どちらか一人だけを娘として残す」って母の言葉、怖すぎる…!次が気になって今夜眠れないかも😭💕
#女主人公
ワイだ!
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