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第2話「恋の人格すれ違い」
放課後の大学構内は、いつもより少しだけ騒がしかった。
講義棟の前では、学生たちがスマホを見ながら人格予定を確認している。
今日の飲み会は誰で行く?
レポート担当、まだ起きてる?
バイト人格に代わってから帰るわ。
そんな会話が、ベンチの上にも、階段の横にも、売店の列にも転がっていた。
ミユは噴水のそばで立ち止まった。
ショルダーバッグに付けた小型タグが、小さく震える。
現在の表人格 代表人格
交代候補 告白人格 照れ人格 毒舌人格
ミユはタグを指で押さえた。
「今は出ないで。まだ早いから」
胸の奥で、誰かが足踏みしている。
出番待ちの列ができているみたいだった。
向こうからハルマが歩いてくる。
グレーのシャツに深緑のジャケット。
手には教科書と、人格通信アプリ「ケロベロス」の通知が光るスマホ。
彼もまた画面を見て、少し困った顔をしていた。
「ごめん、待った?」
「ううん。今来たところ」
ミユの声は、いつもより半音高かった。
ハルマはそれに気づいたのか、首をかしげる。
「今日、代表?」
「いちおう」
「いちおうなんだ」
「そっちこそ、今だれ?」
「代表。たぶん」
ハルマのスマホが震えた。
画面には短い通知。
照れ人格が待機中です
ハルマは急いでスマホを伏せた。
ミユは見なかったふりをした。
見なかったふりをしたのに、口元が勝手にゆるんだ。
ふたりは並んで歩き出した。
大学の門へ向かう道は、夕方の学生でゆっくり流れている。
すれ違う人たちの頭上には、人格タグの小さな表示がちらちら光っていた。
「勉強担当」
「帰宅担当」
「恋愛担当・準備中」
「本日機嫌悪め」
それぞれが当たり前の顔で、自分の中の誰かと折り合いをつけながら歩いている。
ミユはハルマの横顔を見た。
言うなら今だ。
今日こそ言う。
何度も練習した。
代表人格のまま、落ち着いて、ちゃんと。
「ハルマくん」
「ん?」
「少し、話があって」
ハルマが立ち止まる。
その瞬間、ミユの胸の奥で告白人格が勢いよく手を挙げた。
私が言う!
まだ早い!
早いとか言ってたら一生言えない!
ちょっと待って!
待たない!
ミユの視界がぐらりと揺れた。
「ハルマくん、私、前から好き!」
声が出た。
大きかった。
思ったよりずっと大きかった。
近くのベンチでパンを食べていた学生が振り向いた。
自販機の前にいた男子が「おっ」と小さく声を上げた。
ハルマの目が丸くなる。
ミユは固まった。
代表人格は、内側で頭を抱えた。
出た。
出ちゃった。
最初の一言、全部出ちゃった。
ハルマの頬が少し染まった。
そして彼の目が、ふわっとやわらかくなる。
「あ、えっと、その……俺も、ミユさんのことは……」
ハルマの照れ人格が出かけていた。
だが途中で、肩がぴくりと動いた。
「待って。確認します」
聞き役人格に変わった。
表情が急にまじめになる。
「今の発言は、ミユさんの代表人格によるものですか。それとも告白人格によるものですか」
「えっ」
「あと、継続意思はありますか」
「け、継続意思?」
「告白ログを残すなら、人格名が必要なので」
ハルマはスマホを取り出した。
画面には、ケロベロスの告白補助フォームが開かれている。
発言者人格
受信者人格
感情の種類
返答期限
ミユの顔が熱くなった。
「そんな事務みたいにしないで!」
「あ、ごめん。これは聞き役人格の癖で」
「癖で告白を書類にしないでよ!」
その瞬間、ミユの中で照れ人格が飛び出した。
「い、今のは忘れて!でも忘れないで!いや、忘れてほしくないけど、忘れてるふりして!」
ハルマがさらに混乱する。
「どっち?」
「どっちも!」
「なるほど、両方」
「理解しないで!」
ハルマのスマホがまた震えた。
照れ人格が表に出ます
ハルマの顔が一気に赤くなった。
視線が斜め下に落ちる。
「えっと……俺も、その、急に言われると……困るけど……嫌ではなくて……いや、嫌じゃないって言うと変だけど……」
ミユの照れ人格が両手で顔をおおった。
「やめて!照れが感染する!」
「感染ではなく共鳴かも」
「分析しないで!」
「今のは照れ人格です」
「知ってる!」
ふたりの間に、変な沈黙が落ちた。
落ちたというより、転がって、足元で跳ねた。
通りすがりの女子学生がちらっと見て、友達にささやく。
「告白渋滞かな」
「たぶんね。あそこ、双方交代型っぽい」
「長くなるやつだ」
「売店で飲み物買って戻ってもまだやってるよ」
ミユは聞こえないふりをした。
聞こえていた。
かなり聞こえていた。
代表人格に戻ろうとした。
戻ろうとしたのに、毒舌人格が肩を押しのけた。
「ていうかハルマくんさ、返事遅くない?こっちは勢いで人生を転がしたんだけど」
ハルマがびくっとする。
「人生まで?」
「比喩だよ、バーカ」
言った瞬間、ミユは内側で叫んだ。
いま言うな。
それはタイトル回収みたいに言うな。
ハルマの表情が変わる。
今度はお断り人格が顔を出した。
「申し訳ありません。急な告白には即答できません。感情整理期間を三日ほど」
ミユの毒舌人格が目を細める。
「三日?長くない?」
「標準返答期間です」
「大学の課題かよ」
「感情も課題です」
「名言みたいに言うな」
ハルマのお断り人格は、きっちりと背筋を伸ばしていた。
代表人格よりもさらに丁寧で、目がまっすぐすぎる。
「ただし、完全なお断りではありません」
ミユの中で全人格が止まった。
「え?」
「保留です」
「保留」
「はい。感情確認中です」
「好きか嫌いかじゃなくて?」
「今、内側で会議中です」
ハルマは胸に手を当てた。
本当に会議している顔だった。
ミユの中でも会議が始まった。
告白人格が机を叩く。
押せ押せ!
照れ人格が机の下に隠れる。
もう帰りたい。
毒舌人格が腕を組む。
保留って何?冷蔵庫に入れられた気分なんだけど。
代表人格は両手を上げた。
一回、全員落ち着こう。
落ち着けるわけがなかった。
「ハルマくん」
「はい」
「今、そっち何人出てる?」
「表はお断り人格。内側で代表、照れ、天然、聞き役が会議しています」
「天然も?」
「さっきから、告白って食べ物かなって言っています」
「天然すぎるよ!」
ハルマの目がふわっとゆるむ。
天然人格が前に出た。
「告白って、甘い?」
ミユは数秒だけ黙った。
そして毒舌人格が即答した。
「甘い時もあるけど、今はしょっぱい」
「しょっぱいんだ」
「汗と緊張でね」
「なるほど」
ハルマの天然人格は、納得したようにうなずいた。
その顔があまりにも真剣で、ミユは笑いそうになった。
笑ったら負けだと思った。
でも少し笑った。
ハルマも笑った。
その瞬間、場の空気が少しだけほどけた。
噴水の水音が、さっきより近く聞こえる。
学生たちの声も、遠くで混ざっていく。
ミユの代表人格がようやく戻ってきた。
深く息を吸う。
今度こそ、自分の言葉で言う。
「ハルマくん」
「うん」
「今の、どの人格が言ったかって言われたら、告白人格が先走った。でも、代表の私も同じ気持ち」
ハルマはまばたきをした。
ミユはバッグのひもを握る。
「照れて変なこと言う人格もいるし、毒舌でごまかす人格もいる。でも、好きなのは本当」
言い終えた瞬間、ミユの耳まで熱くなった。
けれど今度は逃げなかった。
ハルマのスマホが震える。
画面には、人格会議結果が表示された。
代表人格 回答待機
照れ人格 顔を上げられません
聞き役人格 確認事項あり
天然人格 告白は甘いらしい
お断り人格 即時拒否ではありません
ハルマは画面を見て、困ったように笑った。
「うち、まとまらない」
「こっちも」
「でも」
ハルマはスマホをしまった。
「嫌じゃない。むしろ、うれしい」
ミユの胸が跳ねた。
その直後、ハルマの照れ人格が完全に表に出た。
「う、うれしいけど、今すぐ返事すると変な声が出るので、返事は明日でもいいですか!」
ミユの照れ人格も飛び出す。
「変な声ならもう出てるから大丈夫!」
毒舌人格が続く。
「何が大丈夫なんだよ」
告白人格がさらに前へ出る。
「じゃあ明日!明日また告白の続き!」
代表人格が戻る。
「続きって何!?」
ハルマ側も負けていない。
聞き役人格が出る。
「明日の集合時間は?」
照れ人格がかぶせる。
「人が少ないところで!」
天然人格が首をかしげる。
「告白の続きには飲み物いる?」
お断り人格が淡々と言う。
「返答準備として必要かもしれません」
ハルマの代表人格が戻って、顔を覆った。
「ごめん、うちも止まらない」
ミユはついに笑った。
大きくはない。
でも、こらえきれない笑いだった。
「似た者同士だね」
ハルマも笑う。
「人格数はそっちの方が少ないのに、圧はすごい」
「それ、褒めてる?」
「たぶん」
「たぶんって何」
「代表が断言を避けています」
「そこは断言してよ」
ふたりはしばらく噴水の横で立ち話を続けた。
告白の返事は出なかった。
けれど、会話は終わらなかった。
十五分。
二十分。
三十分。
通りすがった学生が、売店で買った飲み物を片手に戻ってきて、まだふたりが話しているのを見て笑った。
「やっぱり続いてる」
「告白渋滞は長いからね」
ミユはそれに気づいて、ハルマと顔を見合わせた。
「ねえ」
「うん」
「これ、明日に持ち越した方がいい?」
「そうだね。内側の議事録が追いついてない」
「恋愛に議事録って必要?」
「この社会では、わりと」
「嫌なリアルさ出さないで」
ハルマがスマホを開き、ケロベロスの予定欄を見せる。
明日
放課後
告白返答会議
参加人格 未定
ミユも自分の予定欄を開いた。
明日
放課後
告白の続き
参加人格 なるべく代表
「なるべくって」
ハルマが吹き出す。
ミユは少しだけ胸を張った。
「努力目標だから」
「じゃあ俺も、なるべく代表で来る」
「約束ね」
「うん」
ふたりはそこで別れた。
ミユは駅へ向かう道を歩きながら、スマホの画面を見た。
ケロベロスに通知が来ていた。
告白人格 よくやった
照れ人格 もう無理
毒舌人格 明日も負けるな
代表人格 要反省
ミユは小さく笑った。
「反省はする。でも、後悔はしない」
胸の奥で、誰かが拍手した。
誰かが布団にもぐった。
誰かが「次はもっと上手く言え」と文句を言った。
誰かがまだ、好きだと叫んでいた。
ミユは歩きながら、明日の予定に小さなメモを追加した。
ちゃんと聞く。
ちゃんと待つ。
でも、逃げない。
送信を押すと、ケロベロスの画面に小さな犬のアイコンが跳ねた。
人格予定を保存しました。
ミユはスマホをしまい、夕方の道を歩いた。
今日の告白は終わっていない。
返事もまだない。
だけど、変な渋滞の中で、少しだけ前に進んだ気がした。
翌日の放課後。
噴水の前。
ミユが到着すると、ハルマはすでに立っていた。
ハルマの胸元の人格タグには、こう表示されていた。
現在の表人格 代表人格
交代候補 照れ人格 天然人格 聞き役人格
お断り人格 待機中
ミユのタグも震える。
現在の表人格 代表人格
交代候補 全員
ハルマがそれを見て、目を丸くした。
「全員?」
ミユは笑った。
「うん。全員で来た」
「それ、返事する側には圧がすごいんだけど」
「大丈夫。うちの毒舌人格が言ってた」
「何て?」
ミユの口元が勝手に上がる。
「逃げたらバーカって」
ハルマは一瞬黙り、それから肩を震わせて笑った。
笑いながら、彼の照れ人格が顔を出す。
「じゃあ、逃げない」
ミユの中で、全人格が一斉に騒いだ。
でも今度は、誰も前に飛び出さなかった。
ハルマが、少し赤い顔で言った。
「俺も、ミユさんのことが好きです」
噴水の音が、ぱっと弾けた。
ミユは両手で口元を押さえた。
代表人格のまま泣きそうになって。
照れ人格のまま笑いそうになって。
告白人格のまま走り出しそうになって。
毒舌人格のまま何か言い返しそうになって。
結局、全部混ざった声で言った。
「返事、遅いよ。バーカ」
ハルマが笑う。
「ごめん」
「でも」
ミユは一歩近づいた。
「待ってよかった」
その日、ケロベロスの告白ログには、短い記録が残った。
告白成立
参加人格 多すぎて省略
備考 会話時間四十七分
結果 渋滞の末、進行
ミユはその記録を見て、また笑った。
恋は、思ったより面倒だった。
人格が多い分だけ、言葉も迷う。
気持ちも寄り道する。
けれど、その寄り道ごと好きになれたら。
それはそれで、悪くない。
翌朝。
ミユのスマホに、ハルマからメッセージが届いた。
おはよう。
今日は代表で送っています。
でも、照れ人格が横で騒いでいます。
ミユは寝ぼけた顔で画面を見つめた。
そして、にやけた。
返信欄に指を置く。
代表人格が言葉を選ぶ。
照れ人格が絵文字を足そうとする。
毒舌人格が余計な一言を入れようとする。
告白人格が大きな声で叫ぶ。
ミユは全部まとめて、短く送った。
おはよう。
今日も好きだよ、バーカ。
送信。
すぐに既読がついた。
ハルマから返ってきたのは、たった一言。
俺も。
そのあとに、照れ人格らしいスタンプが十七個続いた。
ミユは布団の中で笑い転げた。
恋は今日も渋滞している。
でもその渋滞は、ちょっと楽しい。
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