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第3話「人格シフト」
夕方五時。
ファミレス「みどり亭」の自動ドアが、ゆっくり開いた。
タクミは入口の音に顔を上げる。
胸元の人格タグが小さく震えた。
代表人格 タクミ
交代候補 接客人格 料理人格 確認人格
「いらっしゃいませ」
声は落ち着いていた。
接客人格が自然に前へ出る。
背筋が伸びる。
指先がメニューの角度を整える。
来店したのは、モカ色の上着を着た母親と、黄色のパーカーを着た男の子だった。
母親の手元にも、子どもの胸元にも、小さな人格タグがついている。
店に入ると同時に、入口横の端末が軽く鳴った。
来店人格確認
母親 注文人格
子ども 迷い人格
「お二人ですね」
「はい」
母親がうなずく。
男の子はメニュー見本を見上げたまま、足を止めた。
「ハンバーグ……いや、オムライス……いや、ポテト……」
「まず席へどうぞ」
タクミは笑顔で案内した。
この店では、人格交代は特別な出来事ではない。
注文の途中で人格が変わる。
食べたいものが変わる。
急に苦手なものを思い出す。
さっきまで甘いものを頼んでいた客が、次の瞬間には塩気のあるものを選ぶ。
だからテーブルには、注文保留ボタンがある。
伝票には、注文者人格の欄がある。
厨房には、変更可能時間が大きく表示される。
タクミは親子を窓側の席に通した。
男の子は椅子に座るなり、メニューを開いて固まった。
「決まらない」
母親が慣れた手つきで、テーブル端末を押す。
注文保留
迷い人格対応中
タクミはうなずいた。
「ゆっくりどうぞ。決まりましたら呼び出しをお願いします」
「ありがとうございます」
母親の声が少し変わった。
変更人格が出たのだろう。
「あと、席をひとつ奥に変えてもいいですか。そっちのほうがこの子の食いしんぼ人格が落ち着くので」
「もちろんです」
タクミは伝票端末で席変更を入れた。
席番十二から十三。
理由、人格対応。
厨房に戻ると、リサがトレーを持っていた。
ベージュの店用シャツの袖を少しまくり、髪を後ろでまとめている。
彼女の人格タグは、確認人格を表示していた。
「十二番、十三番に変更?」
「うん。親子のお客さん」
「了解。水は二つ置き直すね」
「ありがとう」
リサは何も驚かない。
タクミも驚かない。
この店では、席が一度で決まる方が珍しい。
レジ横では店長が端末を確認していた。
丸い眼鏡の奥で目が細く動く。
深緑のベストのポケットから、注文票が少しはみ出している。
「タクミくん、六番テーブル、変更人格が出たみたいだ」
「料理出る前ですか?」
「まだ三分ある」
「じゃあ行きます」
六番テーブルには、若い会社員風の二人組がいた。
片方はグレーの上着を着た男性。
もう片方は茶色の髪をひとつに結んだ女性。
テーブル端末には、変更希望の表示。
タクミが近づくと、女性が申し訳なさそうに手を上げた。
「すみません。さっきパスタを頼んだんですけど、今、胃にやさしい人格が出てきて」
「うどんに変更ですね」
「あ、早い」
「よくありますので」
男性が笑った。
「うちもさっきまで肉担当だったのに、今は節約人格です」
「ではセットを単品に変更しますか?」
「お願いします」
タクミは端末を操作した。
パスタからうどんへ。
セットから単品へ。
変更理由、表人格交代。
厨房へ戻る途中、タクミの内側で料理人格が前に出た。
足取りが少し早くなる。
目が皿の位置を見る。
伝票の流れを見る。
「六番、パスタ取り消し。うどんへ変更。セット解除」
厨房の奥から返事が来る。
「了解。パスタまだ入ってない」
「助かる」
料理人格のタクミは、無駄のない動きで皿を並べた。
接客人格の時より声は低い。
表情も落ち着いている。
リサが横からのぞく。
「今、料理人格?」
「そう」
「じゃあ七番のデザート確認お願い」
「出せる」
「助かる」
戦争みたいな時間。
けれど、誰も怒鳴らない。
誰も走り回らない。
ただ、交代して、確認して、直す。
それがこの店の夕方だった。
ピークの六時。
店内の席はほとんど埋まっていた。
呼び出し音が鳴る。
注文保留が点滅する。
厨房の画面には、人格変更による修正が並ぶ。
三番テーブル
甘党人格から食事人格へ
パフェを食後へ移動
五番テーブル
クレーム人格表出
謝罪人格対応希望
八番テーブル
子ども食いしんぼ人格
追加ポテト検討中
タクミは五番へ向かった。
五番には、灰色の帽子をかぶった年配の男性が座っていた。
常連客だ。
深緑の上着。
丸い背中。
テーブルにはいつものコーヒーと、今日の日替わり定食。
ただ、表情が少し厳しい。
人格タグは、感想人格を表示していた。
「タクミくん」
「はい」
「今日の味噌汁、少しぬるい」
「申し訳ありません。温め直します」
「いや、謝罪人格を呼ぶほどじゃない」
男性は首を振った。
「感想人格が出ただけだ。伝えておきたかった」
「ありがとうございます。すぐ温めます」
「うん。あと、米はうまい」
「厨房に伝えます」
タクミは味噌汁を受け取り、厨房へ戻った。
店長が横から顔を出す。
謝罪人格に交代しかけていたが、タクミが首を振る。
「大丈夫です。感想人格でした」
「そうか」
店長の肩が少し下がる。
「売上人格がびびっていた」
「それは奥で待機しててください」
「伝えておく」
リサが小さく笑った。
「今日、流れいいね」
「普通に忙しいけどね」
「普通に忙しいのが一番いいよ」
その言葉は、店内の音にまぎれて、少しだけ残った。
十三番テーブルの親子が呼び出しボタンを押した。
タクミが向かうと、男の子の顔つきがさっきと変わっていた。
迷い人格から、食いしんぼ人格に交代している。
「決まった!」
「はい、どうぞ」
「ハンバーグとオムライスとポテト!」
母親がすぐに横から言う。
「全部は多いです」
男の子は真剣な顔でメニューを抱える。
「食いしんぼ人格としては可能」
母親の確認人格が出る。
「体の容量としては不可」
タクミは端末を構えたまま待った。
男の子の中で、何か話し合っているのだろう。
表情がころころ変わる。
眉が寄る。
口がとがる。
目が輝く。
最後に、代表人格らしい顔に戻った。
「ハンバーグ。ポテトは少し」
母親がうなずく。
「ポテト小ですね」
「はい」
タクミは注文を入れた。
「ハンバーグセット、ポテト小。ソースはどうしますか?」
男の子が一瞬考える。
母親が先にタグを見る。
現在の表人格 代表人格
交代候補 ソース冒険人格
母親は静かに言った。
「冒険人格が出る前に、いつものソースでお願いします」
「かしこまりました」
男の子が少しむくれた。
「冒険したかった」
「この前、全部混ぜて泣いたでしょ」
「泣いたのは泣き虫人格」
「口は同じです」
タクミは笑いをこらえながら、伝票を送った。
厨房に注文が流れる。
料理人格がまた前に出る。
タクミは皿を見て、タイミングを測る。
ハンバーグ。
うどん。
ポテト小。
コーヒー温め直し。
パフェ食後へ移動。
流れは複雑だった。
けれど、道は見える。
人格が変わるたびに、客の希望が少しずつ形を変える。
そのたびに、店員も少しずつ動きを変える。
タクミは思う。
これは戦争というより、交通整理に近い。
たくさんの気持ちが交差点に集まって、順番を待っている。
誰かが急ぎ。
誰かが迷い。
誰かが戻り。
誰かが進む。
店員は、その流れに線を引く。
止めるのではなく、通す。
「タクミくん」
リサが声をかけた。
「九番、クレーム人格」
「内容は?」
「注文と違うって言ってる。でも伝票は合ってる」
「確認人格で行く」
タクミは深く息を吸った。
九番テーブルには、大学生らしい三人組がいた。
真ん中の男子が腕を組んでいる。
彼のタグには、クレーム人格と出ていた。
「これ、頼んだのと違います」
タクミは皿と伝票を見た。
「こちら、唐揚げ定食ですね」
「俺はカレーを頼んだ気がします」
横の友人が手を挙げる。
「それ、さっきの空腹人格が言ってた」
もう一人が続ける。
「注文した時は節約人格だったから、唐揚げ定食にした」
クレーム人格の男子は、少し黙った。
タグが震える。
現在の表人格 クレーム人格
内側確認中
タクミは待った。
急がせない。
否定しない。
伝票を机に置き、相手が自分の中と話す時間を作る。
やがて男子の肩が下がった。
代表人格に戻ったらしい。
「すみません。うちの中で情報共有できてませんでした」
「よくあります」
「カレー追加できますか?」
「できますが、量は大丈夫ですか?」
男子は内側に聞くように目を閉じた。
「空腹人格が自信満々です」
横の友人がすぐ言う。
「体はそんなに食えないぞ」
男子のタグがまた震えた。
空腹人格 反論中
節約人格 反対中
代表人格 調整中
タクミは端末を手にしたまま待つ。
数秒後、男子は小さくうなずいた。
「ミニカレーで」
「かしこまりました」
「あと、さっきのクレーム人格から、謝っておいてって」
「受け取りました」
タクミが戻ると、リサが親指を立てた。
「静かに終わったね」
「うん」
「いい対応」
「確認人格ががんばった」
「代表もがんばってるよ」
タクミは少しだけ照れた。
その時、胸元のタグが震える。
照れ人格 表出希望
タクミは指でタグを押さえた。
「今は出ない」
リサが目ざとく見つける。
「照れ人格?」
「違う」
「表示出てたよ」
「仕事中だから」
「仕事中でも照れる時は照れるよ」
タクミは顔をそらした。
七時を過ぎると、少しだけ店内が落ち着いた。
ピークの波が引いていく。
皿の音が少なくなる。
呼び出しボタンの点滅も減る。
常連の男性が会計に来た。
タクミはレジに立つ。
接客人格が自然に前へ出る。
「お会計、千二百円です」
男性は財布を出しながら言った。
「味噌汁、温め直したらよかった」
「ありがとうございます」
「今日は店全体が穏やかだったな」
「忙しかったですけど」
「忙しいのと荒れるのは違う」
男性は静かな顔で笑った。
「この店は、人格が変わっても、時間がちゃんと流れている」
タクミはレシートを渡した。
「またお待ちしています」
「うん。また来る」
自動ドアが開き、男性が出ていく。
外はもう暗くなり始めていた。
店内の照明が、テーブルの上をやわらかく照らす。
タクミはレジの横で少しだけ息をついた。
店長が近づいてくる。
管理人格の顔だった。
「今日の変更対応、よかった」
「ありがとうございます」
「クレーム人格への待ち方もよかった」
「急がせると、別の人格まで出てきますから」
「その通り」
店長は端末に何かを入力した。
勤務評価
人格対応 良好
変更処理 良好
接客安定
タクミはそれを見て、少し背中がむずがゆくなった。
リサが横からのぞきこむ。
「お、評価いいじゃん」
「見ないでください」
「照れ人格、出る?」
「出ません」
「出そう」
「出ません」
その瞬間、厨房から声がした。
「十三番のポテト小、まだ出てない?」
タクミの料理人格が前に出た。
「今出す」
照れは引っ込んだ。
仕事の流れが戻ってくる。
ポテト小を皿に盛る。
ハンバーグの横に旗を立てる。
子ども用スプーンを添える。
十三番へ運ぶと、男の子が目を輝かせた。
「来た!」
食いしんぼ人格が前に出ている。
母親の確認人格が、すばやく皿を見る。
「熱い?」
「少し熱いです」
「冷まします」
男の子がフォークを握る。
「早く食べたい」
母親が言う。
「口が大事」
男の子の泣き虫人格が一瞬だけ出る。
「待つのつらい」
タクミは小皿を置いた。
「こちらに少し分けると冷めやすいです」
母親がほっとした顔をした。
「ありがとうございます」
男の子は小皿を見て、うなずいた。
「これなら待てる」
タクミは席を離れた。
背後で親子の小さな会話が聞こえる。
「おいしい?」
「まだ熱い」
「じゃあ少し待とう」
「うん。でもいい匂い」
店内には、そんな会話がいくつもあった。
注文。
変更。
確認。
謝罪。
笑い。
少しの沈黙。
また注文。
人格は交代する。
けれど時間は途切れない。
それぞれの中で誰かが起き、誰かが眠り、誰かが口を出し、誰かが譲る。
そのたびに、テーブルの上の皿が少し動く。
伝票が書き換わる。
店員がうなずく。
ただ、それだけ。
それだけで、夕方は進んでいく。
閉店前。
最後の客が席を立ち、店内はようやく静かになった。
リサはテーブルを拭いている。
店長は売上を確認している。
タクミはトレーを持って、窓側の席を片づけた。
十三番のテーブルには、子ども用の紙ナプキンが一枚残っていた。
そこに、クレヨンのような線で絵が描かれている。
ハンバーグ。
ポテト。
笑っている顔が四つ。
その横に、たどたどしい字。
またくる
タクミはそれを見て、少し笑った。
リサが後ろから声をかける。
「何?」
「これ」
リサは紙ナプキンを見て、やわらかく笑った。
「いいね」
「うん」
「今日も普通だったね」
タクミは店内を見回した。
片づいたテーブル。
重ねられた皿。
消えかけた注文画面。
静かになった厨房。
普通。
たしかにそうだった。
全員が人格交代していた。
注文は変わった。
クレーム人格も出た。
食いしんぼ人格も迷い人格も、照れ人格も出かけた。
それでも、誰かが怒鳴り続けることはなかった。
皿は出た。
会計は終わった。
客は帰った。
また来る、と書いてくれた。
タクミの胸元で、人格タグが震えた。
代表人格 タクミ
交代候補 接客人格 料理人格 照れ人格
今度は、照れ人格が少しだけ前に出た。
頬が熱くなる。
タクミは紙ナプキンをそっと折り、店長に渡した。
「これ、貼ってもいいですか」
店長の管理人格が見て、うなずく。
「休憩室に貼ろう」
売上人格が一瞬出る。
「こういうのは、店の空気をよくする」
謝罪人格がなぜか出る。
「今まで貼る場所を作っていなくて申し訳ない」
リサが笑う。
「店長、そこは謝らなくていいです」
三人で休憩室へ向かった。
壁の一角に、紙ナプキンを貼る。
ハンバーグ。
ポテト。
四つの笑顔。
またくる。
タクミはそれを見上げた。
今日のバイト戦争は、何も壊さなかった。
誰も派手に勝たなかった。
誰も大きく負けなかった。
ただ、みんなで交代しながら働いた。
みんなで交代しながら食べた。
みんなで交代しながら、普通の夕方を通り抜けた。
帰り道。
タクミはスマホでケロベロスを開いた。
勤務記録が自動で保存されている。
本日の表出人格
代表人格
接客人格
料理人格
確認人格
照れ人格
照れ人格の欄に、短いメモが付いていた。
先輩に褒められて出かけました。
タクミは歩きながら、思わず声を出した。
「出てたのかよ」
夜の道で、胸の奥から小さな返事がした。
少しだけね。
タクミは苦笑した。
明日もバイトがある。
明日も誰かが注文を変える。
誰かが迷う。
誰かが怒りかけて、確認して、少し笑う。
そして、たぶん。
普通の時間が流れる。
タクミはスマホをしまい、駅へ向かって歩いた。
エプロンには、ハンバーグソースの匂いが少し残っていた。
それもまた、今日がちゃんと終わった証拠だった。
#遊戯をしましょう!
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桜
100
#創作BL
灯依
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