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それから一週間が経った。
真子はこの日仕事が休みだったので、朝から部屋の掃除や洗濯に追われていた。
掃除機をかけた後、リビングボードの上の拭き掃除を始める。
棚の上には北海道へ来てから買い集めた可愛らしい雑貨達が並んでいる。
真子はそれらを一つ一つ丁寧に拭いていく。
そして次の雑貨に手を伸ばした時、ふとその手が止まった。
そこには、あの日拓が海でプレゼントしてくれたテングニシ貝が置いてあった。
真子は貝を手に取りあの時のように耳に当ててみる。
すると懐かしい音が耳に広がっていく。
そのまま目を瞑ると、あの時の情景が蘇ってくるようだ。
真子はしばらくその音を聞いた後、貝を丁寧に拭いた。
その時真子のスマホが鳴った。
(誰だろう?)
真子はすぐにスマホを手に取る。
そこには大学の同期の深谷智彦からのメッセージが届いていた。
(深谷君?)
不思議に思った真子はすぐにメッセージを見る。
【久しぶり! 真子ちゃんは月曜日休みだったよね? 今日そっち方面へ行くんだけど良かったらランチでもしない?】
深谷は真子と同じ美大を出た後、札幌の美術館へ就職した。
美術館では化石等の展示も行っている為、夕張方面へ行く時に岩見沢市内を通るようだ。
そんな時は、必ずといっていいほどこうして真子を誘ってくる。
最初の頃は真子も何度か応じていたが、最近は断る事が多い。
その理由は、真子は深谷が自分に気があるのではないかと感じていたからだった。
真子は深谷に対して友人以上の深い気持ちはない。
だから最近はあえて距離を取るようにしていた。
そこで真子はこう返信する。
【深谷君久しぶり! 今日は友達と出掛ける予定なの。折角誘ってくれたのにごめんね】
嘘をつくのは心苦しかったが、変な期待をさせて傷付ける事だけはしたくない。
だからあえてそう返信した。
大学四年間を共に過ごした仲間とは、生涯良い友人でいたい。
だから、余計な事でその関係を崩したくはなかった。
真子は高校時代に大切な友達を失った経験から、せめて大学の友達とはずっと良い関係でいたいと思っていた。
その時深谷から返事が来る。
【タイミング悪かったね。了解、じゃあまたね!】
真子は心底ほっとする。
そして掃除の続きを始めた。
夜は久しぶりにのんびりと手の込んだ料理を作る。
最近イタリア料理にはまっていた真子は、この夜イタリア風カツレツとトマトリゾットに挑戦した。
このレシピは、美桜とよく行くイタリアンレストランのイタリア人シェフに教えてもらったものだ。
料理はとても美味しく出来た。
真子は一口食べてうんと頷くと、自分の為に作ったご馳走を食べ始めた。
その時、今度は美桜からメッセージが来た。
【今度の金曜日、居酒屋会議やろうよ】
【OK! ビール飲みたい気分だったから楽しみ】
【じゃあまた明日ね】
【👍】
真子は久しぶりに飲めると思い、週末が楽しみになった。
しかしこんな何気ない瞬間にも、ふと考えるのは拓の事だった。
あれから8年の月日が経った。
真子は手術後、健康な人と同じ生活が送れるようになった。
今はお酒も飲めるし、走っても夜更かしをしても大丈夫だ。
そして今みたいなふとした瞬間に拓の事を思い出してしまう。
拓も居酒屋で友人と酒を飲んだりしているのだろうか?
拓は夢を叶え建築士になっただろうか?
昔からモテモテだった拓には、今どんな彼女がいるのだろうか?
拓の事だから、もしかしたらもう結婚して子供もいるかもしれない。
(この8年の間、拓が私の事を一瞬でもいいから思い出してくれた事はあったのだろうか?)
8年経った今、真子の気持ちはあの時と全く変わらずにいた。
これまで真子は、何度か交際を申し込まれた事があった。
それは大学の同期や先輩からだったり、
就職してからは、取引先の男性から告白された事もあった。
しかし真子は今まで誰とも交際しなかった。
それは、胸の傷を見られたくないという思いもあったが、やはり一番は拓の事が忘れられないからだ。
あの時拓にもらった指輪は、三日月のネックレスに通して
いつも肌身離さず身に着けていた。
美桜には、
「もうっ、いい加減に過去の思いは清算して次の世界へ旅立とうよ」
といつも言われている。
しかし真子はまだその気になれずにいた。
真子の心の中には、あの頃の拓がまだ鮮明に生き続けている。
だからまだ一歩が踏み出せないでいた。
真子はフーッとため息をつくと、
「ごちそうさま」
と言って、一人きりの静かな夕食を終えた。
コメント
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真子ちゃんは秋子さんのように拓君への想いを墓場まで持ってくつもりなのか? 寸分でも「岩見沢の奇跡」を心の中に秘めてるのかな? 真子ちゃんに言い寄ってくる男達がいても拓君オンリーの真子ちゃんは秋子さんの生き方を見習っていくんだろうか… 切ない…🥹