電話を切った後、優子はニンマリとしていた。
今、優子は夫の修が経営する辻堂のカフェに来ていた。暇な夜は、たまにこうして夫の店を手伝っている。
優子はカウンター内にいる修の傍へ行きこう聞いた。
「ねぇ、修の友達の豊村悦司似の人ってさ、今度鎌倉に引っ越して来るんでしょう? その人ってどんな仕事をしているの?」
「ああ、俊の事か? そっか、優子はまだ俊に会った事がなかったな。あいつはずっと仕事が忙しくて、会う時はいつも東京で
だったからなぁ。俊は飲食店プロデューサーっていう仕事をしているんだよ。それがどうかしたか?」
「ううん、別に。で、引っ越して来るのは来年って言ってたよね?」
「それがさ、年内に引っ越す事になったらしいよ。あいつ売れっ子で超多忙だから、最初はもっと遅くなるかもって言っていた
のに、急に早まってさ、どうしちゃったんだろうな? まあそのうちここにも顔を出すと思うからその時紹介するよ」
「うん、わかった。その人って、昔雪子に紹介しようとした人だよね?」
「確かにそんな事もあったなぁ。もう15年以上も前の話かぁ?」
「その人、今も独身?」
「みたいだな」
「遊び人?」
「なんでそんな事を聞くんだ?」
「ううん、もし良い人なら雪子に紹介しようかなぁと思って。ほら、雪子、今パート勤務になったから少し暇も出来たみたいだ
し和真も家にいないしね。今ならそういうのもアリかなって思ってさ」
「そうかぁ。あの頃は雪子ちゃんも色々あって余裕がなかったけれど、逆に今ならアリかもな! 俊もバツイチだし、あいつ若
い頃は散々色んな女性と浮名を流していたようだが今はすっかり落ち着いちゃったみたいだいし。ちょうどいいかもしれない
な」
「え? やっぱり遊び人なの?」
「うーん、そうでもないよ。勝手に女が寄って来る感じ? あいつはああ見えて根は真面目で一途な方だと俺は思ってる。だか
ら雪子ちゃんに紹介しようとしたんだし」
「そうなんだ。じゃあタイミングもピッタリだわ! 二人が友達になってくれたらいいな」
優子はそう言ってフフッと笑った。
「そうだな。まずは友達から始めるのがいいかもしれないね。今度コーヒースクールの時間帯に俊が来るよう誘っておくよ」
「そうだね。スクールの時なら二人をさりげなく引き合わせる事ができるものね! 修ちゃんさすが! 冴えてる!」
優子はそう言うと、修の頬をヨシヨシと撫でてから厨房へ入って行った。
雪子を送った後自宅へ戻った俊は、部屋に入るとすぐにパソコンの前に座った。
水曜日の夜に外出するなら、少し仕事を片付けておこうとやりかけの仕事に手をつけ始めた。
しばらくパソコンに向かっていたが、なぜか集中出来ずにいた。
頭の中には、先程カフェで過ごした雪子との場面が思い浮かんで来る。
今日の雪子は、スーパーにいる時のしっかり者の彼女とは違い物腰が柔らかでおっとりとした雰囲気が漂っていた。
プライベートはきっといつもあんな感じなのだろう。
時々はにかんだように笑う控えめの笑顔がとても可愛いらしかった。
50歳の女性に可愛らしいという表現はあまり適切ではないのかもしれないが、なぜか彼女にはその表現がしっくりくる。
彼女の腕を咄嗟に掴んで横に立たせた時に、彼女からふんわりと香ってきたラベンダーの優しい香りがとても心地良く感じた。
雪子と話していると、彼女の方が8つも年下なのになぜか包み込まれるような安心感を覚えるのはなぜだろうか?
懐かしいような、愛おしいような、遠い記憶の中にかすかに残る忘れられない切ない思いのような…。
彼女に会うと、なぜかそんな甘い記憶が思い起こされるような気がしてならない。
気づくと、俊はキーボードに手を乗せたままぼんやりとしていた。
画面には同じ文字が果てしなく打ち込まれていく。
そこでハッとした俊は、慌ててキーボードから指を離すと、なんとかパソコンに集中しようとした。
しかし、しばらくするとまた雪子の顔が思い浮かんでくる。
水曜日はどの店へ連れて行こうか?
彼女はどんな料理が好きなのだろうか?
俊はまるで初めてのデートをする高校生のように浮足立っていた。
これまでの俊のデートのパターンは、洒落た店で食事をしてその後バーで飲む。
脈があればホテルへ行き女と寝て、たまにご機嫌取りでショッピングへ連れて行く。
大体こんな感じだった。
しかし今回はそういう訳にはいかない。
まずは友達としての信頼を築く事…これがまず第一なので、今までのパターンは通用しない。
それにしても、今日はほんの少し彼女と話しをしただけなのに満ち足りた気持ちになっているから不思議だ。
恋の始まりとは、こういうものなのだろうか?
俊は過去の記憶を手繰り寄せてみたが、これに近い感覚ははるか昔の10代の頃へと遡って行った。
なぜか懐かしいような、そして切ないようなその感覚にどっぷりと浸りかけている自分がいる。
気づくとまた手の動きが止まっていた。
「今日は仕事にならないな……」
俊はフッと笑ってそう呟くと、なんとか仕事へ集中しようと姿勢を正した。
コメント
4件
仲良し夫婦の優子さんと修さんの会話にほっこりです😻 俊さんの心は雪子さんでいっぱいに💕ちゃんと恋をしようとすると若返るのかも🤭
優子さんのご主人と知り合いなのね進展が楽しみですよ。
幾つになっても「可愛らしい」と思われる雪子さんはほんとにチャーミングなんだね🥰あれだけの遊び人女性キラー俊がデートの計画や雪子さんに参ってるんだもの💘💘💘