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翌朝、ムエイルは工房の床いっぱいに紙を広げた。
ラグナ領の水路を青い線で引き、白枯れが出た田を赤、まだ症状のない田を白で塗る。その横へ、教会が行った浄化回数を書き込んでいく。
「一回、二回、三回……」
アキムはしゃがみ込み、同じ水路だけを目で追った。
「ここ。上流の田は一回で、下流は三回。発症日は下流のほうが遅いのに、今は病害率が高い」
「こちらもです」
ムエイルが別の村を指す。
「品種も植え付け日も近い。二回以上の浄化を受けた田で、再発が集中しています」
昨日は帳面の数字だったものが、地図の上では傷跡のようにつながって見えた。
偶然と言い切るには、偏りが大きすぎる。
アキムは銀色の帽子を被ったまま、昨夜採ってきた土を小皿へ並べた。
白枯れが強い田。弱い田。浄化を受けていない畦。
帽子越しでは、どの皿にも銀の粒が浮かぶ。だが、強い浄化を受けた田の土だけは、粒の種類が少なく、同じような光ばかりが目立った。
「病気の原因だけを消してるんじゃないのかもしれない」
声にすると、アンの顔が強張った。
「どういう意味です」
「例えば、病気を起こすものを邪魔していた何かまで消してる。そう考えれば、浄化のあとに再発が増える説明はつく」
「神聖な浄化が、病を助けると?」
アンの声が鋭くなった。
「そう決めたわけじゃない。可能性の話です」
「言葉を替えても同じです。清浄にする力が害になるなど――」
聖印を握る指が白くなる。
「過去の疫病で、何人が浄化に救われたと思っているのですか」
「知りません。でも、昨日あなたがそう言ったから、俺は浄化そのものを否定してない」
「なら、なぜ」
「人に効いた方法が、田でも同じとは限らないからです」
言った瞬間、アキムは自分の声が思った以上に強かったことに気づいた。
怒っている。
七日という期限に。分からないものを分からないまま焼くことに。そして、正しいと思っている同士がぶつかるしかない状況に。
アンは何も言わず、踵を返した。
扉が閉まる。
「言い過ぎたかな」
アキムが呟くと、ミルヴァは壊れた留め具を削りながら肩をすくめた。
「でも黙ってたら田んぼ燃えるよ」
正しい。正しいが、それだけでは人は動かない。
昼前、焼却予定の村へ向かった。
家財を荷車へ積む農民の間で、アンの白い法衣が見えた。
「大丈夫ですよ。焼くのは田です。あなた方まで責められているわけではありません」
泣き続ける女の手を両手で包み、アンは目線を合わせていた。
「今年の米がなくなったら、子供に何を食べさせれば」
「領都へ掛け合います。配給記録も私が確認します。一人で抱えないでください」
先ほどまで激しく反発していた人と同じとは思えないほど、声は柔らかかった。
アキムは足を止めた。
アンは人を苦しめたいわけではない。
むしろ逆だ。
救えると信じている方法だから、手放せない。
「……そりゃ、簡単には曲げられないよな」
自分だって、微生物学を全部間違いだと言われれば反発する。
必要なのは勝ち負けではない。
彼女が見ても否定できない結果だ。
「アキムさん!」
村外れから老人が手を振っていた。
白枯れの調査をしていると知り、自分の納屋へ案内したいという。
「うちだけ、まだ少しましなんだ」
納屋には束ねた種籾が吊られていた。畑は同じ水路なのに、確かに白枯れが少ない。
「特別な品種ですか?」
「いや。昔から残してるだけだ。毎年、一番よかった穂から取る」
ムエイルがすぐ帳面を開く。
「浄化回数は周辺と同じです。水路も同じ」
「他に違うことは?」
老人は考え込み、種籾の束を指した。
「播く前に、あの壺へ漬けるくらいだな」
納屋の隅に、大きな陶器の壺があった。
蓋を開けた途端、酸味を帯びた発酵臭が立ち上る。
アキムの記憶に、前世の祖父母の家で嗅いだ米糠の匂いが重なった。
「中身は?」
「米糠と水だ。少しずつ継ぎ足して、もう何年になるか」
アキムは息を呑み、銀色の帽子を被った。
壺の中が、きらめいた。
病斑に密集していたものとは違う。
細かな銀の粒が、何層にも重なって渦を巻いている。
思わず口元が緩んだ。
「これ、調べさせてもらえますか」
「腐った糠水だぞ?」
「だからです」
後ろでアンが立ち止まっていた。
眉をひそめながらも、今度は何も言わなかった。
アキムは壺を見つめる。
病気を起こす何か。
それを抑える何か。
もし両方が本当に存在するなら。
清浄とは、全部を消すことではないのかもしれない。
答えはまだ出ない。
けれど次に試すものは、目の前にあった。
コメント
1件
第3話、めっちゃ面白かった…!!😭💕 アキムとアンの対立、お互い正義でやってるからこそ切ないよね。でも最後の壺のシーンで「清浄って全部消すことじゃないかも」って気づき、痺れたよ…!種籾を漬ける昔ながらの知恵が鍵になる伏線、すごくエモい。 アンが農民に寄り添ってる姿もギャップ萌え。次どうなるか気になりすぎる〜!✨